ランボー「母音」 Rimbaud, « Voyelles » ボードレールを超えて  Au-delà de Baudelaire

おわりに

「母音」はしばしば、「見者の手紙」で表明された詩法に基づいて実現された詩だとみなされる。
« Je est un autre. »という表現の後、5月15日の手紙の中では、銅が目を覚ましてラッパ(clairon)になっているのに気づく、と続けらた。
「私」の後の動詞が« est »となっていることで、私から主観(subjectif)性が奪われ、それ(il)と同じになる世界。その意味で、客観的(objectif)な世界での出来事だといえる。

ランボーは最初こうした世界を共感覚的に捉え、A=黒の世界を描いた。
二番目の4行詩では、Eを純白(candeurs)、Iを緋色(pourpres)に固定し、パルナス派やロマン主義の詩的世界として提示。そこで表現されたのは、過去の詩であり、ランボーが超えようとした詩だった。

それに対して、次の六詩行は、言葉の錬金術の実験。
注意したいことは、それら二つの間に断絶があるのではなく、感覚を錯乱させるという意味ではボードレール的であり続けるということ。
その上で、終わりを強く打ち出し、逆接的に、始まりへの回帰を促した。そうした永遠の循環、永劫回帰は、U(V)とラテン語から作り出した« viride »、Oの円と« violet»によって表現された。

「母音」は、「言葉の錬金術」の中でランボー自身の言う「めまい」(des vertiges)が定着された世界だ。私たちの通常の感覚が乱された結果であるその錯乱が、全てを終わらせると同時に新しい出発を発動し、読者に命の水を与えてくれる。

「母音」、それは、読者の餓えに応じて、全ての感覚の連関を自由に解放する術を教え、未知の世界へと運んでくれる詩。その世界は常に循環し、新たなものとなる。

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