ベルト・モリゾ 穏やかな画筆を持つ印象派の画家 Berthe Morisot peintre au pinceau de douceur

Berthe Morisot, Jour d’été

印象派の画家たちの中でも、ベルト・モリゾ(1841−1895)の描く絵画は、穏やかで、優しい。
すすり泣きを取り去ったヴェルレーヌの詩の世界という印象がする。

「夏の日」(1879)を前にして、私たちは暑苦しさをまったく感じない。それどころか、夏の日差しでさえも、柔らかく、心地良い。

Edouard Manet, Berthe Morisot au bouquet de violettes

1841年に生まれ、1895年になくなったベルト・モリゾが画家として社会で受け入れられる道は、それほどたやすいものではなかっただろう。意志の強さは人一倍だっただろう。
しかし、彼女の表情に頑なさはなく、世界を見つめる澄み切った目が印象に残る。
エドワード・マネは彼女を数多く描いている。その中の一枚「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」。
彼女の絵画の世界は、この肖像画のように、落ち着きがあり、穏やかな美に満ちている。

1860年代の初め、ベルトが絵画を学び始めた時に先生として選んだのは、カミーユ・コロー。コローの描く自然は、写生のようでありながら、夢幻的でもあり、全てが大気の中に溶けていくような印象を与える。

Camille Corot, Ville d’Avray

ベルト・モリゾの1863年の作品「オヴェールへの古い道」も、どこか朧気で、木の根元に腰掛ける人間の姿が、自然の中に溶け込んでいる。

Berthe Morisot, Le vieux chemin à Auvers

こうした傾向は、最初に見た「夏の日」でも、彼女の夫ウージェーヌ・マネ(エドワールの弟)と一人娘ジュリーを描いた一枚でも、同様である。

Berthe Morisot, Jour d’été, 1879
Berthe Morisot, Eugène Manet et sa fille dans le jardin de Bougival, 1883

初期の作品である「オヴェールへの古い道」では、まだベルトの個性がはっきりとしないが、後期の「ブジヴァルの庭でのウージェーヌ・マネと彼女の娘」になると、一目で彼女の筆であることがわかる。

絵画への道を開いてくれたのは、夫の兄であるエドワード・マネ。
有名な「バルコニー」(1868−9)の中で、ベルトは一番前に座り、外の世界を見つめている。

Edouard Manet, Le Balcon, 1868-69

しばしば、絵画は世界に開かれた窓だと言われる。マネは、ベルトをこの窓の中心に据えることで、画家としてのベルトを後押ししようとしたのかもしれない。

19世紀後半のフランスでは浮世絵が大流行し、マネも大きな影響を受けていた。当然、ベルトも例外ではない。マネの「休息」(1871)には、ベルトの背後に浮世絵が描かれている。

Edouard Manet, Le Repos, 1871.

ベルトの頭の上にあるのは、歌川国芳の「龍宮玉取姫之図」。

浮世絵がヨーロッパの絵画にもたらした新しい美学の一つは、構図。
遠近法が発明されて以来、ヨーロッパの絵画は、近景/中景/遠景が描かれ、3次元の空間が2次元の画布の上に作られてきた。
他方、「龍宮玉取姫之図」には奥行きがない。

そのことを意識して、「休息」を見ると、前景に座るベルトと背景の浮世絵の間にあるはずの中景が抜けていることがわかる。
歌川国芳の浮世絵は、マネがベルトに授けた新しい画法を示している。

その教えに従ってなのか、ベルトの代表作には、前景と後景だけで構成され、中景が省かれているものがある。
例えば、「ゆり籠」(1872)。

Berthe Morisot, le Berceau, 1872

ゆり籠の中に眠る赤ん坊と、その子を見つける母親(モデルは、ベルトの姉エドマ)。二人が前景に置かれ、エドマの頭の後ろの窓は中景を飛ばして、遠景に置かれている。その空間の感覚は、マネの「休息」と類似している。

同じ印象は、「バルコニーの女性と子供」(1872)でも感じる。中景がなく、前景と遠景の画面構成。

Berthe Morisot, Femme et enfant au balcon, 1872

この絵画は、ベルト・モリゾがマネの影響を受けるだけではなく、彼に影響を与えることもあったという証拠になる。
ベルトの絵が描かれた後で、マネは、母子が並ぶ姿を描いた「鉄道」(1873−4)を制作している。

Edouard Manet, le Chemin de fer, 1873-74

マネのモデルになっているのは、10年前にパリの画壇で大スキャンダルとなった「オランピア」(1863)で描かれたヴィクトリーヌ・ムーラン。その後アメリカに渡り、苦労を重ねて、フランスに戻ってきたのだという。
モリゾとマネの2枚の絵画を見比べると、穏やかさと厳しさの対比が際立ってくる。

ベルト・モリゾの絵画の優しさは、白色の淡さにもよっているだろう。「バルコニーの女性と子供」の中の少女の服の白と、ベルトの少女の白では、印象がまったく違っている。

「大きな鏡(プシシェ)」(1876)でも、溶け込むような白い色が、絵画全体の印象を決定付けている。

Berthe Morisot, Le Psyché, 1876.

鏡は当時流行の文学的テーマであり、自己を見る自己という哲学的な思索を含んでいた。しかし、ベルトの描く鏡にはそうした厳めしさはなく、お気に入りの服を着た自分の姿を鏡に映す、幸せそうな少女の気持ちが素直に描き出されている。
しかも、どこかに哀愁が潜んでいる。
こうした感覚は、最初に師事したコローの風景画の印象と似ているし、日本的な感性を思わせたりもする。

1880年にベルトが描いた「立葵」は、二つの影響を感じさせると同時に、ベルトの個性が十分に発揮されている作品。

Berthe Morisot, Rose trémière, 1880.

参考に、日本画で立葵を見てみよう。

渡辺 始興『草花図屏風』

「昼食の後」(1882)では、食卓に座る女性の背後には植物が生い茂っているが、人間と自然の境目は取り払われているような印象がある。
その一体感のおかげで、画面全体から幸福感が醸し出されている。

Berthe Morisot, Après le déjeuner, 1882

ベルト・モリゾの死の前年にオーギュスト・ルノワールが描いた、ベルトと娘ジュリーの肖像画。

Auguste Renoir, Berthe Morisot et sa fille, Julie Manet, 1894

ルノワールは幸福の画家。彼の幸福感とベルト・モリゾの絵画の幸福感が近いことが、この絵から感じられる。
ちなみに、ベルトの夫であるウージェーヌ・マネが亡くなった時、詩人のステファン・マラルメがジュリーの後見人になっている。

ベルトは、自分のことをどのように見ていたのだろうか。
彼女の数少ない自画像が、彼女の自己意識を垣間見させてくれる。

Berthe Morisot autoportrait 1885

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