ボードレール「美への賛歌」 Baudelaire « Hymne à la Beauté »

第4−5詩節では、二元論的な視点を離れ、美が、人間、詩を愛する人々、とりわけ詩人に対して、どのような働きをするのかが、具体的なイメージで示される。

Tu marches sur des morts, Beauté, dont tu te moques ;
De tes bijoux l’Horreur n’est pas le moins charmant,
Et le Meurtre, parmi tes plus chères breloques,
Sur ton ventre orgueilleux danse amoureusement.

お前は死者たちの上を歩いていく。美よ、お前は彼らをからかっているんだ。
お前の宝のうちで、「恐怖」はまだ魅力的なもの。
「殺人」が、大切な安物の飾りの間を通りながら、
お前の傲慢な腹の上、恋のダンスを踊る。

死者たち(des morts)というのは、美を恋する人々のこと。美はそうした人間たちを魅了しては捨て去り、残骸の上を残酷に踏みつけていく。
宝石(tes bijoux)は、美の持つ様々な側面を指す。ここでは、「恐怖」と「殺人」。
「恐怖 Horreur」は、憧れの美を前にしたときに覚える恐れといったものだろう。
「殺人 Meurtre」に関して言えば、美に魅せられ、他のことを全て忘れて美に没頭するところまで行ってしまうということだろう。後の時代の絵画だけれど、ギュスターブ・モローのサロメのダンスを思い描くと、美と死のつながりをイメージすることができる。

Gustave Moreau, L’Apparition

L’éphémère ébloui vole vers toi, chandelle,
Crépite, flambe et dit : Bénissons ce flambeau !
L’amoureux pantelant incliné sur sa belle
A l’air d’un moribond caressant son tombeau.

蜻蛉は、光に目がくらみ、蝋燭よ、お前をめがけて飛んで行く。
そして、パチパチと燃え上がり、こう言うのだ。「この燭台を祝福しよう!」
息を切らし、愛する美女の上に身をかがめた恋する男は、
自らの墓を愛撫する、瀕死の人間のようだ。

第5詩節では、美を愛する人間の姿が、二つのイメージを通して描き出される。
まず、蜻蛉。そのはかない存在は、蝋燭の火に自から飛び込み、身を焦がして死んでいく。
その姿を描くとき、ボードレールはflamber(燃え上がる)という動詞を使い、flambeau(燭台)と重ね合わせる。そのことで、炎が美しいだけではなく、炎に焼かれる蜻蛉の姿も美しく輝く。
その姿を通して、美を愛し死んでいく人間も、美へと変身することが暗示される。
二つ目のイメージは、息を切らした恋人。彼は、これから入ることになる自分の墓を愛撫している。美に焼かれて死ぬことは、祝福すべきことなのだ。

このように、美を愛することは、死に向かうことであることが暗示される。
その死は、恐怖をもたらすものではなく、祝福すべきこと。
美に対して« tu »と呼びかけ続ける詩人、そして、詩人の後ろを追いかける私たち読者も、ろうそくの炎の中に飛び込み、美しく燃え上がる蜻蛉。としたら、決して美に到達できないとしても、美を追い求める快楽に身を委ねることに後悔はない。

別の視点からみると、ボードレールの詩の世界では、「美」は決して詩人に振り向かないし、台座から降りて詩人に近づくことはありえない。もしそんなことになれば、詩人の方から「美」を捨て去ることだろう。
「美」は常に手の届かない彼方にあり、憧れの存在でなければならない。そして、詩人は憧れの炎によって身を焼かれる存在であることを望む。

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