ネルヴァル 「黄金詩篇」  ピタゴラスと共に Nerval, « Vers dorés », avec Pythagore

Crains, dans le mur aveugle, un regard qui t’épie :
À la matière même un verbe est attaché…
Ne la fais pas servir à quelque usage impie !

恐れよ、盲目の壁の中、お前を見張る視線を。
物質にさえ、言葉が繋がれている。
物質を、不信心な用途に使わせないこと!

壁に視線を感じることは、誰でも経験があるだろう。
ネルヴァルは、壁に「盲目な」という形容詞を付けることで、視線の存在が不可解であることを際立たせている。

余談になるが、「恐れよ、盲目の壁の中、お前を見張る視線を」という詩句は、一人の日本の詩人の印象に強く残り、彼は繰り返し口ずさんでいたという。
詩人の名前は富永太郎。
中原中也と小林秀雄の共通の友人で、二人を知り合わせたことでも知られている。

人から見られているという「気配」を感じることは、無性物まで含めた全てのものに生命が宿っているという世界観に通じる。「気配」によって、目のないところに目を感じ、人のいないところに人を感じる。こうしたおぼろげな存在感は、日本的感性にとって、ごく自然な感覚なのだろう。

物質に結びつく言葉(verbe)という意味は、キリスト教の知識がないと理解が難しい。
「ヨハネ福音書」は、「はじめに言葉ありき(Au commencement était le Verbe))」という表現から始まる。その言葉とは、天地創造が行われる「創世記」の冒頭で、神が「光あれ。」と言葉を指していると考えられる。
そして、神の言葉が発せられると、「光があった。」(Or, Dieu dit : Que la lumière soit faite ; et la lumière fut faite. )

ゲーテは『ファウスト』の中で、このエピソードを取り上げ、言葉(ロゴス)をどのようなドイツ語に訳すのか自問する。そして、最初は「意(こころ)」とし、次に「力(ちから)」、最後は「業(わざ)」とする。(森鴎外の訳による。)
ジョルジュ・サンドやネルヴァルによれば、ゲーテはパンテイスト(汎神論者)だった。従って、彼の訳のように、言葉を力や活動と考えることは、キリスト教から離れ、全てのものに生命があると考える世界観に基づいているといえる。

同様の視点から、ヴィクトル・ユゴーの影の口(la bouche d’ombre)は、神を「巨大な磁石(le grand aimant)」だと言う。このイメージは、「金属に愛の神秘(le mystère d’amour)が宿る」という詩句を連想させる。
愛すること(aimer)は二つの存在を引き寄せることであり、磁石の目に見えない力は神秘に属すると考えてもおかしくない。

物質に言葉が宿るということは、物質にも命が通っているということと等しい。その上で、言葉は神を連想させる。そのために、ネルヴァルは、一つの教えとして、物質を冒瀆な用途に使わないようにと命じる。

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