ルソーの夢想 自然との一体化 Jean-Jacques Rousseau et ses rêveries

西欧的感性と日本的感性

自己と自然との一体化の中での絶対的な幸福感は、日本的に言えば、忘我の状態だといえる。我を忘れ、時間を忘れて夢中になるとき、日本人はもっとも幸せだと感じる。

こうした類似した状態でありながら、ルソー的な恍惚感と日本的忘我では、本質的な違いがある。

一つは、有と無。
ルソーであれば、内面の動きに波の動きが取って代わったとき、自分が100%存在しているという感覚を味わい、何も欠けたものがない状態にあると感じる。その自分が自分で満たされている状態を、神のようだと感じる。

他方、日本人にとっての忘我とは、我を忘れることであり、無の状態と考えられる。無は空であり、無我の境地が理想の心理状態と見なされる。

西欧人の思考では、無が肯定的であることは考えにくい。
こうして、同じ状態が、正反対の感覚で捉えられることに注意したい。

もう一つは永遠についての考え方。
ルソーは夢想の中で永遠を感じる。
現実世界には時間が流れ、全ては束の間の存在にすぎない。幸福なことがあっても、その状態は変化してしまい、相対的なものでしかない。
夢想ではその時間が止まり、永遠が出現する。だからこそ、幸福も絶対的なものになる。

日本では、永遠は現在の連鎖として捉えられる。
全てははかなく消え去っていく。全ては虚しく、時に押し流される。しかし、そのようなはかなさに美を感じる。永遠に続くもの(イデア)に美を感じるのではなく、消え去るもの、消え去ろうとするものに哀れみを感じ、美を読み取る。
そうした感性は、今の一時性を前提にした上で、今が次々と続くという時間意識を持っているからこそ、生まれてくるのだと考えられる。

吉田兼好は、心に浮かぶよしなし事を徒然なるままに書き記した。その思いは互いに関連がなく、一瞬のうちに消えてしまう。人の命ははかなく、人の心は信用できない。栄枯盛衰は早く、何事もあてにならない、等々。
こうした虚しい。しかし、それらは次々に生起する。全てのものははかなく消える。だが、今という一瞬の時は、次々に連続する。
この「次々に」というのが、日本的な時間意識の根本にある。

西洋の理想が永遠にあるとすると、日本の美は今の継起に由来する。

ルソーの夢想 自然との一体化 Jean-Jacques Rousseau et ses rêveries」への4件のフィードバック

  1. 秋月 耕 2019年6月22日 / 5:27 PM

    >波が寄せては引くのと同じように、意識も明滅する。
    何だか、ストンと腹落ちするものがありました。

    いいね

    • hiibou 2019年6月23日 / 5:43 AM

      ルソーのこの文章は、日本人には分かりやすいようです。自己が自然と対峙する西欧的な思想からすると、腑に落ちないかもしれません。

      いいね: 1人

      • 秋月 耕 2019年6月23日 / 8:39 AM

        そうですね。対象と対峙するか、自身がそこに内包されるか、根本の発想の違いがありますね。

        いいね

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