幽玄の美へ 鎌倉リアリスムから北山文化、東山文化へ

禅宗様(よう)と唐物(からもの)

鎌倉時代から南北朝にかけて、京都の貴族文化と対抗する形で、武士を中心とした封建社会を背景とし、新しい文化が生まれてくる。
その際、武士達は、禅宗の一つである臨済宗を後ろ盾にした。そして彼等が支持した芸術家達は、大陸の宋の文化をモデルとし、日本化を行っていった。

寺院建築では、大仏様(よう)を基本としながら、禅宗様(よう)も取り入れたものとして、東福寺の三門がある。

三門は、三解脱門の略。禅宗寺院の仏殿前に建てられる中門のこと。
東福寺の三門で大仏様なのは、軒下の造り。水平材が多用されて、横に広がるだけではなく、前にも張り出し、東大寺の南大門と似た外観をしている。
禅宗様の特徴としては、柱が上下が細くなった粽柱(ちまきばしら)や、柱と礎石の間に礎盤(そばん)を入れる点などがある。

円覚寺舎利殿は、少し後の時代、15世紀前半の建造だが、禅宗様式の建築物の代表的な例といえる。

造園にも特色があり、とりわけ石庭は禅の精神を見事に表現しているといえるだろう。

大仙院 書院庭園の枯滝組
瑞峯院 方丈前庭

龍安寺 方丈庭園

水墨画は、宋の山水画の日本的発展形といえる。

山水画は、墨のみを用い、「造化の真」を捉える絵画である。
表現を最小限に留め、余白に多くを語らせる。山水の景観を端に寄せて全てを描かず、白と黒だけの世界によって、暗示的に宇宙の全体を感じさせる。
そうした山水画の代表的な画家が、牧谿(もっけい、1264−94)。
彼の絵は日本に数多くもたらされ、大きなインパクトを与えた。

牧谿、漁村夕照図

牧谿、観音猿鶴図

宋から輸入された山水画の影響を受けながら、日本の画家たちも自らの水墨画を開拓していった。そうした絵画は「唐絵」と呼ばれた。

黙庵の「布袋図」や可翁の「和尚図」は、その最も優れた成果である。

黙庵、布袋図
可翁 蜆子(けんす)和尚図

このようにして、唐絵が日本化していく様子を確認することができる。

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