マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 6/7

           J’aime l’horreur d’être vierge et je veux
Vivre parmi l’effroi que me font mes cheveux
Pour, le soir, retirée en ma couche, reptile
Inviolé, sentir en la chair inutile
Le froid scintillement de ta pâle clarté,
Toi qui te meurs, toi qui brûles de chasteté,
Nuit blanche de glaçons et de neige cruelle !

私は処女であることの恐怖を愛します。私が望むのは、
私の髪が作り出す恐怖の中で、生きることです、
そして、夕べには、寝床に退き、犯されない
蛇として、無益な肉体の中に感じるのです、
お前の青白い光の冷たい輝きを。
死にいこうとするお前、純潔に燃えるお前、
小さな氷の塊と残酷な雪でできた白い夜よ!

この詩句でまず目に付く、というよりも、耳に訴えかけてくるのは、[ v ]の音の反復。(アリテラシオン)
Vierge, Veux, ViVre, cheVeux, そして、少し離れたところにあるinViolé。
[ v ]の音は、詩の冒頭に置かれた乳母の言葉、« Tu Vis ! ou Vois-je »の中で反復し、「生きる」と「見る」を音によって関係付けた。
ここでは、処女性(vierge)と不可侵性(inviolé)が遠くで共鳴しながら、「望む(veux)」「生きる(vivre)」「髪(cheveux)」を繋いでいる。

[ oi ]の音も、キーとなる単語の中で、響き合う。
effrOI, sOIr, frOId, tOI.
この音が、冷たい水(eau frOIde)と鏡(mirOIr)を繋いでいたことを思い出すと、夕べ(soir)、恐怖(effroi)、寒さ(froid)によって導かれるお前(toi)とは誰か、わかってくる。

エロディアードがここで「お前(toi)」と呼ぶのは、乳母ではなく、鏡に映った自分。
主体である「私」が客体である「私」に話しかけるという、この詩の最も基本的な構図が、ここで明白なものとなる。

では、その構図の中で、「処女であることの恐怖(l’horreur d’être vierge)」とは、何を意味するのか。
彼女は、「犯されない蛇(reptile inviolé)」とか「無益な肉体(chair inutile)」といった言葉を口にする。

Gustav Klimt, Water Serpents II

ここで、エロディアードが詩の最初に発した、彼女の髪と肉体に関する言葉を思い出そう。
« Le blond torrent de mes cheveux immaculés / […] le glace (mon corps solitaire) / d’horreur […]. »
汚れのない髪の金色の爆流が、私の孤独な体を凍らせる、恐怖によって。

彼女が愛する恐怖とは、金髪に覆われて凍結した体、あるいはその凍結なのだ。
だからこそ、彼女は「私の髪が作り出す恐怖(effroi que me font mes cheveux)」の中で「生きること(vivre)」を願う。

そして、エロディアードは、今、その姿を、誰にも触れられていない蛇のように感じている。
「お前」と呼ばれる彼女の鏡像も、純潔(chasteté)で燃えている。

このように、処女、犯されない、純潔と、他者から触れられないことを強調するのは、エロディアードの存在のあり方を強調するためだろう。
彼女の存在は、他者との関係によって成立するのではなく、主体の「私」と客体の「私」の錯綜した関係の中で成立する。

Gustav Moreau, Dalilah

その関係は、「私」が鏡の前を離れれば、明白なものではなくなってしまう。
「お前」はすぐにでも死んでしまう(toi qui se meurs)存在。

その「お前」に向かい、エロディアードは、「白い夜(nuit blanche)」と呼びかける。

夜は暗く、白色と夜とは相容れない。その二つを繋げることを、オクシモロン(撞着語法)という。
その語法によって「お前」との複雑な関係を暗示し、さらにそこに「小さな氷の塊(glaçons)」と「残酷な雪(neige cruelle)」が付け加えられることで、冷たさや儚さの効果が生み出される。

しかし、その特性は、鏡の中のエロディアードのものなのか。鏡の前のエロディアードのものではないのか。

Et ta sœur solitaire, ô ma sœur éternelle
Mon rêve montera vers toi : telle déjà,
Rare limpidité d’un cœur qui le songea,
Je me crois seule en ma monotone patrie
Et tout, autour de moi, vit dans l’idolâtrie
D’un miroir qui reflète en son calme dormant
Hérodiade au clair regard de diamant…
O charme dernier, oui ! je le sens, je suis seule.

