和様式の美の形成 飛鳥時代から平安時代へ

天平の静 貞観の動

天平文化(奈良時代)から貞観文化(平安時代初期)へと移行する中、大きな流れとしては、静的な像の表現が徐々に躍動感に溢れた動的表現へと変化する様子が見られる。

8世紀の初めに大宝律令が制定され、天武天皇以来の律令国家制が確立される。律令国家とは、王権の力を強化した中央集権国家。仏教はその際の有力なツールとして使われた。
遣唐使の派遣が盛んに行われ、唐の文化がほぼ同時代的に輸入された時代だった。

鑑真和上が開いた唐招提寺の薬師如来像は、どっしりとした体躯も顔つきをし、いかにも異国的だと感じられる。

唐招提寺 伝薬師如来像

こうした唐の文化の影響が強く感じられる中、多くの像で弥生的な受容が強かったのではないか。その一つの例が、興福寺の阿修羅像。

阿修羅にはいろいろな解釈があるが、基本的には戦いの神。そこで、阿修羅像の顔は厳めしいはず。

しかし、興福寺の像は穏やかで、白鳳時代の童顔好みが続いている。

興福寺 仏頭 阿修羅像 顔
興福寺、阿修羅像

この美しい阿修羅像は、愁いを含んだ、若々しい、美少年の顔をしている。

少し前の時代に作られた薬師寺の観音菩薩像も、穏やかな顔をし、静かな佇まいをしている。

薬師寺、観音菩薩像

こうした弥生的表現に対し、平安時代の初期になると、縄文的ともいえる表現が強くなる。
それには一つ理由がある。
8世紀の終わりに、奈良朝廷に反する動きが起こり、それまでの国家宗教としての仏教に対抗する形で、密教が導入された。密教は仏教の中でも神秘性、呪術性が強く、瞑想によって解脱成仏を目指した。そうした瞑想は都市の中でなく、深い山の奥などで行われ、民間の山岳信仰と結びつくことになった。

9世紀の初頭に活動した空海(弘法大師)の開いた高野山も、やはり山の中にある。
修験道の山岳信仰の中には、自然を神と見なす信仰があり、それは縄文的な感性とつながっているという説もある。神護寺の薬師如来像の堂々とした体躯は、唐招提寺の薬師如来像ともつながり、唐の仏像の模倣かもしれない。しかし、衣の力強い動きや、顔立ちの神秘性は、日本文化の古層である縄文的な表現とも見える。

神護寺、薬師如来像

この像からは、呪術的な雰囲気が強く感じられる。
同じ雰囲気は、新薬師寺の薬師如来像にもある。

新薬師寺、薬師如来像

平安時代前期である貞観文化の時代には、密教の影響が強くあり、都市の仏教から山岳の仏教へと移行した。そのことが縄文的な表現を再び強く表出させることに繋がったのだろう。

興福寺 四天王立像(増長天)

この素晴らしい躍動感は、縄文土器の燃え上がるような渦巻きの装飾を思わせる。

静の弥生に対して、動の縄文という図式を通して見ると、天平の静、貞観の動をよりよく感知することができる。

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