ボードレール「美」La Beauté

Les poètes, devant mes grandes attitudes,
Que j’ai l’air d’emprunter aux plus fiers monuments,
Consumeront leurs jours en d’austères études ;

詩人達は、私の堂々とした姿勢を前にいる。
ひどく尊大な彫像から借りてきたような、その姿を前にして、
彼等は、厳めしい研究に日々を費やしているのだ。

二つの四行詩ではずっと「私」を主語とし、一人称で語ってきた美神が、最初の3行詩では、詩人たちを主語にして語り始める。

美神は、詩人達が彼女へ愛を捧げ、修行僧のように厳しい生活を送りながら、美の研究を続け、美を生み出すために日々を費やしていることを知っている。
そして、どんなに不動に見えても、実はその姿は、威厳のある彫像の姿からの借り物だと、ふと告白する。
「借りている様子(l’air d’emprunter)」という言葉は、美神の隠された心を明かしていると考えてもいいだろう。本当は詩人の愛に応えたくもある美神の心を。

Car j’ai, pour fasciner ces dociles amants,
De purs miroirs qui font toutes choses plus belles :
Mes yeux, mes larges yeux aux clartés éternelles !

なぜなら、私は、この御しやすい恋人たちを魅了するために、
曇りのない鏡をもっている。全てのものを美しくする鏡。
それは私の目。私の大きな目。その輝きは永遠!

最後の三行詩では、再び主語は「私」に戻る。そして、また台座の上で君臨する女神像に戻り、彼女を愛する者達を、扱いやすい恋人達と呼ぶ。
そして、その恋人たちを魅了するものが何か教える。それは彼女の目。

人間たちは美神の胸に殺到して傷ついたが、本当に彼等に愛を吹き込むのは、眼差しなのだ。確かに、ミロのヴィーナスの目の魅力には抗えない。その目を通して見た世界では、全てが美しく輝いているだろう。しかも色あせることなく、永遠に。

永遠の美は、この詩句の中で、« belles – éternelles »と、美と永遠が韻を踏んでいることで、形の上でも、音の上でも、押印を押されている。

美は永遠であり、美神に向けられた詩人の愛も永遠であることを、ボードレールは見事に詩句として定着する。
そして、その最後が、冒頭の« Je suis belle »(私は美しい)と響き合い、永遠の循環を生み出す。

ギリシア彫刻の女神を思わせる美神が一人語りする「美」というソネは、詩人に向けられた美の言葉であるが、その詩句自体が美を体現し、「美」の女神の姿を形作っている。

参考 : Commentaire du sonnet « La Beauté » par Laure Mangin

Léo Ferré

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