象徴主義絵画 不可視を可視化する芸術

ポール・ゴーギャンとナビ派

ゴーギャンは、ポスト印象派と呼ばれることも、象徴主義的画家と呼ばれることもあり、分類が難しい。
しかし、彼の印象派を批判する言葉から、二つの派の本質的な部分を知ることができる。

Paul Gauguin, Fatata te Miti

ルドンの批判と同じように、ゴーギャンも、印象派における外観の再現性を批判した。印象派は、色彩の装飾的な効果を研究し、目に見える世界像を再現しようとしたために、再現性という足かせがかかっていた。そのために、本当の意味での自由がないとゴーギャンが考えたのだった。

それに対して、彼自身の絵画は、ある批評家から、現実に対応した色彩計画がないと非難されたという。別の言葉で言えば、現実の花の色彩と絵画上の色彩が対応していないということになる。つまり、現実からの自由。

ナビ派の絵画は、こうしたゴーギャンの考えから生まれたと考えられている。

ナビ派の代表的な画家、ポール・セリュジエの「タリスマン」。

Paul Sérusier, Le Talisman, L’Avant au bois d’amour

モーリス・ドニの「波」は、岡山の大原美術館に展示されている。

Maurice Denis, Les Vagues

ピエール・ボナールの「屏風」。

Pierre Bonard, Paravent

ピエール・ボナールは「日本かぶれのナビ」とのニックネームを付けられていた。実際、遠近法を無視した千鳥格子や水玉模様の平面的な描写、奥行きのない背景とモチーフの重なり合いも、浮世絵の図法にヒントを得た作品が多くある。

ポール・ランソンの「ナビ派の風景」。

Paul-Élie Ranson, Nabis Landscap

エドゥアール・ヴュイヤールの「縞模様のブラウス」。

Edouard Vuillard, Le Corsage rayé

ナビ派の誕生のきっかけとなったのは、1888年、ポール・セリュジエが、ブルターニュを訪れた時、ポール・ゴーギャンから指導を受けたことである。
日本のwikipediaには、次のようなエピソードが紹介されている。

ゴーギャンは、若いセリュジエと森の写生に赴いた際、「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える? よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ……。それからその影は? どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ……。」と助言したという。
アカデミーで正確な外界表現を教えられていたセリュジエにとっては、ゴーギャンの説く大胆な色彩の使用は衝撃であった。
セリュジエはその日の夜行電車でパリに戻り、アカデミー・ジュリアンの仲間であるピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニ、ポール・ランソンにゴーギャンの教えを伝え、共鳴した彼らによってナビ派のグループが形成された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%93%E6%B4%BE

実際、ナビ派の絵画を見ると、現実の再現性を目指すのでないことがよくわかる。絵画が自立性を獲得し、色彩は現実とは関係なく、絵画それ自体の中で自立している。そのために、装飾性が強く感じられる。

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