ボードレール 「腐った屍」 Baudelaire « Une Charogne » 奇妙な恋愛詩

第10詩節になると、「腐った屍」がモメント・モリに基づいた恋愛詩であることが明らかになる。

— Et pourtant vous serez semblable à cette ordure,
À cette horrible infection,
Étoile de mes yeux, soleil de ma nature,
Vous, mon ange et ma passion !

ーー でも、いつか君はこの汚物に似てくるだろう。
このおぞましい汚染源に。
わがの目の星よ、わが自然の太陽よ、
君、わが天使、わが情熱よ!

Oui ! telle vous serez, ô la reine des grâces,
Après les derniers sacrements,
Quand vous irez, sous l’herbe et les floraisons grasses,
Moisir parmi les ossements.

そうだ! 君はこんな風になるだろう、優美さの女王よ、
臨終の秘蹟の後、
君が、草や肥沃な葉の下で、
骨の間で腐っていく時に。

今のあなたは美しい。しかし時が経てばその美しさは消えてしまう。だから、今、ぼくを愛して。このレトリックは、まさにバロック的恋愛詩そのものといえる。

ただし、一方では、星、太陽、天使、情熱、優美さの女王と褒め称えながら、その行く末として、腐敗した死体を挙げるのは悪魔趣味と言われても仕方がない。
1857年の『悪の華』当時、ボードレールは「腐った屍」の詩人として知られ、59年に友人に出した手紙の中では、そうした呼称はもううんざりだと書いたりしている。

Salvator Dali, Honey is Sweeter than Blood

最終の第12詩節は、第8詩節で表明された美学を受け、この詩でボードレールが目指したものが明示される。

Alors, ô ma beauté ! dites à la vermine
Qui vous mangera de baisers,
Que j’ai gardé la forme et l’essence divine
De mes amours décomposés !

その時、おお、美しい人よ、ウジ虫に言ってくれ、
口づけで君を食い尽くすウジ虫に、
ぼくは、形象と神聖な本質を保ったのだと、
分解されたぼくの愛の!

ぼくの愛は分解されている。としたら、腐敗し崩れ落ちた屍は、その愛を具現化していることになる。
そして、その姿を歌う詩は、愛の形象(forme)と神聖な本質を保管しているといえる。

ここで言う形象は、第8詩節の物の外形的な形体(les formes)ではなく、ものを形作る原理としての形象と考える必要がある。外形が束の間の存在であり、消え去ることを必然としているのに対して、形象は時間を超え、永遠の存在である。

一匹のメス犬が見る屍が単なる動物の肉であるとすると、詩人の見る屍は生命力に富み、奇妙な音楽を奏でる美の源泉。
その二つの側面が、モデルニテの美を構成する。

「腐った屍」は、恋愛詩でありながら、自己の美学を明かす詩法でもある。

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