ボードレール 夕べの諧調 Baudelaire « Harmonie du soir »

第2詩節の最初の行と3行目は、第1詩節の第2詩句と第4詩句。
4行の内の2行は、前の詩句の反復になる。

Chaque fleur s’évapore ainsi qu’un encensoir ;
Le violon frémit comme un cœur qu’on afflige ;
Valse mélancolique et langoureux vertige !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir.

花が、消え去っていく、振り香炉のように。
ヴァイオリンが震える、誰かに悲しまされる心のように。
憂鬱なワルツ、そして、物憂いめまい!
空は悲しく、美しい、大きな祭壇のように。

第2詩節で新しく加えられるのは、振動するヴァイオリン、そして、空。

その二つの要素は、「のように」(comme)という言葉を使うことで、直喩によって比喩の対象が示される。

ヴァイオリンは心のようだ。
その震えは悲しみの表現。

しかし、その悲しみは、他方では美しい。
だからこそ、4行目で、空は悲しく美しい(triste et beau)と言われる。

この二つの形容詞ー悲しい、美しいーの繋がりは、後にヴェルレーヌの「月の光」でも「静かで、もの悲しく、美しい月の光」(Au calme clair de lune triste et beau)でも用いられることになる。
https://bohemegalante.com/2019/07/30/verlaine-clair-de-lune/2/

ボードレールは、その空から、大きな祭壇を導き出す。
音的には、祭壇(reposoir)は、振り香炉(encensoir)に繋がり、夕方(soir)の薄暗がりの中でのミサの雰囲気を生み出すことになる。

第3詩節になると、心の悲しみの起源が示され、その由来が太陽であることも暗示される。

Le violon frémit comme un cœur qu’on afflige,
Un cœur tendre, qui hait le néant vaste et noir !
Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir ;
Le soleil s’est noyé dans son sang qui se fige.

ヴァイオリンが震える、苦しめられる心のように。
優しい心は、巨大で暗黒の虚無を憎む!
空は悲しく、美しい、大きな祭壇のように。
太陽はすでに沈んだ、凝固する血液の中に。

ヴァイオリンのように震える心は、優しい。
その心が憎むものは、虚無。虚無は巨大で暗黒だ(vaste et noir)。
キリスト教徒にとって、その虚無は、天における神の不在を表現しているのかもしれない。

ネルヴァルは、「オリーヴ山のキリスト」(« Le Christ aux Oliviers »)の中で、次のような詩句を書き付けたことがある。

En cherchant l’œil de Dieu, je n’ai vu qu’un orbite
Vaste et noir et sans fond :

神の眼を探して、私が見つけたのは一つの軌跡でしかなかった。
巨大で黒く、底なしの軌跡。

黒く巨大な虚無は、太陽が凝固する血の中に沈んでしまったことに由来する。
太陽は、夕方になれば、真っ赤な夕焼けの中を、必ず沈んでいく。
そして、翌朝、再び東の空から登るという保証はどこにもない。
死あるいは虚無が、最終的な勝利を収める可能性を否定することはできない。
全てが固定し(se figer)、悲しみが世界を満たすかもしれない。

そうした中で、再生の可能性を予告するものがあるとしたら、それは反復の動きだけだろう。

夕方沈んだ太陽は、翌朝再び昇る。
そこで、最後の詩節は、永劫回帰の痕跡を思い起こさせる。

Un cœur tendre, qui hait le néant vaste et noir,
Du passé lumineux recueille tout vestige !
Le soleil s’est noyé dans son sang qui se fige…..
Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir !

優しい心は、巨大で暗黒の虚無を憎む!
光輝く過去の痕跡を集めよ!
太陽はすでに沈んだ、凝固する血液の中に。。。
あたなの思い出が私の中で輝いている、聖体顕示台のように。

眩暈(vertige)から痕跡(vestige)へ。音的には、rとsの一音だけの違いにすぎない。
輝かしい過去とは、陶酔の時、つまり全てがおぼろげで、全てが憂鬱なダンスを踊る、眩暈の時。
その過去へ回帰することを願うのであれば、それは不可能な理想を求めるメランコリックな欲望であり、ロマン主義的な美の感情を生み出すことになる。
ラマルティーヌの「湖」が、その感情を最も見事に表現している。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

しかし、ボードレールは、「今」に美を見出す。
思い出は、過去に遡るのではなく、今ここに生きている「私」の中で輝いている。
しかも、聖体顕示台(ostensoir)のように、思い出は誇示(ostentation)されている。

言い換えれば、過去が現在の中に回帰し、メランコリーなダンスを踊りながら、物憂い陶酔を生み出す。
Valse mélancolique et langoureux vertige !

ボードレール 夕べの諧調 Baudelaire « Harmonie du soir »」への2件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中