ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その1 自由への旅立ち

出航 束縛と自由

「酔いどれ船」は、それまでの主流だったものから自由になり、新たなものを生み出しつつあった時代を背景として、束縛と自由を歌うところから始まる。

まず、詩全体の雰囲気を味わうために、ジェラール・フィリップの朗読を聞いてみよう。

熱に浮かされたようなこの朗読。ジェラール・フィリップは詩に酔っているとしかいいようがない。

ランボーの船は酔っている(ivre)。
この酔いもボードレールによって命じられたものだろう。「酔いたまえ。」
https://bohemegalante.com/2019/07/15/baudelaire-enivrez-vous/

酩酊船はこうして出航する。

Comme je descendais des Fleuves impassibles,
Je ne me sentis plus guidé par les haleurs :
Des Peaux-Rouges criards les avaient pris pour cibles,
Les ayant cloués nus aux poteaux de couleurs.

無感覚な「大河」を下りながら、
ぼくはもう、船を曳く人々に導かれているようには感じなかった。
大声で叫ぶアメリカン・インディアンたちが、やつらを標的にして、
裸にして磔にしたんだ。色とりどりの旗ひらめくマストに。

私たちにとって、船を曳く人(haleur)というのはわかりにくい。フランスでは、船が川を進むとき、人や馬が岸辺にいて、綱をつけて引っ張っることがあった。その時、綱に繋がれて導かれていた船に自由はなかった。

ランボーの酔いどれ船は、その束縛から解放され、自由を得る。そして、大河を下っていく。

その河は、苦痛(impassible)を感じない。その形容詞は、感情を動かされない、苦しみを感じないという意味だが、当時主流だったパルナス派の詩の中心的な概念でもある。無感動で、形の美を追究する詩。
それまではパルナス派的な詩の流れの中にいたけれど、これからは自由になるという宣言がここでなされていることになる。

綱を曳いていた男たちは、アメリカン・インディアン(des Peaux-Rouges)によって船のマストに縛り付けられ、磔になってしまった。

綱を引く人々が旧大陸(ヨーロッパ)の伝統を、新大陸(アメリカ)の原住民たちが革新や変化を象徴すると考えれば、この4行は、刷新への第一歩を記していると読み取ることができる。

J’étais insoucieux de tous les équipages,
Porteur de blés flamands ou de cotons anglais.
Quand avec mes haleurs ont fini ces tapages,
Les Fleuves m’ont laissé descendre où je voulais.

ぼくは、乗組員たちの誰にも関心がなかった。
フランドル地方の小麦とか、イギリスの綿花とかを運んでいるだけだ。
船曳きたちが静かになると、騒ぎも収まり、
「大河」はぼくを勝手に下らせてくれた。行きたいところに。

Porteur de blés flamands ou de cotons anglais.

フランドル地方の小麦とイギリスの綿というのは、これまでの伝統を意味しているのだろう。まだ船の荷物はこれまでのまま。

他方で、束縛を意味する船曳きたちは息絶え、船の乗組員たちの動きもなくなる。船を操縦する人間は消え去り、河の流れに従って行くことになる。

その行き先は、「ぼくの行きたいところ。」 束縛から自由への移行が、この言葉によってはっきりと示される。

続く第3詩節から第5詩節では、船(「私」)が「大河」から海に出、海岸近くから沖へと流されていく姿が描かれることになる。

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