ヴィクトル・ユゴー 「若い時の古いシャンソン」 Victor Hugo « Vieille chanson du jeune temps » 初恋の想い出と恋する自然 ロマン主義から離れて

森の中での淡い恋の想い出は、ぼくの迂闊さに対するローズの最後の言葉で終わりを告げる。

Je ne savais que lui dire ;
Je la suivais dans le bois,
La voyant parfois sourire
Et soupirer quelquefois.

Je ne vis qu’elle était belle
Qu’en sortant des grands bois sourds.
“Soit ; n’y pensons plus !” dit-elle.
Depuis, j’y pense toujours. 

              Paris, juin 1831        

ぼくは、彼女に何を言えばいいのかわからなかった。
ぼくは、彼女について森の中を歩き、
彼女を見ていた、時に微笑み、
時にため息をつく彼女を。

ぼくが、彼女が綺麗だと言うことを見たのは、
会話に耳をそばだてない大きな森から出た時だった。
「わかった。もうそれは考えないようにしましょう。」と彼女は言った。
その時から、私はずっとそれを考えている。

                      パリ、1831年6月

第8カトランでは再び半過去形に戻り、「ぼく」の様子が描かれる。
何を言っていいのかわからず、ただ彼女の歩く後を着いていき、微笑みの意味も、ため息の意味もわからない。

そして、最後の詩節、逆転が訪れる。
第5カトランと第7カトランで使われた「ぼくは見なかった(je ne vis pas)」の反復が冒頭で使われる。
しかし、変形が施され、意味が肯定に分かる。つまり、「ではない(ne…pas)」から、「・・・の時は・・・だけ(ne … que)」という限定表現(je ne vis que)に変えられ、彼女が美しいのを最後に意識することになる。
しかし、それは、森を出た時。遅すぎた。後の祭り。

その気持ちは、16歳の「ぼく」の気持ちであると以上に、「若い時の古いシャンソン」を歌う詩人の今の気持ちだといえる。
ユゴーは現在性を強調するかのように、「わかった。もうそれは考えないようにしましょう。」と、ローズの言葉を直接話法にしている。
あたかも、彼女が今、ここで、そう言っているかのように。

そして、その「今」に反応するかのように、詩を書いている今の「私」は、そのことをずっと考えている(j’y pense)と、現在形で記す。
動詞の現在形は、第一カトランで、「何を話したのか覚えていない(je ne sais plus de qoui.)」という言葉の中で、一度使われていた。

今の「私」は、ローズとの過去の想い出をずっと考えていて、そこに一つの楽園、失われた楽園を見出している。

この最後の詩句は、ロマン主義の抒情詩の枠組みを顕在化させる。
そこでは、過去に理想の時を見出し、現在は失われた時と見做す。
そして、不在の過去を理想の楽園として、強烈な憧れを抱く。
決して到達できない理想、イデアへのメランコリックな思いから生まれる抒情性こそが、ロマン主義的抒情の本質である。
その典型は、1820年に書かれたラマルティーヌの「湖」の中で、大変に美しく表現されている。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「若い時の古いシャンソン」には、現在と過去の関係だけではなく、自然のテーマも用いられ、ロマン主義の詩と考えられてもおかしくない。

そして、そのように見えることがユゴーの意図だっただろう。
実際には1855年に書かれた「若い時の古いシャンソン」に、1831年6月という日付が書き込まれていることが、その証拠である。
1830年代は、フランス・ロマン主義の最盛期。

ユゴーの個人的な活動に限っても、1830年にはエルナニの戦いがあり、ロマン主義が古典主義に勝利を収めた記念的な年。
31年には『ノードル・ダム・ド・パリ』が出版され、芝居では『マリオン・ドロルム』の初演。詩集『秋の葉』も出版された。
従って、1831年という日付は、ロマン主義の刻印だといえる。

では、本当にユゴーは、1855年に、ロマン主義の詩を書こうとしたのだろうか。

1850年代の初頭にはユゴーはナポレオン3世と対立し、皇帝を弾劾する『懲罰詩集』を53年に出版。55年からは、英仏海峡にあるイギリス領のガーンジー島に亡命する。
『瞑想詩集』を56年に出版したのも、その亡命の最初の時期だった。

その時代、絵画ではクールベの先導するレアリスムがセンセーションを巻き起こし、文学にも波及した。
詩の方面では、テオフィル・ゴーチェの『七宝螺鈿集』や、ルコント・ド・リールの『古代詩集』が出版され、無感覚(impasssible)を中心概念とするパルナス派のベースが作られつつあった。

このように新しい芸術観が芽生えつつあった時期に、ユゴーが過去のロマン主義を単に再現する詩を書くとは考えにくい。
としたら、彼の狙いはどこにあったのだろう。

「若い時の古いシャンソン」には、ラマルティーヌの「湖」から発散する強い抒情性は感じられない。
抒情性は、不在の理想に対するメランコリックに渇望から生まれるのだが、「それ以来、私はそれをずっと考えている。」という詩句には、どうしてもローズの愛を取り戻したいという強い欲望が感じられない。
つまり、今、それが欠如しているという感覚がなく、むしろ、過去は思いを通して現在にある。

言い換えると、ロマン主義的な構図に基づきながら、視点は過去への渇望ではなく、現在の中に過去が含まれていることに移っている。
今は喪失の時でありながら、その中に不在の時を想い出として含む。

現在に対するこうした意識の変化を浮かび上がらせるために、ユゴーはあえてロマン主義的な図式を描き出し、1830年代と1850年代の意識の違いを明らかにしようと意図したのではないだろうか。

芸術は現在性の探求へと向かいつつあった。そうした中で、過去を描くことが追憶ではなく、現在を描くことでもあるという意識が出来つつあった。
ローズの気持ちに気づかないでいた迂闊で無邪気な自己に対する、醒めて皮肉な視線。現在の自己に対するその視線が、「若い時の古いシャンソン」のテーマであり、その視線は現代性(モデルニテ)につながるだろう。

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