ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その1 自由への旅立ち

ボードレールの導き

ランボーを旅に駆り立て、彼の想像力が産み出す世界で大航海へと向かわせるのは、ボードレールの詩だったに違いない。

「旅への誘い(L’Invitation au voyage)」は、直接的な誘いになっただろう。

それ以上に重要なのは、『悪の華』第2版(1861)の最後に置かれた「旅(Le Voyage)」。
その詩の最後で、ボードレールは次のように歌った。

Ô Mort, vieux capitaine, il est temps! levons l’ancre !
Ce pays nous ennuie, ô Mort! Appareillons!
Si le ciel et la mer sont noirs comme de l’encre,
Nos cœurs que tu connais sont remplis de rayons !

おお、死よ、年老いた船長よ、時がきた! 錨を上げよう!
この国に我らはうんざりしている。おお死よ、出港しよう!
空と海が墨のように黒くとも、
お前のよく知る我らが心は、光に満たされている!

この一節は、新しいものを求め、新しい詩を創作しようという詩人の姿を見事に表現している。

Mort(死)に対する呼びかけは、この世、現実、これまでの伝統から離れることを意味する。
この国は退屈。出航するしかない。
普通だったら美しい空も海も、今は墨のように真っ黒。それに対して、これから出航していく大海原は、光に満ちあふれているだろう。
その大海原は、私たちの心に他ならない。ということは、現実から離れて向かう先は、人間の内面でもある。
そのようにして、未知の大海原=宇宙(マクロコスモス)=人間(ミクロコスモス)のつながりが示される。

Verse-nous ton poison pour qu’il nous réconforte!
Nous voulons, tant ce feu nous brûle le cerveau,
Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ?
Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !

我らに毒を注いでくれ。気持ちが楽になるよう!
我らが望むこと、それは、この炎が我らの脳髄を燃やす限り、
深淵の底に沈むこと。地獄でも、天国でも、どちらでもいい?
未知なるものの底で、新たなるものを見出すことだ!

毒を注いでくれという死に対する呼びかけは、この世を離れるという意味。そして、ボードレールは、未知なるもの(l’inconnu)の底に潜り、新たなるもの(du nouveau)を見つけることを望む。

その際、未知なるものは、地獄でも、天国でもどちらでもいい。そのことは、地上での価値観は意味を持たず、地上から遠く離れていることだけが、「新たなるもの」の発見を可能にすることを意味している。
新しい世界に旅立とうとするとき、自分の内面に未知なる場所を見出し、自己の深淵に下っていくという詩節は、示唆に富んでいる。

ランボーは、故郷のシャルルヴィルを旅立ち、パリの詩人たちの許に向かう。それは、新しい詩への旅立ちでもあった。
ボードレールの「旅」の詩句は、その出航を促す役割を果たしたことだろう。

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