ボードレール 「秋の歌」 Baudelaire « Chant d’automne » 中間の時としての秋

第二部になると、突然「あなた」が現れ、「秋の歌」が愛する女性に向けられた詩だと明かされる。
来るべき死を予告しながら、今この時を生き愛し合おうと歌うバロック的な詩。ルネサンスの思想「死を想え(momento mori)」や「この時を掴め(carpe diem)」に基づいいた恋愛詩なのだ。

そして、あなたへの訴えは、聴覚ではなく、視覚表現が中心になる。
詩の第一部から第二部への移行は、耳から目への移行でもある。

II

J’aime de vos longs yeux la lumière verdâtre,
Douce beauté, mais tout aujourd’hui m’est amer,
Et rien, ni votre amour, ni le boudoir, ni l’âtre,
Ne me vaut le soleil rayonnant sur la mer.

あなたの切れ長の目の、緑がかった光が好きです、
穏やかな美しい人よ。でも、今日は、全てが辛いのです。
何一つ、あなたの愛も、寝室も、暖炉も、
私には、海の上で輝く太陽をもたらしてくれません。

Berthe Morisot, Julie

最初に歌われるのは、あなたの目。
その目の光は、緑がかって(verdâtre)いる。Verdâtreという言葉は、緑(vert)に近づくという意味で、やや蔑視的な表現と受け取られることもある。しかしここでは、純粋な緑を和らげる働きをしていると考えてもいいだろう。
そのことが、次の、穏やかさ(douce)に繋がる。

第一部で、秋は冬の激しい厳しさを予感させる季節として描かれてきた。それに対して、第二部で中心をなすのは、「穏やかさ」。
穏やかな美(douce beauté)、douceur éphémère(束の間の穏やかさ), doux(穏やかな)という言葉が、それぞれの詩節に配置されている。

その中で、愛する人の穏やかな美と、中間の時である秋が重ねあわされていく。

今、詩人にとっては、全てが辛い。あなたでさえ、海の上を照らす太陽のようには感じられない。寝室にいても、暖炉の前にいても、辛い。

だからこそ!と詩人は訴える。私を愛して欲しい、と。

Et pourtant aimez-moi, tendre coeur ! soyez mère,
Même pour un ingrat, même pour un méchant ;
Amante ou soeur, soyez la douceur éphémère
D’un glorieux automne ou d’un soleil couchant.

でも、私を愛して下さい、優しい恋人よ! 母であってください、
裏切り者に対してでさえ、意地悪な男に対してでさえ。
愛する人よ、妹よ、束の間の優しさであってください、
栄光の秋の、沈みゆく太陽の。

Berthe Morisot, Lilas à Maurecourt

この「でも(Et pourtant)」という言葉は、それでもなおと言った方が、詩人の本心を表していると考えてもいいだろう。その愛は、母の愛でも、恋人の愛でも、妹の愛でもある。

その愛は、永久に続くものではなく、今この瞬間だけのものであってもいい。その点を強調するために、詩人は、束の間の(éphémère)という形容詞を優しさにつけ、次の節では、短い務め(courte tâche)とも言う。

その時間感覚こそが、中間の時間である秋に対応する。
夏の激しい光も冬の冷たい闇も永続的なもの。夏も冬も、中間の時間ではなく、両極を占める動かない時間。
それに対して、夕日(soleil couchant)は、昼と夜の間を移行する中間の存在。
秋は、夏から冬へと移行する季節。

ボードレールは、その秋にここでは栄光の(glorieux)という形容詞をつけて称揚し、そして、穏やかさ(douceur)を付与する。

Courte tâche ! La tombe attend ; elle est avide !
Ah ! laissez-moi, mon front posé sur vos genoux,
Goûter, en regrettant l’été blanc et torride,
De l’arrière-saison le rayon jaune et doux !

すぐに済む務めです。 墓場が待っているのです。墓場は空です!
ああ!このまま、私の額をあなたの膝に置き、
味わわせてください、灼熱の白い夏を懐かしみながら、
暮れゆく秋の、穏やかな黄色の光線を!

「墓が待っている」と言うのは、今、この時を享受して私を愛して下さいという、バロック的な口説きの言葉。

詩人は今、愛する人の膝に顔を埋めている。
そして、夏の情熱が消え去り、冬の厳しい寒さが来ることを予感しているからこそ、束の間の今を味わっていたい。そんな訴えを、愛する人に向ける。この瞬間が永遠でありますようにと。

彼は、夏を惜しんでいるとは言うものの、夏につけた二つの形容(白いと灼熱の)は決して心地よさを連想させない。
むしろ、暮れゆく秋(l’arrière-saison)の光である「黄色」と「穏やかさ」の方が、はるかに好ましい。
とりわけ、黄色の光線(rayon jaune)は、ボードレールが目標としたサント・ブーヴの詩集『ジョセル・ドロルム、人生、詩、思想』(1829)に収められた美しい恋愛詩の題名« Les Rayons jaunes »を思わせる。

詩人が望むのは、不動の永遠ではない。過ぎ去るもの、消えゆくものを捉え、その儚さ故の穏やかさだといえる。
そのために、秋ほど相応しい季節はない。春は全てが生まれてくる。秋は死の冬に向かう。その予感が、美を生み出す。

Berthe Morisot, Le lac du bois de Boulogne

失われつつある今の瞬間に美を見出す感性は、フランスでは、ボードレールから始まったと考えられている。

「秋の歌」の面白さは、秋を、夏や冬と同質の季節と考えるのではなく、全てが消え去っていく移行の時、夏と冬の中間の時間として描き、そこに穏やかな愛を見つけようとしているところにある。

ある意味で、それは日本的な感性とつながるのかもしれない。

ボードレール 「秋の歌」 Baudelaire « Chant d’automne » 中間の時としての秋」への2件のフィードバック

  1. 米原信子 2019年10月4日 / 4:25 PM

    聴覚を研ぎ澄まし、自然の音を汲み取る。今の環境では失われた喜び。映像と音楽と朗読が一体となり、素晴らしい。深く感動します。

    いいね

    • hiibou 2019年10月4日 / 5:41 PM

      コメント、ありがとうございます。
      ボードレールの詩句は本当に美しいですが、その美しさを感じられる感性も貴重なものだと思います。

      いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中