ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術

− Calmes maisons, anciennes passions !
Kiosque de la Folle par affection.
Après les fesses des rosiers, balcon
Ombreux et très bas de la Juliette.

静かな家々よ、昔の情熱たちよ!
恋のために狂ってしまった娘のあずまや。
バラの茂みのケツの後ろにあるのは、
ジュリエット嬢の、低く暗いバルコニー。

いくつかの家が目に入ると、そこではかつて激しい恋愛が繰り広げられたのではないかと想像する。

あずまやを見ると、恋のために気が狂った娘を思い描く。オフェーリアでもいいのだが、ここではジュリエットを想像する。
あずまやのように見える家の庭にバラが見え、その少し上にはバルコニーが見える。バルコニーと恋する娘とくれば、誰しもがジュリエットを思い浮かべるだろう。

ランボーらしいのは、バラの茂みの後ろを指すのに、「ケツ (fesses)」という下品な言葉を使うこと。詩には相応しくない言葉をあえて使うことで、高貴であった詩的世界と日常世界の境目を取り払ってしまう。

現実と想像世界の境目がないだけではなく、言葉のレベルでも高尚と日常の区別をしない。
彼は、この時、18才になるかならないくらい。新婚のヴェルレーヌを奥さんから奪い取り、イギリスに渡ろうとしていた。
彼には、詩作も普段の会話の一部だったことだろう。平気で汚い言葉を使い、易々と詩を書いてしまう。
小林秀雄の表現を借りると、ランボーが吐き出したら「泥でも輝く」、ということになる。

− La Juliette, ça rappelle l’Henriette,
Charmante station du chemin de fer,
Au cœur d’un mont, comme au fond d’un verger
Où mille diables bleus dansent dans l’air !

ジュリエットちゃん、そいつはアンリエットちゃんを思い出させる。
鉄道の魅力的な駅。
山の真ん中にある。果樹園の奥にあるように。
そこでは、幾千もの青い悪魔が空中で踊っている。

音による言葉遊びはランボーの得意技だ。
ジュリエットとアンリエットは何の関係もない。ただ、リエットという音が共通するにすぎない。そこに特別な意味はない。
ランボーのすごいところは、語呂合わせや音のつながりから、多くの読者が自由な連想をして、特別な意味を作り出すことにある。
ランボーは適当なことを言っているのに、読者の方で勝手に意味を見つけ出し、彼の詩句を素晴らしいものと思い込む。それだけ読者を高揚させ、彼の詩的世界に誘い込む魅力を持っている。

アンリエットに関しても、ランボーの想像力は疾走する。鉄道の駅の名前で、駅が山の中にあるというのは、現実とは関係がない、言葉の羅列。
山の真ん中から果樹園の奥というイメージが導き出され、悪魔の踊りへと、空想が飛躍する。

悪魔の青は、大通りの青と共鳴している。大通りの青い影を目にして、悪魔の姿を思い描く。もしかすると、隣にいるヴェルレーヌに、あれは悪魔に違いないなどと言っていたかもしれない。
現実から空想への切れ目は、ランボーにはない。

ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術」への2件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中