天空の城ラピュタ 生命の根源への旅

ラピュタから離れては生きられない

ラピュタという名前は、『ガリヴァー旅行記』に由来するけれど、宮崎監督によれば、名称だけはたまたま借りただけにすぎない。それは企画を通すための口実で、スウィフトの作品の内容はまったく忘れていたという。

ピーター・ブリューゲルの絵画「バベルの塔」に類似しているという説もある。
バベルの塔は、天上へと向かい、最後は崩壊するという部分では似ているかもしれない。しかし、ラピュタの巨大な飛行石は無傷で残り上昇を続けるのだから、これも物語を理解するためのヒントにはならない。

こうした知識を持つことは、発想を広げる上では重要かもしれないが、映画そのものから注意を引き離す可能性もある。ラピュタの意味は、映画全体の流れの中で考えることが大切である。

パズーとシータ、ドーラの海賊一味、ムスカを含む軍隊、全員がラピュタを目指す。
パズーにとって、ラピュタの存在は、父親の言葉を証明することにつながる。
シータとムスカにとって、ラピュタに到達することは、自分たちの故郷であるラピュタ王国への帰還を意味する。
ドーラたち海賊と軍隊の兵士たちにとっては、宝探しの目的地に他ならない。
このように、ラピュタを目指す目的は、それぞれ違っている。

その一方で、ラピュタが、冒険(試練)の果てに到達する目的地、様々な意味での宝島という意味では共通している。
では、みんなが目指すラピュタとは何だろう。

一つ目のヒントは、パズーとシータが地下世界で見た光景にある。

地下世界では、石が星のように輝き、美しい夜空のように見える。この光景を前にして、ポムじいさんは、「ラピュタが上空にあるとき、石が騒ぐのじゃよ」と告げる。
天空のラピュタと地底の石たちは対応しているのである。

このエピソードは、宮崎監督が意識していたかどうかはわからないが、ルネサンス時代に発展したコレスポンダンス(万物照応)の思想に基づいている。
コレスポンダンスとは、地上と宇宙の対応、ミクロコスモス(小宇宙=人間)とマクロコスモス(大宇宙)の対応を意味する。星の動きを見て人間の運命を予言する占星術は、こうした考え方に基づいている。

19世紀フランスの詩人ボードレールは、有名な詩「コレスポンダンス」の中で、万物が対応し、香りと色彩と音が互いに呼びかけ合う状態を見事に表現した。その中に次のような詩句がある。

暗く、深い、唯一のもの
その広がりは、夜のよう。そして、光の輝きのよう。

https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/

地底世界で明かされた天空と地下世界のコレスポンダンスを通して、ラピュタがボードレール的な「唯一のもの」であることがわかってくる。


島の上の部分は緑におおわれた楽園。島の下の部分は戦闘の武器そのもの。楽園でありながら、世界を支配するための武力でもある。
そうした二元性を知れば、ラピュタは人を幸福にも不幸にもするというシータの言葉が理解できる。

ラストシーンで、パズーとシータが滅びの言葉を発し、島の下部は崩壊する。しかし、巨大な飛行石はそのまま残り、上空に飛び去る。
そのエピソードによって、滅びは最終的なものではなく、再生可能であることが暗示されている。

「唯一のもの」は生も死も含む。というか、生と死が別れる以前の状態といえる。生と死、善と悪、美と醜等々、全てが存在する生命の根源。
登場人物たちにとってラピュタは、世界を支配する道具になったり、宝物になったり、父の形見になったりする。それは、ラピュタが全ての根源であるところから来ている。

ラピュタは全てを含む唯一の統一体であり、最終的には決して到達できない。一度達したとしても、決して永遠にそこに留まることはできない。ラピュタは上空に飛び去り、再び手の届かないところに去っていく。しかし、決して消滅することはなく、地球の上を飛びつつけ、地底の石たちを騒がせ続ける。

自分の信じるものへひたむきに進んでいくパズーは、ラピュタを心の中に抱きながら、いつかラピュタに到達することをいつまでも求め続ける少年でありつづけるだろう。

このように考えると、「天空のラピュタ」は、生命の根源である全ての統一体を求める永遠の旅の物語であるといえる。

ラピュタの奥深くに下り、巨大な飛行石の前で銃をかまえるムスカに対して、シータは、「土地から離れては生きられない」、「ラピュタは人類の夢」と叫ぶ。

それは決して、科学と人間を対立させ、一方を正しい側に置く意図を持った言葉ではない。

ラピュタが人類の夢なのは、決して到達できない根源的な生命そのものに他ならないからだ。
シータの言う「土地」をラピュタと言い換えることもできる。「人間はラピュタから離れては生きられない。」
宮崎監督がそこまで意識していたかどうかはわからない。しかし、ラピュタが「唯一のもの」のであり、生命の根源だとすれば、ラピュタは常に人間の心の中にあり、それが天上を浮游するラピュタと対応していると考えることもできる。

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