自然と人間 『源氏物語絵巻』の「御法」とフラ・アンジェリコの「受胎告知」

風景と心象

フランスでは、19世紀のバルビゾン派や印象派の絵画で、自然の風景が数多く描かれた。
ところが、その際、風景が人間の心のあり方を反映しているという議論は起こっていない。絵画の歴史の中で、自然の光景が心象風景と見なされることはなかったといってもいい。

19世紀半ば、自然の風景を写実的に描いた画家テオドール・ルソーの代表作「アプルモンの樫」。

Théodore Rousseau, Les Chênes d’Apremont 

画面の中央に置かれた雄大な木々。その上には青い空に白い雲が浮かぶ。
木々の下には牛たちが木陰で休んだり、真夏の暑い日差しの中、水の飲んだりしている。
その影の小ささは、太陽が真上にあり、正午に近いことを示している。
この絵画が与える印象は実際の風景の写生であり、画家の感情が込められているようには見えない。

こうした中で、文学では、自然を使い人の心の状況を描くことが、19世紀初頭のロマン主義の時代に流行した。
その典型は、ラマルティーヌの「湖」で描かれた湖の岩や波だろう。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

さらに遡ると、18世紀後半のジャン=ジャック・ルソーがスイスの湖の畔で経験した、自己と自然の一体化体験に行き着く。
https://bohemegalante.com/2019/04/21/rousseau-reveries-extase/

詩の世界では、19世紀後半のヴェルレーヌが、心模様と外界の雨と対応を、有名な「巷に雨が降る如く」の中で歌った。

Il pleure dans mon coeur
Comme il pleut sur la ville ;
Quelle est cette langueur
Qui pénètre mon coeur ?

巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん? (掘口大學訳)

https://bohemegalante.com/2019/07/26/verlaine-ariettes-oubliees-iii/

もしも、日本人にとって当たり前の「自然と心の対応」が、ヨーロッパ的感性にとっては特殊だとしたら、二つの文明のあり方を知る上で非常に興味深いテーマだといえる。

日本では『万葉集』の時代から、山川草木が人の心の表現であった。
この現象は決して擬人化ではなく、人間と自然がウチの関係にあったからだと考えた方がいいだろう。
https://bohemegalante.com/2019/10/25/monono-aware/2/

そのことを頭に置いた上で、酒井抱一の「夏秋草屏風図」を見てみよう。

酒井抱一、夏秋草屏風図

一陣の風が秋草を揺らし、蔦の紅葉を空中に舞わせている。大きく空いた中央の部分には、銀箔の上に墨で微妙な陰影が施され、右上の水の流れとともに、全てが時と共と運びされれる儚さが漂っている。そして、時の流れの無情さに由来する「あわれ」の感情が伝わってくる。
そこで、私たちはこの絵を屏風絵を見て、草花に「御法」と同じ感傷が込められているのを感じるのである。

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