無の美学 禅寺と枯山水

枯山水といって誰もがすぐに思い浮かべるのは、竜安寺方丈の石庭だろう。

竜安寺 石庭

白い砂の上に15個の石が置かれただけの、これ以上ないといっていいほどシンプルで、最小限の構成。見る人によっては、冷たいと感じるかもしれない。

しかし、砂の上に描かれた砂紋は、それだけで美しい。
しかも、その模様は、様々な水の動きを表す。
まっすぐな線は、穏やかな水面。
ウエーブしている線は、波のうねり。
片男波(かたおなみ)や青海波(せいがいは)は、打ち寄せる大波。
水のない砂が、水の動きを人の心に喚起する。
さらに、砂で描き出された渦は、大宇宙を表現し、悟りの世界を喚起する。

竜安寺の石庭では、方丈(住職の住まい)の廊下から眺めるとき、決して15個の石全てが一目で見られないように配置され、見える世界の裏に見えない世界があることが暗示されている。

大徳寺大仙院の庭園は、方丈を囲み、庭の奥から前庭へと続いている。
枯山水には庭の中心になる「主石」があり、水の流れは、最も大きなその石から始まる。

大徳寺大仙院庭園

大仙院の場合、主石は庭の隅の置かれ、中国の神仙思想で不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山を表している。

水は主石の右に組まれた三段の石から流れ落ち、川となり、海となる。

途中には、船の形をした石が置かれ、蓬莱山の宝を運ぶ。

そして、最後に、方丈の南に広がる「大海」に流れ込む。
そこでは、円錐形に砂が盛られ、白い大海原にゆったりと浮かんでいる。

蓬莱山から流れ出た「水のない水流」が、大海原を作り出す。
そのようにして、悟りの境地が象徴される。

不在(無)が無限を生み出す、あるいは無=無限を表現する枯山水は、禅の思想の具現化だと考えても間違いではないだろう。

東福寺塔頭 龍吟庵方丈

禅が美の表現を生みだした一つの例が、枯山水だといえる。

無の美学 禅寺と枯山水」への2件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中