雲雀 万葉集の和歌とトゥルバドゥールの詩を通してみる日仏の美的感性

日本的思考がヨーロッパ的な思考と大きく違う点は、日常と理想、此岸と彼岸といった二元論的な区別に基づかないところだといえる。
時間は一瞬のうちに消え去り、全てはいつか滅びる。そこに悲しみを感じ、物のはかなさを嘆く。しかし、それだからといって、不在の永遠を求めはしない。今の連続に身を任せ、はかなさに美を見出す。そうした感性が、日本古来のものだろう。

家持の「うらうらに」は、そうした感性の見事な表現である。

うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば

うらうらに てれるはるひに ひばりあがり
こころかなしも ひとりしおもへば

のどかに春の日差しが照り、雲雀が舞っている。
私の心は悲しみに沈んでいる。一人、孤独に、物思いにふけるとき。

この句は、外界のうららかな季節と雲雀の飛ぶ景色の幸福感が、家持の孤独を際立たせ、彼の心の深い悲しみを歌ったものと、解されることがある。
時には、作者の境遇が引き合いに出され、権力争いに敗れ、不遇な晩年を送った生涯を反映していると言われたりもする。
別の解釈では、近代人に通底する孤独な自我に言及され、人間の孤独な存在に対する悲しみを歌った句だと解説されることもある。

しかし、『万葉集』の編者の一人である大伴家持のこの歌は、さらに深い、日本的な美意識を表現していると、読み説くこともできる。

日本では『古事記』に収められた古代歌謡の時代から、自然の事物に人の感情を託すことが行われていた。
恋心を伝えるのに花鳥風月が使われ、人の悲しみや喜びを山川草木で表現した。しかも、その自然は一般的な大自然ではなく、日常的にすぐそばにある、身の回りの自然の姿だった。
また、時間の経過は季節の移り変わりとして感じられ、春夏秋冬が過ぎては、再び巡って来る。
そこで、季節と自然の光景が一つとなり、春であれば梅の季節に鶯が鳴き、その後には雲雀が続く、等。
こうした定型化が、日本的な美の原型となったのだった。

このような考えに基づくと、和歌の中で花鳥風月が歌われるとき、それぞれの具体物は決して人間の心情の象徴としての役割を果たすだけはないことがわかってくる。梅は梅として、鶯は鶯として、美を感じられる。

梅も鶯も雲雀も、全てははかない存在であり、時の経過とともに消滅してしまう。決して永遠には存在しない。どのような生き物も、さらには無性物でさえも、淡くはかない、束の間の存在である。
その意味では、存在自体が悲しい。たとえ、人間が孤独であろうと、他者とともにいようが、生のはかなさは心を悲しませる。悲しみに特定の原因が必要ではない。

その現象を前にして、プラトンは永遠を求めた。しかし、日本的な感性は、そこに美を見出した。季節の移り変わり、花や鳥のはかなさ、月の満ち欠け、そうした動きに生命を感じ取った。そして、身近にある風物に対する哀れさの感覚を洗練させ、高度な美意識を作り上げた。

後の時代になると、この悲しみに無常観を読み取るようになるが、少なくとも、『古事記』や『万葉集』の時代には、その時その場での現象世界に心を動かされるのが、日本土着の感性だったと考えられる。
言葉を換えると、日常的世界の現在が美の対象だった。そして、その感性は今も変わってはいない。

家持の「うらうらに」の句は、春愁の気分を見事に表現し、万葉の時代から現在まで高く評価され続けていることが、それを証明している。

ベルナール・ド・ヴァンタドゥールの「陽の光を浴びて雲雀が」が永遠を目指すヨーロッパ的な美の表現だとすると、大伴家持の「うらうらに」は、此岸的、非超越的、現世的な日本的美意識を見事に表現しているといえる。

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