ボードレール 「芸術家の告白」Le Confiteor de l’artiste

第2段落では、全てのものが私を通して考えるのか、あるいは私が全てを通して考えるとあった。それが第三段落は、「私から発しようと、物の側から飛び出すとしても」という表現に変えられ、反復される。ある想念が主観の側に属しているのか客体の側に属しているのかわからないというのは、ボードレールの美学では中心的な概念の一つである。

Toutefois, ces pensées, qu’elles sortent de moi ou s’élancent des choses, deviennent bientôt trop intenses. L’énergie dans la volupté crée un malaise et une souffrance positive. Mes nerfs trop tendus ne donnent plus que des vibrations criardes et douloureuses. 

しかしながら、こうした想念が私から生じていようが、あるいは事物から生じていようが、すぐに強烈になりすぎる。官能に潜むエネルギーが、居心地の悪さをもたらし、苦痛がはっきりと感じられるようになる。私の神経は過剰に張り詰め、もはや叫びにも似た苦しげな振動しかしない。

「美への賛歌」でも、「旅」でも、あるいは(ou)という接続詞が重要な役割を果たし、美が天上から来ようと、あるいは地獄から来ようと、どちらでもいいという表現がある。「芸術家の告白」は主観と客体の間で揺れるのだが、そのことは、ルソー的な恍惚体験の中で大きな意味を持っている。目を閉じて湖の何の音を聞いていると、それが自分の鼓動の音と一人になり、私と外の自然とが一体化する。その時、主観と客体の区別はなく、どちらでもいいということになる。

そうした状態において、想念は強烈なものになる。広大な海と空を見て、単に美しいと感激するだけであれば、美は地上的なものに留まる。しかし、芸術家にとっては、美を求める強度(intensité)が過度(trop)になり、現実を超え、超現実(surnaturel)を喚起する。
その時、超自然な次元、イデアに向かおうとする官能的な欲望(volupté)のエネルギーは、現実に対する違和感を惹起し、苦しみ(souffrance)がはっきりと感じられる(positif)ものになる。
神経は弦楽器の弦のように振動(vibrations)し音を立てる。その音は耳障りで(criardes)、苦痛に満ちた(douloureuses)音だ。

プラトンに描く恋人がエロースに導かれてイデアに向かうように、芸術家も美し海と空の広大さに打たれ、美を希求する。しかし、官能の強さは耐えられないほどの苦痛や苦悩を伴う。それでも美を希求し、この世で苦しみに身を委ねるのが芸術家の宿命だと、ボードレールは打ち明けるのである。
また、一方では、エネルギーの過激さを示す言葉(trop intenses, l’énergie, trop tendus)を反復し、他方では、苦痛を意味する言葉(malaise, souffrance, criard, douloureux.)を連続的に用いる。これらの語彙は、彼の美学が、均整の取れた古典的な美ではなく、たとえ苦痛に満ちていようと、エネルギーに溢れた美を目指すものであることを示している。

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