ルソーの夢想 自然との一体化 Jean-Jacques Rousseau et ses rêveries

波が寄せては引くのと同じように、意識も明滅する。
波の音が心臓の鼓動に代わってからも、かすかな意識が持っててくる。そして、また消滅する。

De temps à autre / naissait quelque faible et courte réflexion / sur l’instabilité des choses de ce monde / dont la surface des eaux m’offrait l’image : 

De temps à autre (時々)という副詞表現は、意識の回帰が一度限りの出来事ではなく、反復されることを暗示している。

quelque faible et courte réflexion
時々戻ってくる意識は、うつらうつらしている時のように、おぼろげで、短い時間しか続かない。

その時に考える内容は、この世の事物の不安定さ、はかなさ(l’instabilité des choses de ce monde)。時間の推移とともに、全てのものは消え去ってしまう。
湖の表現に見えるさざ波は、その不安定さの姿のように見える(l’instabilité (…) dont la surface des eaux m’offrait l’image.)。

興味深いことに、意識を現実に戻すきっかけは、水の姿であり、視覚による。
ルソーにおいて、視覚と聴覚が他の三つの感覚よりも大きな役割を果たすとして、視覚は現実に近く、聴覚は夢想へと誘う機能を担っている。
湖畔で夢想しながら、この世にあるものは全て儚いものだと頭のどこかによぎることがある。水の動きはそのはかなさを反映している。

プラトンは現実のはかなさに対して、不動のイデア界を想定し、イデアこそが真実であり、現実はその影にすぎないという哲学を打ち立てた。
ヨーロッパの思想は、概ね、プラトン哲学に基礎を置いている。

時間の流失は文学の主要なテーマでもある。多くの詩人が、時間の流れ去ることを嘆き、歌った。しかし、その態度は異なっている。

ルネサンス時代の詩人ロンサールは、今を生きる(Carpe Diem)ことを説いた。
https://bohemegalante.com/2019/03/09/ronsard-mignonne-allons-voir/

ロマン主義の代表的詩人ラマルティーヌは、不在の過去を理想とし、現在の欠如をメランコリックに歌い上げることで、抒情的な美を生み出した。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

20世紀の詩人アプリネールは、ミラボー橋の上で流れていくセーヌの流れを見つめ、今を捉え、言葉そのものの美を作り出した。
https://bohemegalante.com/2019/03/08/apollinaire-pont-mirabeau/

18世紀は啓蒙の世紀であり、感覚主義が時代の思想となっていた。ルソーの友人のディドロであれば、感覚が捉える現実の物質に哲学の原理を探った。
そうした中で、ルソーは、感覚が捉える事物に不安定性を感じ取り、自己と世界が溶け合う夢想を通して、今を永続的に捉える感性を作り上げる。

おぼろげに反省意識が戻ってくるときがあったとしても、単調な反復運動の中で、再び我を忘れる状態へと収束していくのは、そのためである。

mais bientôt / ces impressions légères / s’effaçaient / dans l’uniformité du mouvement continu / qui me berçait, / et qui / sans aucun concours actif de mon âme / ne laissait pas de m’attacher / au point / qu’appelé par l’heure / et par le signal convenu / je ne pouvais m’arracher de là / sans effort.

ここでは単調さ(l’uniformité)が強く意識される。単調で画一的なものは、刺激がなく、意識を眠りに導く。

ルソーの散文も、再び波の動きに戻り、3 / 7 / 3 / 13 / 4 / 2 / 10 / 8 / 2 / 5 / 8 / 9 / 3と、3音節で始まり、最後は3音節に戻ってくる。
その間、もっとも重要な単語である「単調さ」(uniformité)の入った文だけ13音節ととりわけ長く、私を揺り籠のように揺する(qui me bercait)という作用は4音節で告げられる。

文の基本的は構造は、主語のces impressions (そうした印象)と、動詞のs’éffaçaisent(消え去っいた。)という、最も基本的な要素から成り立っている。

その消え去った場所が、l’uniformité du mouvement (動きの単調さ)。
かすかな意識も、単調な動きの中で消えてしまう。

その動き(mouvement)に、三つの要素で説明が加えられる。
一つは形容詞。後の二つは関係代名詞quiによって導かれる文。

a. 動きは継続的。continu。

b. 動きは、私を揺する。(qui me berçait) 
動詞(bercer)は、揺りかご(berceau)を連想さえ、夢想者が湖の波の動きと音に揺られ、うとうととしている様を連想させる効果を持っている。

c. 動きは、私を強く引きつけるのをやめない。(qui (…) ne laissait pas de m’attacher)

3つめの、単調な動きが私を引きつけるという点に関しては、二つの仕方で、程度が示される。

a. 魂が積極的に働かない(sans aucun concours actif de mon âme)と付加的に言うことで、夢想の無意志的な側面が強調される。

b. au point que (の点まで)という程度を表す表現が使われ、意志の力を発揮させないと、そこから立ち去ることができないことが示される。

最後の文は、主語と動詞という文の主要素がもっとも重要な意味を担っていないことに注目しよう。意味の面でも、文のリズムも面でも、単調な動きという、状況を説明する副次的な要素が大きな役割を果たしている。それが言葉のリズムを生み出し、波が寄せては返すように、くねくれとうねって、読者を夢想に導いている。

岸辺にいる夢想者の前で、波が寄せては返す。その継続的で反復する動きが、この散文から感じられ、そのリズムにのって波の音も聞こえてくるように感じられる。
夢想を語る言葉のうねりが、読者を夢想に誘う。

私たちは、ルソーのように、スイスの美しい湖の畔にいるのではない。しかし、この音楽性豊かな散文を読みながら、水の音に誘われてうとうとと夢想するように、自己と世界との境目が溶け、世界と一体化する恍惚感を味わうことが出来る。
ルソーの言う絶対的な幸福をもたらすポエジーが、ここにはある。

ルソーの夢想 自然との一体化 Jean-Jacques Rousseau et ses rêveries」への4件のフィードバック

  1. 秋月 耕 2019年6月22日 / 5:27 PM

    >波が寄せては引くのと同じように、意識も明滅する。
    何だか、ストンと腹落ちするものがありました。

    いいね

    • hiibou 2019年6月23日 / 5:43 AM

      ルソーのこの文章は、日本人には分かりやすいようです。自己が自然と対峙する西欧的な思想からすると、腑に落ちないかもしれません。

      いいね: 1人

      • 秋月 耕 2019年6月23日 / 8:39 AM

        そうですね。対象と対峙するか、自身がそこに内包されるか、根本の発想の違いがありますね。

        いいね

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