ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエッタ その1」  Verlaine « Ariettes oubliées I » 日本的感性とヴェルレーヌの詩心

第2詩節では、原初の歌が様々な表現に展開する。

O le frêle et frais murmure !
Cela gazouille et susurre,
Cela ressemble au cri doux
Que l’herbe agitée expire…
Tu dirais, sous l’eau qui vire,
Le roulis sourd des cailloux.

ああ、か弱く新鮮なつぶやき!
それは、ピーチク歌い、ヒューと鳴く。
それは、優しい叫びに似ている、
揺れた草が最後に発する叫び。
君なら言うかも知れない、くねりながら流れる水の下で、
小石たちが音を立てず揺れている、と。

小さな声の合唱が、生まれたばかりで、ひっそりとしたささやき声だと言い換えられる。そして、次々に具体的なイメージを与えられていく。

第2詩句と第3詩句の最初に、Celaが先頭で反復され、アナフォールになっている。このCelaは前節のC’estを置き換えたものだが、状態から動きへの進展を促している。
C’estの動詞はêtreで状態を示していた。Celaは代名詞であり、動詞を必要とする。実際、gazouiller, susurrer, ressemblerという動詞が続き、動きが与えられ、具体化されていく。

gazouillerは鳥の鳴き声を思わせる。ここでは、鳥を連想させるためにピーチクというオノマトペを入れた訳語にした。
susurrerは、口笛のような小さく高い音を思わせる。
掘口大學の訳では、「虫のごと忍び泣く」となっている。彼はgazouillerを「鳥のごとささ鳴きし」としているので、虫のイメージを付け足したかったのだろう。ただし、susurrerは高い音なので、ひそかな忍び泣きとは違う音だろう。

次にCelaがもう一度繰り返され、草が揺れて立てる音を喚起する。expirerは息が絶えるという意味なので、風に吹かれ始めたときではなく、風が止み、草の動きが止まりそうになった時の、小さな音なのだろう。
その際、叫び声criと穏やかなdouxという言葉が重ね合わされ、ちょっとしたオクシモロン(矛盾する言葉の組み合わせ)が使われている。

5行目の詩節の最初に、いきなり君tuが出てくる。それが誰なのか、どこにも記されていない。誰だかわからないのだが、とにかく、話しかける相手が意識化されていることはわかる。

この詩を書いた時期、ヴェルレーヌの同伴者といえばランボーだった。そこで、ランボーに向かって、「君ならこう言うだろうね。」とヴェルレーヌが言ったのか、あるいは言うことを想像していると考えることも可能だろう。

「君」なら、密かな歌は、小川の底にある小石たちが、何かの拍子に揺れて立てた音だと言うかもしれない。
このイメージは、それまでの自然な発想とは違い、かなり無理がある。水が流れて石が揺れたとしても、ぶつかる音は聞こえない。音が聞こえるとしたら、視覚のイメージが聴覚を刺激し、音のイメージを生みだしたことになる。五感の一つが別の感覚と連動する共感覚だ。
ヴェルレーヌもランボーも、ボードレールに続き、詩の原理として共感覚を用いた。しかし、水中の中の石の音は現実的ではなく、その意味で、こうしたことを言うのは、ランボーの方が相応しいと考えることもできる。

このようにして、第2詩節では、原初的なつぶやきが、鳥や草や小石などの音として展開された。それら全てがヴェルレーヌのアリエッタの表現である。

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