フロベール 『ボヴァリー夫人』冒頭 その3 Flaubert, Madame Bovary, incipit, 3/3

笑いの対象が、帽子から名前へと移行する。この場面でも、先生の命令がリズム感を作り出す。

— Levez-vous, reprit le professeur, et dites-moi votre nom.
Le nouveau articula, d’une voix bredouillante, un nom inintelligible.
— Répétez !
Le même bredouillement de syllabes se fit entendre, couvert par les huées de la classe.
— Plus haut ! cria le maître, plus haut !
Le nouveau, prenant alors une résolution extrême, ouvrit une bouche démesurée et lança à pleins poumons, comme pour appeler quelqu’un, ce mot : Charbovari.

「立ちなさい。」と先生。「名前を言いなさい。」
新入生は、もごぼごとよくわからない名前を発した。
「もう一度!」
同じようにもごもごした音が聞こえ、クラス中からからかう声が上がった。
「もっと大きな声で!」と先生が叫んだ。「もっと大きな声で!」
新入生は、これ以上ないといった決心をし、大きく口を開け、胸から一気に空気を吐き出して、誰かを呼ぶ時のように、あの名前を言い放った。「シャルボヴァリ。」

「名前を言いなさい。」という命令から、「シャルボヴァリ」が出てくるまで、サスペンスが長く続く。帽子の描写の長さと匹敵する長さといっても過言ではない。

ここでも、問題の生徒は「新入生」と二度繰り返される。相変わらず名前が伏せられていて、それを強調するために、あえて「新入生」という言葉が何度も反復される。

最初に生徒の口から名前が発せられたときには、「よくわからない名前」と言われ、誰も聞き取ることができない。

最後に名前が出てくる一文でも、その前に様々な状況が付け加えられ、「新入生」という主語から、最後の「シャルボヴァリ」まで、読者は長く待たされる。
ここでは、クラス中で新入生の名前を待つ期待感が、文章そのものによって体現されている。
フロベールの文が、意味を伝えた後でも、文そのものとして残る。
現実の再現ではなく、言葉の力に文学的な価値が置かれる時代の到来。
帽子の描写とシャルボヴァリのエピソードは、そうした新しい時代の芸術観を告げている。

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