ヴェルレーヌ「詩法」 Verlaine « Art poétique » 何よりも先に音楽を La musique avant toute chose

第二詩節では、意味が話題になる。

Il faut aussi que tu n’ailles point
Choisir tes mots sans quelque méprise :
Rien de plus cher que la chanson grise
Où l’Indécis au Précis se joint.

すべきことは、
言葉を選ぶ時、思い違いの余地を残すこと。
何よりも愛しいのは、灰色の歌。
曖昧さと正確さが一つになる。

暗示の力が大きければ、それだけ読者の想像力を強く働かせることができる。その考え方に従えば、意味の次元でも、曖昧さを残した方がいい。
しかし、意味不明では、読者は参加の努力を止めてしまう。
両者のバランスが必要なのだ。

誤解(méprise)を避けないといけないと普通は考えられるが、ヴェルレーヌは思い違いを生む言葉を選択するように勧める。
意味が明確であることは理解を助ける一方、曖昧であることは暗示力を強くする。その両面が必要であり、その融合した詩を、灰色の歌(la chanson grise)と呼ぶ。

詩は歌(la chanson)であり、その歌は原色ではなく、曖昧な色であることが望ましい。

第三詩節では、音楽的な詩の喚起する映像が展示される。

C’est des beaux yeux derrière des voiles,
C’est le grand jour tremblant de midi,
C’est, par un ciel d’automne attiédi,
Le bleu fouillis des claires étoiles !

ヴェールの後ろの美しい目。
正午の素晴らしい明るさがゆらめく。
生暖かい秋の空に浮かぶ
明るい星々の青い寄せ集め。

詩の歴史には、「詩は絵画のように」ut pictura poiesisという伝統があった。
古代ローマの詩人ホラティウスの「詩法」から来た表現で、詩が絵画と同じような美しいイメージを描く芸術だという考え方の基礎になっている。

ヴェルレーヌもその伝統に基づき、3つの絵画を描く。
その絵画は、明確な輪郭線で物の形がはっきりと描かれた古典主義的な絵画ではなく、印象派的なゆらぎを含んでいる。

一枚目の絵は、美しい目のみに言及される。その目は、ヴェールの後ろに隠されている。オリエントの女性たちのように。

Bellini, Saint Marc prêchant à Alexandrie (détail)

二枚目は、正午の素晴らしい日差し。しかし、垂直に風景を照らすのではなく、揺らめいている。この揺らぎは、印象派の絵画を思わせる。

テオドール・ルソーとクロード・モネの風景画を見比べてみよう。

Théodore Rousseau, Les Chênes d’Apremont Théodore Rousseau,
Claude Monet, Meules, milieu du jour

テオドール・ルソーの正午の日差しは垂直に降り注ぎ、カシの木の陰が小さく固まっている。
モネの昼の日差しはおぼろげで、揺らぎが感じられる。
ヴェルレーヌの詩句の日差しには揺らぎ(tremblant)があり、印象派の絵画を思わせる。
「詩法」の書かれたとされる1874年は、第一回印象派絵画展が開催された年。ヴェルレーヌの詩と印象派の絵画に類縁性があっても、不思議ではない。

3つめの描写は、秋の空と星々。空には、生暖かいという形容がされ、曖昧な感じがする。

それ以上に問題なのは、矛盾するイメージが重ねられることで、絵画としての像を結ばないことである。
青い色は空を思わせるが、その明るい空に星があっても、明るくは見えない。
その上、青いのは星の寄せ集め(fouillis)。星々が雑然と積み重なっている映像を想像するのは難しい。
そのような言葉を重ねることで、ヴェルレーヌは、この詩句に強い暗示力を与えている。読者はより強い参加を促され、詩句から何かを読み取ろうと想像を巡らせる。

第四詩節は、音楽的な詩句の効果が謳われる。

Car nous voulons la Nuance encor,
Pas la Couleur, rien que la nuance !
Oh ! la nuance seule fiance
Le rêve au rêve et la flûte au cor !

なぜなら、我々が望むのは、さらなるニュアンス。
色彩ではなく、ニュアンスのみ。
おお! ニュアンスのみが結び合わせる、
夢と夢を、フルートとホルンを。

奇数の音節、意味の揺らぎ、おぼろげな映像、全てがニュアンスを生み出すことにつながる。

ヴェルレーヌは、一つの詩節の中で、ニュアンスという言葉を3回繰り返し、しかも最初の単語の先頭は大文字にし、固有名詞のような役割を与える。
さらに、la Nuanceをla Couleurと対比させ、原色ではなく、微妙な色合いを詩句に求める。

そのニュアンスだけが、夢と夢を一つにするという。
夢という言葉を重ね、それらを一つにするということ自体、明確な意味を作り出さない。むしろ、誤解や思い違いを生み出す表現といってもいいだろう。「言葉を選ぶ時、思い違いの余地を残すこと」の実践である。

フルートとホルンに関しても、同じことがいえる。しかし、こちらは楽器であり、音楽をもう一度思い出させる。

4つの詩節を通して詩の創作法が示され、音楽的な詩句をどのように作るのかが解説されてきた。その最後に至り、フルートとホルンの音楽が流れることになる。

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