ネルヴァル 「デルフィカ」 Nerval « Delfica » 再生と待機

Ils reviendront ces dieux que tu pleures toujours !
Le temps va ramener l’ordre des anciens jours ;
La terre a tressailli d’un souffle prophétique …

いつか戻ってくるだろう、お前がいつも涙を流している神々が!
時が、古代の日々の秩序を、再びもたらすことになる。
大地が、予言の息吹で震えた。

戻る(revenir)、再びもたらす(ramener)という二つの動詞は、回帰を示し、神々の支配していたかつての黄金時代が甦る予告が行われる。

この部分は、大詩人ヴェルギリウスの『牧歌』第4巻の冒頭を本歌としている。

クマエの歌最後の時代が今訪れようとしている。
Ultima Cumaei venit jam carminis aetas
新たな世紀の大いなる秩序(ordo)が生まれる。
今やウィルゴも戻ってくる。(Jam redit et Virgo)サトゥルヌスの王国もよみがえる
今や新しき子孫が高い天より遣わされる。
汚れなきルキナよ、あなたはただ生まれてくる子を助けたまえ。
その子によって、まず鉄の種族が絶え、そして全世界に黄金の種族が立ち上がる
あなたの兄アポロンは、今や支配者になっている。

https://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=5854
Andrea del Castagno, Sibylle de Cumes

クマエ(cumes)というのは、イタリアに始めて作られた古代ギリシアの都市。そこに住む巫女(sibylle)は有名であり、ここでは、アポロンの神託として、黄金時代の再来を伝えている。

ネルヴァルは、ヴェルギリウスから「回帰」という思想を借用するだけではなく、秩序(ordo/ordre)という言葉も取り上げ、自分の詩句に埋め込む。

さらに、予言の(prophétique)という言葉を最後に置くことで、この詩句が巫女(sibylle)の宣告であるという印象を強めることに成功している。

一神教であるキリスト教の時代が終わり、多神教の神々が再び戻ってくる。
その預言が大地を震わせたと、詩句は語る。

では、その預言は実現するのだろうか。
詩人は、神々の回帰に関して、動詞を単純過去形(ils reviendront)にした後、過去の秩序に関しては近接未来形(le temps va ramener)とすることで、実現可能性を強める。
しかも、大地の揺れを示す動詞は複合過去形(La terre a tresailli)におかれ、すでに完了していることが示されている。

そうした状況の中、期待は高まる。

Cependant la sibylle au visage latin
Est endormie encor sous l’arc de Constantin :
— Et rien n’a dérangé le sévère portique.

しかし、ラテンの顔の巫女は
まだ眠っている、コンスタンティヌス大帝の凱旋門の下で。
ーー何も、厳格な柱廊を乱すことはなかった。

2番目の3行詩の冒頭に置かれた「しかし(cependant)」という言葉が、予言という超現実のレベルから、現実のレベルへと意識を引き戻す。
全ては何も変わらず、キリスト教が異教(古代の神々)に勝利した象徴であるコンスタンティヌス1世の凱旋門の下で、これまでと同様の秩序が保たれたままである。

円形競技場とコンスタンティヌス大帝の凱旋門

コンスタンティヌス1世は、始めてキリスト教徒になったローマの皇帝。
4世紀初頭、皇帝がローマ帝国内での宗教の自由を認め、これまで迫害されてきたキリスト教は公認された。その後、彼に続く皇帝たちがキリスト教を国教化し、伝統的なローマの神々や太陽信仰など他の宗教を禁じるに至った。

ラテンの顔をした巫女とは、太陽神アポロンの神託を行うクマエの巫女と考えられる。
その巫女は、大地が預言で震えたにもかかわらず、まだ目覚めてはいない。
従って、古代の神々が戻ってくるとの預言は、実現されない。
神殿の柱廊(portique)は、無傷のままである。

Albert Tournaire, Delphes (détail)

では、復活や再生の願いがかなわないまま、失望だけが残るのだろうか。
この疑問が、ネルヴァル理解にとって重要なポイントになる。

洞窟の中で、打ち負かされた竜は、種となって眠っていた(dort)。それは決して最終的な死を意味するのではなく、再生の起源を含んでいる。
それと同じように、巫女も凱旋門の下で眠っている(endormi)。

その眠りの後には覚醒が続く。
ネルヴァルの最も基本的な姿勢は、覚醒を「待つ」という姿である。
待機こそ、ネルヴァルをネルヴァルたらしめる心の持ち方に他ならない。

デルポイの神殿

「デルフィカ」は、すでに存在している知に基づきながら、それを変形する。日本的な用語で言えば、本歌取りの手法。
そうして作られた14行の詩句という限られた枠組みの中で、再生、復活、回帰の可能性とそれを待つ姿勢が、凝縮して表現されている。
その意味で、ジェラール・ド・ネルヴァルの文学を理解する上での、最良のソネットだと言ってもいいだろう。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中