ボードレール「美への賛歌」 Baudelaire « Hymne à la Beauté »

第6詩節、最終となる第7詩節では、再び二元論的な表現が戻ってくる。そして、美がどのような存在であり、ボードレールが美から何を望んでいるのか、最後に示される。

Que tu viennes du ciel ou de l’enfer, qu’importe,
Ô Beauté ! monstre énorme, effrayant, ingénu !
Si ton oeil, ton souris, ton pied, m’ouvrent la porte
D’un Infini que j’aime et n’ai jamais connu ?

お前が天から来ようが、地獄からだろうが、どちらでもいい。
おお、美よ! 巨大で、恐怖をもたらす、無邪気な怪物よ。
もしお前の目、お前の微笑み、お前の足が、私に開いてくれるのが、
「無限」への扉であるならば。愛しているのに、決して知ることができなかったあの「無限」。

ここで、ボードレールの世界で最も重要な単語の一つ、「無限」(Infini)に言及される。無限は限界がないので、美を愛する者は決して美に到達することはできない。愛はつねに渇望の状態に留まり、しかも渇望は永遠に続く。望んでも得られないため、愛する者は地獄の苦しみを味わう。だからこそ、「美」は怪物なのだ。その怪物は、人間を死に導きながら、自分の残酷な力に無頓着で、無邪気なままなのだ。

De Satan ou de Dieu, qu’importe ? Ange ou Sirène,
Qu’importe, si tu rends, – fée aux yeux de velours,
Rythme, parfum, lueur, ô mon unique reine ! –
L’univers moins hideux et les instants moins lourds ?

悪魔からだろうと、神からだろうと、どちらでもいい。天使だろうと、人魚だろうと、
どちらでもいい。もしもお前、ー ビロードの優しい目をした妖精、
リズム、香り、光、おお、私のただ一人の女王よ!ー
お前が、世界からおぞましさを減らし、一瞬一瞬をこれほど重苦しくないものにしてくれるのならば。

悪魔、神、天使、人魚という順番は、ABBAというキアスム。この順番は、第一詩節の最初の2行への回帰になっている。
ここでイメージされる人魚は、美しい歌声で船乗りを引き寄せ、船を難波させる恐ろしい怪物。 アンデルセンの人魚姫ではなく、ライン川のローレライを思い浮かべると、天使と対立する存在であることがわかるだろう。

第6詩節では、「美」を怪物は同格に置かれていた。最終詩節では「美」より多くの属性が付与される。
妖精、リズム、香り、光。
リズムは聴覚、香りは臭覚、光は視覚。
「美」は五感を支配する女王であり、その女王への愛は、共感覚の世界に入ることを意味する。五感がそれぞれ独立した現実の世界では、それらの混乱は死につながるかもしれない。しかし、共感覚の世界では、現実の苦しみは和らぎ、日々の重荷から解き放たれた時間を過ごす、そんな可能性が開かれている。
「美」そのものに到達することは決してできないが、「美」を愛することで、日々の生に対するおぞましさは少なくなり、少しは重荷から解き放たれた生を体験することができる。

「美への参加」に共感する読者は、蜻蛉のように美しいものに引き寄せられ、焼かれてしまうかもしれない。しかし、その時には、「美」と同じように美しく燃え上がっている(flamber)していると、ボードレールは教えてくれる。
その意味で、詩だけではなく、絵画、音楽、映画等、さらには自然の姿、四季の移り変わり、要するに全てのものに美を見出すタイプの人間にとって、これほど素晴らしく、励ましになる詩はないだろう。

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