ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その2 詩の大海原

詩の大海原

第6ー7詩節では、ランボーは彼が考える新しい詩について、詩と海を重ね合わせて、詩句を展開する。
そのことは、le Poème de la Merという表現、とりわけPとMが大文字にされ、
poèmeとmerが固有名詞化されることで暗示される。

第6−7詩節

Et dès lors, je me suis baigné dans le Poème
De la Mer, infusé d’astres, et lactescent,
Dévorant les azurs verts ; où, flottaison blême
Et ravie, un noyé pensif parfois descend ;

Où, teignant tout à coup les bleuités, délires
Et rhythmes lents sous les rutilements du jour,
Plus fortes que l’alcool, plus vastes que nos lyres,
Fermentent les rousseurs amères de l’amour !

その時から、ぼくは身を浸した。「海」という「詩」に。
その詩は、星々が注入され、乳白色で、
緑の蒼穹を貪り喰っている。そこでは、青白く浮かび、
魂を奪われた、物思う水死体が、時として下っていく。

そこでは、あっという間に青い大海原が染められる。錯乱と
ゆっくりとしたリズムの大海原が、日差しの輝きに照らされて。
酒よりも強く、竪琴よりも広大だ。
愛の苦々しい赤茶色の染みが発酵する !

「海」という「詩」。le Poème de la Mer. PとMが大文字になり固有名詞化し、酔いどれ船が航海する海が、詩であることが明示される。
酔いどれ船を呑み込んだ大浪の海は、詩そのものなのだ。

葛飾北斎、神奈川沖波裏

第一詩節で、船は無感覚の大河を下だり、船曳たちに引っ張られる状態から自由になる様子が描かれていた。
苦痛を感じない、無感覚な(impassibles)というのは、感情よりも形体に重きを置く詩の流派、パルナス派の標語のような言葉だ。
そのことから、詩を書き始めた時のランボーは、当時の大詩人(例えばバンヴィル)に従って、パルナス派的な詩を目指していたことがわかる。

大海での難破は、当時の詩の流れから完全に離れることを意味している。
そして、嵐が吹き荒れる海を詩として描く。

では、その海=詩はどんなものなのか。ここでは、3つの説明が施される。

1)
惑星がちりばめられ、乳白色(lactescent)。Lactescantは、la Voie Lactée(天の河)を思わせる。そして、緑の蒼空(les azurs verts)を呑み込んでいる。
こうして、空や星が地上の海に映り込んでいる状態が描かれている。それは、天と地が一つになっている状態を指していると考えてもいいだろう。

もう一点注目したいのは、蒼穹(azur)。マラルメが自己の詩法を展開した詩「蒼穹(l’Azur)」を思わせる。
https://wordpress.com/view/bohemegalante.com

2)
その海には時に死体が浮かぶ。青白く、魂を奪われたよう(ravie)。
その溺死者は、詩人だ。
これまでにも多くの詩人たちが、詩の大海原に漕ぎだし、命を落としてきた。
「下る(descendre)」という言葉は、第一詩節の冒頭の「ぼくが大河を下る」という詩句と対応し、ぼくも詩の海で溺死する可能性が示される。

3)
第七詩節は、そこでは(où)で始まり、4行全体がランボーの目指す詩を描く。
まずここで、« Bleuité »と言う単語に注目しよう。それはランボーが作り出した新語(néologisme)。新しい詩を目指す彼は、「海という詩」の色彩を青に染め、bleuから新たな言葉を創造する。

その後、その青いもの(bleuités)に対して、錯乱とゆっくりとしたリズムを同格に置き、詩とは錯乱であり、リズムであることを示す。そのリズムは、「言葉の錬金術」の中で好きだと言われる「純朴なリズム(rhythmes naïfs)」とも対応する。

それらは日の光に照らされて突然染まる(teignant)のだが、染める主体はなかなか示されない。
酒より強く、竪琴より広大だと言われるだけだ。
では、強く広大なのは、染まる青なのか、染める主体なのか。謎は続く。

そして最後に、やっとこの節の主語と動詞が出てくる。
主語は、赤茶色のもの(Les rousseurs)。
動詞は、発酵する(fermenter)。
赤茶色のものは、愛(l’amour)から発し、苦い(amer)。そして、青い海原を思わせる錯乱やリズムを、陽の輝きの中で染め上げる。
この時、酒より強く、竪琴より広大なのが、青いもの(bleuités)なのか、赤茶色のもの(les rousseurs)なのか、どちらにも取れるように詩句は構成されている。その両義性も、ランボーの詩を特徴付ける要素の一つである。

このように、ランボーは、第6−7詩節で、彼の目指す詩の3つの様態を描いた。
1)空と海が一体化し、永遠を思わせるもの。
2)難波して、青白い死人として流されていく危険があること。
3)青い空と海を愛が赤茶色に染めるもの。

この3番目のイメージはまだ明確ではない。そこで彼は、見者として見たものを以下の詩句の中で描き出していくことになる。

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