ボードレール 苦痛の錬金術 Baudelaire Alchimie de la douleur 魔術的クリエーションの原理

錬金術(alchimie)とは、卑俗な金属を黄金に変える秘法。
Al-chimieのalはアラビア語の冠詞。

近代に入り、錬金術の実験科学的側面が理性の制限を受け入れることで、化学(chimie)が発展した。

原則的に、「無」から「有」を作り出すことはできない。
錬金術にしろ化学にしろ、なんらかの材料に働きかけ、変形することで製品を作り上げる。
クリエーションとは「有」を「別の形の有」に変形・変質させること、という意味では、錬金術と化学に違いはない。

では、違いは何か?

近代の化学は、合理的な思考に基づき、検証可能な過程を経て、変形を行う。
従って、いつ、誰が、どこで操作をしても、同じ結果になる。
化学は自然科学に属する。

それに対して、錬金術は魔術的であり、理性とは無関係に作動する。
そのため、実験の検証は不可能。黄金精錬の可否は錬金術師の技による。
錬金術は一回限りの秘儀。

ボードレールは、一行8音節のソネ「苦痛の錬金術」という極小の詩的空間の中で、彼の錬金術(非化学的クリエーション)がどのようなものか、精錬室を垣間見させてくれる。

Alchimie de la douleur

L’un t’éclaire avec son ardeur,
L’autre en toi met son deuil, Nature !
Ce qui dit à l’un : Sépulture !
Dit à l’autre : Vie et splendeur !

一方は、お前を照らし出す、暑い情熱で。
他方は、お前の中に喪を置く。「自然」よ!
一方に、「墓!」と言うものが、
他方に、「生」と輝き!と言う。

詩人は、「自然(Nature)」に対して呼びかける。
その綴り字の先頭が大文字で書かれているので、ボードレールが自然を固有名詞的に捉えていることがわかる。

彼は、「コレスポンダンス(Correspondances)」の中で、「自然は神殿。生きた柱が、/ 時として、混乱した言葉を発する。(La Nature est un temple où de vivants piliers / Laissent parfois sortir de confuses paroles)」と歌った。
https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/
彼が考える自然とは、海や山といった外の自然だけではなく、人間の内面も含め、存在する全てを意味すると考えてもいいだろう。

その「自然」の2つの側面が浮かび上がる。
その際、「一方は・・・、他方は・・・」と対比的に論じることで、二元論的な思考が強調される。

対比は、一方が肯定(正)的、他方は否定(負)的な要素。
それらが、正ー負ー負ー正と、キアスム(交錯配列法)に配置され、相反する要素の対立が効果的に表現されている。

肯定(正)的な要素は、自然を照らし(éclairer)、輝かせる(splendeur)光、そして、「生(Vie)」。
否定(負)的な要素は、喪(deuil)であり、「墓(Sépulture)」。
一言で言えば、自然の生と死が浮き彫りにされる。

古代ギリシアを起源とする西欧的思考では、クリエーションは二元論的な対立によって行われる。
最初にカオスがあったとしても、すでにその中に対立があり、二つの要素の戦いによってクリエーションが開始される。
キリスト教においても、神は最初に「光あれ!」と言う。その背景には闇があり、天地創造は闇と光の対立によって開始される。

二元論的対立こそが西欧における創造原理であり、ボードレールは「苦痛の錬金術(Alchimie de la douleur)」の第1カトラン(4行詩)で、これ以上なく明解に、自然の根本原理である生と死の対比を描き出す。

Hermès inconnu qui m’assistes
Et qui toujours m’intimidas,
Tu me rends l’égal de Midas,
Le plus triste des alchimistes ;

未知のヘルメスよ、今も私に付き添い、
かつて常に私を恐ろしがらせた
お前は、私をミダス王と等しい者、
世界で最も悲しい錬金術師にする。

ボードレールにとって、詩を創造することは、黄金の生成に匹敵する。
ポエジーは黄金なのだ。
その黄金を作るために彼が依拠するのは、錬金術(Alchimie)。

自然科学に属する化学(Chimie)に依拠するのであれば、理性に基づき、フランス詩法に則りながら、言葉を組み立てていくことになる。
その場合には、結果の計算ができ、作品の最終的な結果を科学者がコントロールできる。

他方、錬金術は理性的思考に基づかず、金の生成が実現するか、恐ろしい生成物ができあがるか、実験装置が爆発して粉々になるか、結果は予測不可能。
しかし、科学的に卑金属から金を生成ことはできない。
黄金を作り出すためには錬金術しかない。

