ヴィクトル・ユゴー 「この花をあなたのために摘みました」 Victor Hugo « J’ai cueilli cette fleur pour toi… » 人間と自然と愛と

こうした自然観を描いた後、愛する人のために積んだ花の記述に移っていく。

J’ai cueilli cette fleur pour toi, ma bien-aimée.
Elle est pâle, et n’a pas de corolle embaumée,
Sa racine n’a pris sur la crête des monts
Que l’amère senteur des glauques goëmons ;

この花を あなたのために 摘みました、愛する人よ。
花は青白く、花冠は良い香りではありません。
その根が山の頂上で吸収したのは、
青緑色をした海藻の、苦い香りだけでした。

まず、アナフォール(詩句の冒頭での同じ語句の反復)の手法が用いられ、「この花をあなたのために摘みました」と、冒頭の詩句と同じ言葉が繰り返される。

その花は、決して美しくも、香り高くもない。
波打ち際に取り残された海藻(goëmon)のような、嫌な臭いがするという。

なぜそんな花を愛する人のために、摘んだのだろう?

その理由を明かすためだろう。詩人は、その花に直接語り掛ける。

Moi, j’ai dit : « Pauvre fleur, du haut de cette cime, 
Tu devais t’en aller dans cet immense abîme
Où l’algue et le nuage et les voiles s’en vont.
Va mourir sur un cœur, abîme plus profond.
Fane-toi sur ce sein en qui palpite un monde.
Le ciel, qui te créa pour t’effeuiller dans l’onde, 
Te fit pour l’océan, je te donne à l’amour. »

私は花にこう話かけました。「かわいそうな花よ、この丘の頂上から
お前は、あの巨大な深淵の中へと去っていかなければならなかった。
海藻も、雲の、帆船も、そこに去って行く。
一つの心の上で死んでくれ。その心はあの深淵よりも深い。
あの胸の上で萎れてくれ。その胸の中では一つの世界が呼吸をしている。
波の中で葉を散らすためにと、お前を創造した天空は、
お前を大海原のために作った。私はお前を愛に与える。」

この呼びかけの中で強調されていることは、全ては消え去るということである。
花が去っていくべきだった巨大な深淵には、海藻、雲、帆船も呑み込まれる。
ここでは、自然も人工物も区別されない。全てが深淵へと向かう。

Victor Hugo, Barque fuyant sous le vent

その深淵よりも、心の方が深いと言われることで、人の心と深淵が一つの尺度で並べられ、人間も自然の中に組み込まれる。
だからこそ、人の胸の中で世界が鼓動するのだ。

全てを一つの統一体とみなすこうした自然観は、「全てのものに魂が満ちている。」と考えるヴィクトル・ユゴーのパンテイスム的思想に基づいていると考えてもいいだろう。

彼は花に向かってこう言う。神はお前が大波の中で花弁を散らすために、お前を創造した、と。このように消滅、死を強調しているが、それは決して最終的な死ではない。形は変わるが、何も死なない。

そして、あたかも彼が神であるかのように、「私はお前を愛に与える。」と宣言する。すると、太陽が沈んだ場所に凱旋門が浮かび上がったように、花が花びらを散らした後には、愛が生まれる。

この言葉は、「自然も人間も全ては生きている」という自然観に基づいた、愛の宣言だといえる。

Le vent mêlait les flots ; il ne restait du jour
Qu’une vague lueur, lentement effacée.
Oh ! comme j’étais triste au fond de ma pensée
Tandis que je songeais, et que le gouffre noir
M’entrait dans l’âme avec tous les frissons du soir !

風が大波を混ぜ合わせていた。日差しで残っていたのは、
おぼろげな光だけ。その光もゆっくりと消えていきました。
ああ、私は、考えれば考えるほど、悲しかったのです。
でもその一方で、私は夢を見ていました。そして、黒い深淵が
私の魂の中に入ろうとしていました、夕べのあらゆる震えと共に。

風が吹き、波が高くなる。大洋の光のわずかな残りも、徐々に消えていく。
こうして、消滅に焦点を当てるのは、創造の語るよりも人間の感性により強く働きかけるからだろう。
合理主義的な思考の中では、死は最終的な終わりであり、太陽が沈み全てが闇に包まれる光景は深い悲しみを引き起こす。

しかし、夢想(songe)の中では、別の感受性が働く。深淵は死であるが、再生を含み込んでいる。その深淵が魂の中に入り込むことは、闇と同時に光を受け取ることにもつながる。
その時、夜の震え(frissons)は、恐怖と同時に、生命の躍動を感じさせもする。
生きた自然は決して死を迎えることなく、変形を続ける。

詩人が摘んだ「この花」は、日本の和歌でのように、詩人の心の内を明かすわけではない。
詩人は花を愛に与える。その能動的な行為が、自然の生命力と愛をつなぎ合わせ、愛する人に絶えることのない愛を伝えることになる。

そして、「この花をあなたのために摘みました」が一つの花であり、ユゴーはこの詩を愛に与えることで、ジュリエット・ドルエに愛を伝えたのだった。

そこでの自然の役割は、ユゴーの心の反映ではなく、死と再生を繰り返しながら決して死ぬことのない自然のあり方を通して、彼の愛の永遠性を暗示することだった。

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