ポール・ヴァレリー 「海辺の墓地」 Paul Valéry « Le Cimetière marin » 3/4

第13詩節において、詩人は墓石の下の死者たちに意識を向ける。

Les morts cachés sont bien dans cette terre
Qui les réchauffe et sèche leur mystère.
Midi là-haut, Midi sans mouvement,
En soi se pense et convient à soi-même…
Tête complète et parfait diadème,
Je suis en toi le secret changement.

隠された死者たちが、この大地の中にいる。
大地は彼等を温め、彼等の神秘を干上がらせる。
高みにある正午、不動の正午が、
それ自身の中で自らを思考の対象とし、自らに相応しくなる。
完全な脳髄よ、完璧な王冠よ、
私は、お前の内部における、密かな変化だ。

正午の太陽は、地上の真上に位置し、影は最小限に限定される。
墓地の中で眠る死者たちも、日差しを浴びた大地(terre)の中で温められ、影によって象徴される神秘(mystère)を失う。

すでに正午には「正確(le juste)」という属性が付与されていたが、ここでも正午に、高み(là-haut)、不動(sans mouvement)という属性が付与され、超越性、絶対性の存在が示される。
その時は、他者によって相対化されるものではなく、自己が自己を思考するだけの意識を指すものと考えられる。
その意識を、詩人は、完全な脳髄、完璧な王冠を呼ぶ。

それに対して、「私」の存在は、変化(changement)である。
正午が絶対的な時間であり、不動の空間であるとすれば、「私」は、その中で唯一の動きとなる。

このように、第13詩節を構成する6行の詩句によって、不動と動き、絶対と相対、死と生の対照が、再び示されている。
そして、第14詩節になると、生の側の「私」と、死者たちとの対比がより具体的に示される。

Tu n’as que moi pour contenir tes craintes !
Mes repentirs, mes doutes, mes contraintes
sont le défaut de ton grand diamant…
Mais dans leur nuit toute lourde de marbres,
Un peuple vague aux racines des arbres
A pris déjà ton parti lentement.

お前には私しかいない、お前の恐れを収めるものは!
私の後悔、私の疑い、私の束縛は、
お前の巨大なダイアモンドの傷。。。
しかし、死者たちの夜、大理石がずしりと重くのしかかる夜に、
ある朧気な一群が、木々の根下で、
すでにお前の味方になっていた、ゆっくりと。

お前と呼ばれる絶対的な意識あるいは精神にさえ恐れ(craintes)があるとしたら、それは「私」=「変化」を内包しているからだろう。
そして、それは絶対性(お前のダイアモンドdiamant)にとっては欠陥(défaut)になる。
動き=生を有する「私」には、人間的な感情である、後悔(repentir)も、疑い(doute)も、束縛(contrainte)もあるのだから。

「お前」と「私」の重なり合いは、恐れと束縛が豊かな韻を踏んでいることから、音として表現されている。Craintes-contraintes.

死者たちは墓石の中。従って、彼等は永遠の夜にいる。その夜は、墓の大理石の重さでますます暗く押しかかる。

その闇の中で、死者たちの味方になっているおぼろげな一群(un peuple vague)とは、次の詩節に出てくるウジ虫のことだろう。
遺体はすでに腐乱し、虫がたかり、個体として姿を保たなくなっている。
そのイメージは、ボードレールの有名な詩「腐った屍(Une Charogne)」を連想させる。
https://bohemegalante.com/2019/10/05/baudelaire-une-charogne-poeme-amour-insolite/

死者たちは、地上にいた時の個別的な肉体を失い、絶対の側に位置する。その際、地上に残してきたものがある。第15詩節で示されるのは、そうした数々の物。

Ils ont fondu dans une absence épaisse,
L’argile rouge a bu la blanche espèce,
Le don de vivre a passé dans les fleurs !
Où sont des morts les phrases familières,
L’art personnel, les âmes singulières?
La larve file où se formaient des pleurs.

彼等、死者たちは、厚みのある不在の中に溶け混んだ。
赤い粘土は、白い種族を飲み混んだ。
生きるという贈り物は、花々の中に移った!
死者たちの親しげな言葉、
個人的な技術、独自の魂達は、どこにあるのか。
幼虫は糸を紡ぐ、かつて涙が形作られた場所で。

大地の中で、死者たちの肉体は消滅してしまう。そのイメージは、大地の赤色と人間の肉体の白色を対照させた、この詩節の二行目の詩句で鮮やかに印象付けられる。赤い粘土が白い肉体を呑み込んでしまったのだ。

その一方で、死者たちと離れた生命は、地上の花々に引き継がれ、地上を彩り続ける。それは、彼等からの贈り物(don)なのだ。あるいは天賦の才(don)と言ってもいい。
その才は、レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才だけが持つのではなく、普遍的に人間が有するもの。それが現実世界では、肉体という限界によって、個として区切られ、個人の中に存在している。

生前、一人一人の人間は、よく使う言い回し(des phrases familières)を持ち、個人的な(personnel)行為を行い、独自の魂(âme singulière)に動かされていた。

葬儀の際には、墓石の前で、人々が故人(個人)のために涙を流しただろう。
今は、その場所に虫の幼虫がはっている。

そして、墓地で遊ぶ少女たちの姿も見え隠れする。その様子が、第16詩節で描き出される。

Les cris aigus des filles chatouillées,
Les yeux, les dents, les paupières mouillées,
Le sein charmant qui joue avec le feu,
Le sang qui brille aux lèvres qui se rendent,
Les derniers dons, les doigts qui les défendent,
Tout va sous terre et rentre dans le jeu !

くすぐられた娘たちの鋭い叫び、
目、歯、濡れた睫、
魅力的な胸が、火と戯れる、
血が輝くのは、降伏する唇。
最後の贈り物、指がそれを守る、
全てが地下に進み、遊戯の中に戻って行く。

暗い地下の死者たちの世界と打って変わり、地上の少女たちの世界は明るく、動きに溢れている。
詩人は、とりわけ肉体の細部に注意を向ける。目、歯、瞳、胸、唇、指。

太陽の光を浴びた彼女たちの血液は温められ、生の喜びに満たされ、愛する人と口づけを交わすこともあるだろう。
唇は時に降伏し、指で守ろうとしたりもする。そんな恋愛の遊戯が繰り広げられる。

全てが地下に(sous terre)入るという表現は、死者たちが埋められた地下を思うのではなく、人目を忍んでこっそりと行われることだと考えたい。
くすぐられた娘たちは、不在に溶け込んだ死者たちと対極の存在であり、生の贈り物=才能(le don de vivre)を享受する、花咲く乙女たち(filles en fleurs)だ。

Claude
Monet, Jeunes filles au jardin

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