そこで詩人が呼びかけるのは、「未知のヘルメス(Hermès inconnu)」。つまり、錬金術師の祖といわれるヘルメス・トリスメギストス(Hermès trismégiste)。
Trismégisteとは「3倍偉大な」という意味で、ヘルメス・トリスメギストスは、占星術や錬金術など魔術的思考を論じた膨大なヘルメス文書の著者とされる。
宇宙、自然、人間には〈三位一体〉の原理が貫き,その3つの世界が対応する万物照応(コレスポンダンス)を説いた、と言われることもある。

そのヘルメスが、詩人をかつては恐れさせ(intimider)、今も詩人に付き添っている(assister)。逆に言えば、詩人の後見人であり、ポエジーの錬金術を司っている。

そして、ヘルメス・トリスメギストスは、詩人をミダス王(Midas)に匹敵する者にする。

ミダス王は、酒神ディオニュソスの養い親であるシレノスを歓待した礼として、酒の神から、何でも一つだけ望みを叶えてやると言われる。そこで、彼が望むのは、自分の体に触れるもの全てが黄金になること。その意味で、ミダス王は錬金術師になったと言える。
その話の結末は、幸福なものではない。
手に触れるもの全てが黄金に変わるため、食物も飲み物も全てが金に変わり、何も食べることができなくなる。そのために、ミダス王は空腹に苦しみ、最後は神に懇願し、錬金の能力を取り除いてもらう。

ヘルメス・トリスメギストスを恐れ、悲しい錬金術師としてのミダス王に言及するとしたら、その理由は、錬金術が決して詩人によって合理的に行われるものではないことを示すためだろう。
実際、「私」の錬金術は、黄金を鉄に変えてしまう。

Par toi je change l’or en fer
Et le paradis en enfer ;
Dans le suaire des nuages

Je découvre un cadavre cher,
Et sur les célestes rivages
Je bâtis de grands sarcophages.

お前を通して、私は金を鉄に変える。
天国を地獄に変える。
雲たちの死の装束の中に、

私は愛しい死体を発見する。
天上の海岸に、
私は巨大な石棺を建造する。

第1テルセ(3行詩)の最初の2行で示されるのは、ボードレール的錬金術が、黄金を作り出す術とは正反対に働くこと。
金(or)は鉄(fer)に、天国(paradis)は地獄(enfer)に変わる。

ただし、この変形・変質も、肯定と否定、正と負、善と悪の方向性が逆なだけで、クリエーションであることに変わりはない。
ボードレールは、詩集『悪の華』の詩人。悪を美として歌う。
そのためには、合理的な化学(Chimie)ではなく、魔術的な錬金術(Alchimie)の秘法が求められる。

テルセの後半の4行は、抱擁韻(ABBA)であり、一つの塊を作る。
その上で、第1テルセの3行目と第2テルセの一行目が句またぎ(enjambement)となり、伝統的な詩法から逸脱することで、「雲たちの死の装束の中に(Dans le suaire des nuages)」にアクセントが置かれる。

Eugène Boudin, Trouville, scène de plage

詩人は、海岸で、空に浮かぶ雲を見つめる。
そこが「自然(Nature)」であり、錬金術の素材となる。

そして、ポエジーのクリエーションが始まる。
第一段階では、雲が死の装束(suaire)になる。すると、死体(un cadavre)が現れる。
その死体は彼を恐れさせるものではなく、彼にとって愛しい(cher)もの。
死(死体)と愛(愛しさ)を結び付ける撞着語法(オクシモロン)を用いることで、死の価値を転換し、失われたものへの愛着を暗示する。

次の段階では、雲が海岸になる(rivages célestes)。そして、巨大な石棺(de grands sarcophages)を作り上げる。それは、愛しい死体を安置する安らぎの場所となるだろう。
棺が複数形なのは、想像力の活発な働きを示している。
愛しい遺体も、それを収める棺も、増殖していく。

一見、黄金が鉄になり、天国が地獄になれば、錬金術は最も悲しい結果をもたらしたように思われる。
しかし、ボードレールは、「苦痛の錬金術」の最後に、負は負のままで終わるのではなく、創造の活力を生み出す力を秘めていることを示す。
死にも愛があり、「私」は地上の海岸を天上に持ち上げ、石棺を建造することができもする。

合理的な思考では負でしかないものも、理性を超越した思考では正になりうる。
創造の原理は常に二元論的対立だが、錬金術では正と負の価値付けは不明。
自然の生命力である「生」の動きが、クリエーションを可能にする。
それこそが、『悪の華』の詩人におけるポエジー創造の原理であることが、「苦痛の錬金術」によって示されている。

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