風の谷のナウシカ 交感する力

交感力

ナウシカのもっとも大きな力は、交感力である。
その力によって、彼女は風を捉え、颯爽と空を飛び回ることができる。
それ以上に大切なことは、オームと心を通わせ、虫たちの怒りをなだめること。
ユパの腕を傷つける前のナウシカは怒りにまかせて相手と戦い、相手を殺す、戦士的な側面もあった。
しかし、それ以降は、複雑に敵対する勢力の和解者となり、憎悪の塊とされるクシャナでさえナウシカに共感を覚えるようになる。

こうした共感の力は、ナウシカのモデルとしてあげられるギリシア神話のナウシカや虫愛づる姫に由来する。彼女たち3人は、他の人達から恐れられ、嫌われる存在と心を通わせる能力を共有しているのだ。

ナウシカの交感力をもっともはっきりと示すのは、映画のラスト・シーン。
風の谷に突進するオウムたちの大群を止めるため、ナウシカは身を投げ出し、その結果、弾き飛ばされて死んでしまう。。
その時、オームたちの触覚が伸び、青い服を着た彼女を空に向かって持ち上げる。

この場面は、「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。」という伝説の実現した姿ということはすぐにわかる。
注目したいことは、黄色の野が、オームたちの触角だということ。

オームたちは、これまでにも何度かナウシカに触角で触れ、彼女と交感してきた。


最初にナウシカが虫たちの怒りをなだめるために使った手段は、ユパを救うための虫笛と閃光弾だった。

しかし、それから後は、虫の前にじっと立ち、触手で触れられるままになることで、虫に自分の気持ちを伝えてきた。

その気持ちとは、言葉にすれば、「もう殺さないで。」ということだろう。
子ども時代の思い出の中でも、小さなオームをかくまったいるのを見つかってしまった虫愛づる姫君ナウシカは、大人たちに向かって、「殺さないで」と泣きながら懇願する。
オームとその気持ちを伝え合うときには、じっと虫の前に立ち、受動的に触手に障られるままにするのが唯一の方法だといえる。

空をさっそうと飛ぶのが風の谷の姫の外の姿だとすると、彼女に宿る交感力は触角に基づいている。

最後に、オームの大群が無数の触角を合わせ、金色の野を形作ったとき、交感力も最高に達する。
それは奇跡の瞬間であり、死んだナウシカが甦る時となる。

宮崎監督は、この場面について、宗教画のようで違和感があると言う。確かにリアルな物語としては現実味に欠けるかもしれない。
しかし、触角と交感力を絵画的に最大限に表現したという意味で、納得のいく画像ではないだろうか。

「風の谷のナウシカ」の中では、交感と触覚を密接に組み合わされていることが、この場面からはっきりと理解できる。
この映画では、オームの触角によって、交感の力が感覚的に伝えられている。

人間には五つの感覚器官がある。
目ー視覚、
手ー触覚
耳ー聴覚
鼻ー臭覚
舌ー味覚
さらに、五感を全て統合する感覚である「共通感覚」の存在が指摘されることもある。

現代人の中で、もっとも支配的な感覚は視覚。
百聞は一見にしかずと言う諺があるように、見えるものは実在すると考えるのが普通である。実際、他の感覚と比べて、認識能力が高い。顔を見れば人の見分けがつくが、香りや手触り、声だけでは、その人かどうかは不確かなことが多い。

聴覚については、絶対音感を持つ人もいるが、二つのピアノの音を聞き分けるのはかなり難しい。視覚ほど微妙な区別はつかない。

臭覚の識別作用は、さらに弱い。
その一方で、鼻の中で感じる感覚であり、体内に入り込むという特色がある。
微細な臭い物質は目に見えず、感覚を刺激する。
ボードレールが詩の中で香水を題材にするのは、目に見えない力が人間に強い影響力を持つからに他ならない。

味覚は、その対象と接触し、そこで受容が行われる。従って、対象と離れて感じる視覚、臭覚とは大きな違いがある。
また、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本だが、個人差が大きく、認識機能が明確ではない感覚だといえる。

「風の谷のナウシカ」でもっとも重要な感覚は、触覚だろう。
触覚は、味覚と同じように、皮膚にある受容細胞の働きである。手と物との接触が必要になる。その意味で、視覚とは反対の感覚である。
見るためには距離が必要。それに対して、触ると距離がなくなる。そのため、触ることと触られることが一体化する。視点の転換によって、触る主体と触られる客体が、瞬時に逆転する。
視覚の場合、視線は一方通行の可能性があります。見ているけれど、見られていないということは、しばしば起こりえる。
それに対して、触覚の場合には、互いに接して状態なので、触っていると触られているは同じ状態の二つの側面ということになる。

このように考えると、なぜ触れることが交感と深くかかわっているのか、理解できる。オームに触れられているナウシカは、オームに触れていることにもなる。視覚とか比べものにならないほどの親密さが生まれてくるのだ。

触れる・触れられるの相互作用は、「風の谷のナウシカ」の複雑に入り組んだ世界の中で、何一つ一方的でないことの根源的な理由でもある。
全てが交感する世界では、善も悪もその時、その場の関係の中でしか決まらない。

そうした世界観が、湿潤な地帯に広がる照葉樹林的感性と対応し、ネバネバした食品を好む文化を持つ、日本的あり方の典型となっているのではないだろうか。

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