お前の孤独な姉妹よ、おお、私の永遠の姉妹よ、
私の夢はお前に向かい昇っていくだろう。もうこんな風に、
それを夢見た心の、ありえないほどの透明さとなり、
私は一人だと思っている、私の単調な祖国の中で、
そして、私を取り囲む全てが、鏡を崇拝し、生きている、
鏡は、眠るような静けさの中、映し出す
エロディアードを、ダイヤモンドの明るい眼差しをした。。。
おお、最後の魔法の魅力よ、そう!私は感じている。私は一人なのだ。

エロディアードは、鏡に映るエロディアードに向かい、こう言う。
「私の(ma)」永遠の姉妹よ。
その姉妹とは、鏡に映る映像のこと。
他方、鏡の像に向かって、「お前の(ta)」孤独な姉妹と言えば、その姉妹とは、鏡の前にいるエロディアード自身のことを指すことになる。

effet miroir

しかし、この時、二人の姉妹のどちらがどちらに話しかけているのか、区別できるだろうか。
鏡の中のエロディアードも、こちら側のエロディアードと同時に相手に呼びかけ、まった同じ身振りをする。
実在と鏡像の区別が曖昧になり、根拠を持たないものになる。
どちらが先で、どちらが後ということもない。どちらが姉で、どちらが妹ということもない。
マラルメは、フランス語の姉妹(sœur)という言葉が、姉と妹を区別しないことを、巧みに利用している。

二人はほとんど同一であり、その相互関係の中に生きる存在。
とすれば、二重化しているように見える「私」も、実のところ一人であり、孤独である。

さらに言えば、二人の間には鏡(miroir)があり、「私」はそれを見つめる。
その時、鏡は「虚無(le Néant)」であり、それ自体に動きはない。眠ったように静か(calme dormant)だ。
それは、氷=ガラス(glace)として姫の前に置かれ、私の回りの(autour de moi)「あらゆるもの(tout)」を映し出す。

その際に、あらゆるものが、鏡の崇拝の中(dans l’idolâtrie)で生きる(vit)ととしたら、あらゆるものも鏡に映ることで、生を得ることになる。
生きる(vivre)は見る(voir)と[ v ]の音によって共鳴し、見るための媒介が鏡(miroir)。voirとmiroirが[ oi ]の音で響き合う。

エロディアードは、孤独でありながら、鏡に映る自己の姿との間に全てを映し出す。つまり、全てはエロディアードの中にある。

従って、全て(tout)も、エロディアードと同じように、孤独(solitaire)でありながら永遠(éternel)。過去、現在、未来を含み込む。

私の夢(視線)は、これからもお前に向かう(montera)。その際、動詞は未来形が使われる。(未来)

その夢をかつて夢見た(songea)心(cœur)がある。動詞は、単純過去形。
すでに見てきたように、単純過去は、話者とは切り離された行為を示す。
従って、夢見た心は、エロディアード個人の心というよりも、どの人間にもある普遍性に基づいた心ということになる。
その時、マラルメは、夢見た時点(songea)を過去に位置させている。(過去)

Paul Delaroche, Hérodiade, détail

そして、今、エロディアードは、自分を孤独だと見なしている(Je me crois seule.)。(現在)

このように、過去、現在、未来が、鏡の前で自分の姿を見るエロディアードの中に重層化されている。

その時、彼女の眼差しは、ダイヤモンドのように澄んでいる。
その眼差しをしたエロディアードは、魅力(charme)に富む。
それこそ、マラルメが思い描く「美」そのものの姿だ。

マラルメのエロディアードは、聖書で語られた出来事や歴史的な事実に基づき、洗礼者ヨハネの首をはねさせたサロメあるいはその母親をモデルし、その再現として描き出された女性ではない。
エロディアードという名前が発散する印象に導かれ、「エロディアード 舞台」の中でのみ生き、読者の心に美を生み出す効果を期待された詩句によって形作られている。
だからこそ、彼女は孤独でありながら、永遠なのだ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中