マラルメ 「それ自身の寓意的ソネ」 Mallarmé « Sonnet allégorique de lui-même » マラルメの詩法(2/2)

詩の意味に関して、マラルメの言うことは、かなり矛盾しているように聞こえる。

原則的には、意味はない。しかし、何度も声に出していると、神秘的な印象を受ける。それが彼にとっては、ポエジー性ということになる。

他方で、「同意する夜」で始まる詩は、白黒で、夢と空無に満ちた版画をイメージさせる。宇宙を表象し、完璧に構築されている。
しかも、それ自身を映し出す鏡の働きもする。

こうしたマラルメの詩のコンセプトを知るためには、どうしてもソネの意味を探求しなければならない。

Sonnet allégorique de lui-même

La Nuit approbatrice allume les onyx 
De ses ongles au pur Crime, lampadophore, 
Du Soir aboli par le vespéral Phœnix 
De qui la cendre n’a de cinéraire amphore 

Sur des consoles, en le noir Salon : nul ptyx,
Insolite vaisseau d’inanité sonore, 
Car le Maître est allé puiser de l’eau du Styx
Avec tous ses objets dont le Rêve s’honore.

それ自身の寓意的なソネ

同意する「夜」が、その爪の瑪瑙に火をつける、
純粋な「罪」に向けて、ランプを持つ者よ、
夕暮れの「不死鳥」が廃れさせた「夕べ」の罪。
不死鳥の灰を入れる骨壺はない、

黒い「サロン」の、テーブルの上に。プティックスはない。
奇妙で、生気のない、よく響く容器。
なぜなら、「師」は「冥界の河スティックス」の水を汲みに行ったのだ。
全ての品を持ち。「夢」が誇る品々を。

まず、題名に含まれる詩の寓意の意味について考えてみよう。
詩句の中で、多くの普通名詞の先頭が大文字にされ、固有名化されている。擬人化といってもいいだろう。

Nuit, Crime, Soir, Phœnix, Salon, Maître, Rêve.

これらの単語は、舞台の上で演技する登場人物のように、個体として振る舞う印象を与える。
例えば、「夜」が火を灯すと言うとき、普通名詞の夜ではなく、夜を表す人物が自分の指の爪に火を灯すことをイメージすると、寓意の意味がはっきりとする。

詩法としては、まず、1866年に発表された「蒼穹」(L’Azur)を思いだそう。
その中で、マラルメは、美の理想に取り憑かれ、逃走を試みるがどうしても永遠を求めてしまう、無力な詩人の姿を描いた。
https://bohemegalante.com/2019/06/20/mallarme-lazur/

68年になると、「夜 la Nuit」は同意する(approbatrice)存在と見做され、「罪 le Crime」も純粋(pur)だとされる。
罪とは、永遠の美を探求する詩作行為であり、夕べを犠牲にして行われる。
永遠を象徴する「不死鳥」に夕べの(vespéral)という形容がなされ、その鳥が夕べ(le Soir)を廃れさせる(aboli)。それは、詩作という罪が、夕べになされることを示している。

その罪に対して、夜は同意を与え、自分の爪の瑪瑙に火をともす。
「ランプを持つ者よ」という呼びかけは、従って、夜に向けられたものだと考えられる。夜はランプを灯し、夕べに感じた詩人の苦悩を慰めてくれる。

その時、もしかすると不死鳥は灰になっているかもしれない。しかし、不死鳥は死んだとしても、再び甦る。従って、灰を入れる骨壺はない。

ところが、その不在の骨壺は、それを置くテーブルを喚起し、そのテーブルがある黒いサロンを連想させる。
ないといいながら、不在のものを現前化させる、詩的技法である。

黒い「サロン」に関しては、この詩が版画を作成するインスピレーションを生み出すことを期待されて書かれ、白黒の版画に相応しいとマラルメが考えていることを思い出そう。その版画は、「夢」と「空無」に満ちているという。
そして、描かれるべき版画の一つの例を描いている。

Console

例えば、開かれた夜の窓。二枚の鎧戸がしっかりと留めてある。中に誰もいない寝室。しっかり止まった鎧戸のおかげで空気は動かない。夜は、不在と問いから出来ている。家具はない。ただし、テーブルらしきものの影がおぼろげに描き出されている。

この不在の骨壺に、ptyxという新語が並置される。
すでに記したように、この言葉は韻の音のためだけに作られていて、意味はない。
その新語に、同格表現で、説明が加えられる。

Insolite vaisseau d’inanité sonore

奇妙で、生気のない、よく響く容器

87年の説明は、次のように変更される。

Aboli bibelot d’inanité sonore

廃棄され、空の、よく響く飾り

insolite vaisseauからaboli bibelotの違いは、意味的なものよりも、音が大きい。
87年の表現は、母音反復(o, i )、子音反復(b, l )が素晴らしい。
従って、音の効果を狙ったstyxの説明としては、後者の方が優れているといっていいだろう。
他方、意味としては、空虚で、意味はないが、よく響くもので、それほど変わりはない。

次に続く、地獄の河に下った「師」は、ギリシア神話のオルフェウスを連想させる。彼は竪琴の名手であり、ヨーロッパの詩人たちの始祖と見做される。

Gustave Doré, La traversée du Styx


68年の詩では、「師」は手に全ての品(tous ses objets)を持ったとあるが、87年には、「この唯一の品(ce seul objet)」に変更される。
オルフェウスと音楽を繋ぐのは竪琴であり、その楽器に焦点を当てるとしたら、単数の方が相応しい。
また、この(ce)という指示形容詞を使うことで、手にするものが今、ここにあるような雰囲気を生み出すことになる。

さらに重要な変更は、その品を誇りに思うのが、68年は「夢(Rêve)」。87年は「虚無(Néant)」に変更される。
この手直しは、詩に意味を付与する際に、決定的な重要性を持つ。

「それ自身の寓意的ソネ」からインスピレーションを受けて描かれうる版画に、マラルメは、「夢」と「空無」という二つの側面を見ていた。
68年から87年へと進む中で、その二つの比重が夢から無へと移行する。詩句の変更から、その変化を推定することができる。

実は、すでに出てきた黒い「サロン(noir Salon)」も、87年には「空のサロン( salon vide)」へと変更される。

第1テルセの最初に出てくる「北向きの空の窓」は二つの詩で共通しており、そこで示される「空」という概念が、68年では突然出てくるのに対して、87年ではすでに取り上げられ、詩の中心的な意味として表現されることになる。

68年の時点では、夜は同意を示す存在であり、詩人の持ち物は「夢」が誇るものである。たとえ、styxという器(vaisseau)が生気を欠いている(d’inanité)としても、響きは豊かだ。その器とは、詩の比喩であり、詩には瑪瑙の燃える輝きが秘められている。

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