マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 1/7

3つの美

マラルメは、「エロディアード」の美を、二つの美の典型と匹敵させる志を持っていた。
一つ目は、ミロのヴィーナス像。

ミロのヴィーナスは、マラルメにとっては、古代の美の典型だった。
その美とは、無意識的で、全てが統合され、変わることがなく、総合的なもの。

二つ目は、ダヴィンチのモナリザ。


ルネサンス時代に生まれたこの傑作を、マラルメは、キリスト教的な美の典型と見なす。
ジョコンダは、天上と地上の間で引き裂かれる人間のあり方を体現し、その苦悩ゆえに、神秘的な微笑みを浮かべている。

古代の彫刻、中世の絵画に続くのは、近代の詩。マラルメが完成を目指す「エロディアード」ということになる。

それは、インスピレーションによって偶然生まれるものではく、知に導かれて細部まで構築された交響曲のようなものでなれればならない。
そこでは、各部分が完璧に関係づけられ、その結果として、明確な効果を作り出すことが求められる。
その点で、マラルメは、常にエドガー・ポオの弟子であり、ボードレールに従う。

シンフォニーを構成する音符は、言葉。
1)言葉の連続を一目でそれとわかる長さに限定し、メロディーを形成する。
2)音や表現を反復し、交差したり、対位法的に配置することで、リズムや音色のヴァリエーションを作り出す。
3)モチーフも断片化し、それらを規則的に配置することで、リズムを生み出す。
4)楽譜のように、詩においても、言葉を配置を工夫する。
5)言葉が消えたり、また出てくるといった連なりによって、驚きと記憶を呼び覚ます効果を演出する。

そうした全てが、一つの体系として、完璧な構造体となるようにする。

このように、マラルメは、詩の理想を交響曲に見ていたと考えられる。
詩とは音楽であり、「音楽からその富を取り戻す」という彼の主張は、そのことを意味している。

こうした考察を前提にした上で、実際に「エロディアード 舞台」を読んでいこう。

この詩は一時期、舞台で上演される芝居として構想され、実際にコメディー・フランセーズに持ち込まれたこともあった。
ただし、審査の結果は否定的なもので、上演されることなく、マラルメは再び、それを詩作品として執筆することになる。
そこで、「エロディアード 舞台」では、エロディアードと乳母の対話という形式が残されている。

題名、登場人物、そしてセリフが続く様子を、まずは目で確認しておこう。

次回は、「エロディアード 舞台」の冒頭の8詩行を、楽譜を読むように読んでみよう。

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