ジブリ・アニメの中の自然

もののけ姫

「青き清浄の地」は、「もののけ姫」になると、「しし神の森」として描かれる。

アシタカが最初に「しし神の森」に向かう時、数多くのこだまが現れる。

透明な身体をし、姿を現しては消えるこだまたちは、森が精神的な意味を持っていた時代に人が感じた「生命の気配」を体言しているのだろう。木や草しか見えず、誰も、何もいないはずなのに、何かがいる感じがする。

そうした気配を感じながら、森の小径を進み、しし神が姿を現す泉に到着する。

そこで、アシタカの助けた村人のキズが回復する。そのエピソードによって、しし神の不思議な力が暗示される。

次に泉が出てくるのは、深く傷ついたアシタカをサンが助ける場面。
アシタカは瀕死の重傷を負い、死を目前にしている。そのアシタカをサンはしし神の森に運び、泉の水に浸ける。そして、最終的には、生死を司るしし神が、彼を死から甦らせ、新しい命を吹き込む。

しし神が生だけではなく、死も司ることは、ディダラボッチという夜の姿であるによって示される。

しし神は、死と生、創造と破壊という、二つの側面を持つ。自然が人間に恵みをもたらすと同時に、災害も引き起こすことと対応していると考えると、そのことが実感できるだろう。

エボシの放った銃の弾丸によって首を跳ね飛ばされた神は、ディダラボッチの姿で全てのものを破壊し始める。照葉樹林の深い森はひとたまりもなく消滅していく。

しかし、自然が死に絶えることはない。自然は生命そのものであり、ディダラボッチが首を取り戻し、平穏が訪れるとともに、再生を始める。
その自然は、草原の緑に覆われた穏やかな山並みであり、かつての深い森の自然ではない。

宮崎監督は、かつての自然をそのまま再生させるのではなく、新しい自然の姿を描き出す。そのことで、自然とは生きているものであり、絶えず姿を変えながら、生をつないでいくことを見事に示している。

「もののけ姫」で示される自然観は、現実の自然を再現しているように見えながら、実は日本人が心の奥に潜ませている自然を描き出しているといえるだろう。
日本人にとって、自然は生命を持ち、神として敬われる。しし神はその象徴であり、しし神の森は様々な姿に姿を変えながらも、私たちの心の中に存在し続けている。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中