パリ時代のゴッホ Gogh à Paris 印象派と浮世絵

浮世絵 — ゴッホの日本

ゴッホが浮世絵を技術面から語る文を読むと、なぜ彼がそれほど日本の美術に魅了されたのかわかってくる。
純色に関しては印象派と同じだが、浮世絵は「色」によって「形」を捉えるように、彼の目には見えている。

日本人は、反射を考えず、平板な色を次々に並べ、動きと形を捕らえる独特の線を出している。(中略)
多くの場合、白と黒とは色と考えられるし、その対照は、例えば赤と緑の対照と同様に、心を突くものだ。日本人たちはそれを色として使っているではないか。彼等は、娘の艶のない青白い肌と黒い髪のコントラストを、驚くほど巧みに表現している。しかも、1枚の白い紙に筆を四度使っただけで。

ゴッホが浮世絵に発見した色の問題は、ヨーロッパの色彩論とは違う手法があり、それが見事な効果を上げるということである。

色相環を見ると、そこには白も黒もない。つまり、黒も白も色相の中に入っていないことになる。しかし、補色である赤と緑の対比と同様の強度で、人の心を捕らえるという。
白も黒も色。この認識は、ヨーロッパの色彩論にとって革新的なものなのである。

その上、浮世絵の、反射を考えない平坦な色、つまり陰影法を使わず、純色をそのまま用いる技法は、「動きと形」を捕らえることを可能にする。
まさに、ゴッホの理想が浮世絵にはある。

パリにいる2年の間、ゴッホは浮世絵を収拾し、自ら模写もしている。

ゴッホ、ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)
ゴッホ、ジャポネズリー:花魁
ゴッホ、ジャポネズリー:雨の橋

模写を通して、ゴッホは彼なりの日本像を作り上げた。
それは、彼の思い込み、考えすぎ、妄想等と揶揄されるほど極端な日本論かもしれない。しかし、日本人でも気づかないほど、日本文化の本質を突いている。

今日、日本人はどういう生き方をしているのか。地球と月との距離を研究しているのか。ビスマルクの外交政策を研究しているのか。そんなことではない。日本人は、ただ草の葉の形を調べているのだ。しかし、その1枚の葉から、やがて全ての植物を描く道が開かれる。それから、季節を、田園の広い風景を、動物を、人間を。日本人の生活は、こうして過ぎていく。そして、全てをやるには、人生は短すぎる。自ら花となって、自然のうちに生きている単純な日本人たちが、僕たちに教えるものは、実際、宗教といってもいいのではないか。

単純なものに全てが宿る。1枚の草がそのまま全自然であり、自然全体が1枚の花として姿を現す。人間も、動物も、風景も、根源は等しく、人間は花でもあり、花が人間でもある。
俳句や山水画等を通して表現される、日本人の心の根底に宿る「無=全」の思考を、ゴッホは、浮世絵に代表される当時のジャポニズリー(日本趣味)を通して、直感的に感じ取り、理解したのだろう。

そして、彼の理解する「日本」の中に宗教を読み取るとしたら、画家ゴッホの後ろには牧師ゴッホがいると言ってもいいだろう。

だからこそ、彼にとって、日本の芸術家の姿は理想だった。

僕は思うのだが、君がもし日本の芸術を研究するなら、もっと陽気に、もっと幸福にならなければならない。僕等は、紋切り型の仕事や教育を捨て、自然に還らないといけない。・・・僕は、日本人が全ての制作のうちに持っている極度の清潔を羨望する。決して冗漫なところもないし、性急なところもない。彼等の制作は、呼吸のように単純だ。まるで着物のボタンをかけるとでもいうように、僅かばかりの筆使いで、苦もなく形を描き上げる。ああ、ぼくもいつかは、こんな具合に描けるようにならないといけない。

呼吸するように、服にボタンをかけるように、単純に、自然に腕を動かす。そして、色によって単純な形を描き出す。
別の所では、ナイチンゲールが歌うように描きたい、と書いている。

パリで行った浮世絵の模写は、日本芸術へのオマージュというよりも、彼の理想を実現するため、日本の芸術家に自らを一体化させるための試みだったのではないだろうか。

生のエネルギーの表現

パリで新たに獲得した豊かな色彩を使い、浮世絵のように「形」を描き出す。その試みを形にした1枚が、パリでとても親切にしてくれる画材屋、タンギーさんの肖像画だ。

Vincent van Gogh, Le Pere Tanguy

タンギーの背後は、浮世絵で埋め尽くされている。
頭の上には、雪景色、富士山、桜が、左下には朝顔が置かれ、日本人の感性にとって何よりも大切な四季がはめ込まれている。
時は移り変わるけれど、季節は再び巡ってくる。そこに儚さを惜しみながら、美を見出す日本的感性の秘密が隠されている。
さらに、タンギーの左右には、渓斎英泉の花魁と、三代目歌川豊国の三浦屋高尾という二人の美人画が配されている。
背後を埋め尽くす浮世絵の模写は、ゴッホの考える日本とはどのようなものか伝える役割を果たしている。

Edouard Manet, Le Joueur de fifre

技法としては、筆触分割が用いられ、第一世代の印象派的なタッチを感じさせる。その一方で、タンギーさんの体は、浮世絵に見られるような太い輪郭線で縁取られている。
こうした太い輪郭線は、マネの「笛を吹く少年」とも共通し、浮世絵の影響をはっきりと示す特色になっている。

さらに、英泉の「雲龍打掛の花魁」の着物や「東京名所 いり屋」の朝顔は、均質で大きな色の塊で描かれ、ヨーロッパ絵画の伝統である明暗法とは全く違う技法を使った色使いが強調される。
ゴッホ自身の言葉を借りれば、「平板な色を次々に並べ、動きと形を捕らえる独特の線」。

「タンギー爺さん」は、明度の高い色彩で描かれているが、オランダ時代の「ジャガイモを食べる人々」に匹敵する、高い精神性を持つ1枚になっていると言っても過言ではない。

Vincent van Gogh, Mangeurs de pommes de terre

「カフェ・タンブランの女」も、印象派的色彩の影響下で描かれた肖像画。

Vincent van Gogh, Agostina Segatori dans le Tambourin

モデルの内面を強く感じさせるこの肖像画は、二つの世代の印象派の画家たちの画法を取り入れながらも、ゴッホの中に常に伝道師がいることを示している。彼は、人間の生の動きを「形」によって捕らえることを目指していた。

その意味では、パリで出会った同時代の画家、ロートレックやドガと同じ方向を向いていたとも考えられる。ロートレックの「化粧」やドガの「浴盤」は、顔の表情ではなく、背中を中心とした体の色と形によって、描かれた人間の心の動きを捉えている。

Toulouse-Lautrec, Femme à sa toilette
Degas, Le Tube

ドガは、第8回印象派展にも参加していた。その際に出品された「アイロンをかける2人の女性」。この絵にも、はっきりとした動きがある。

Degas, Les Blanchisseuses

ゴッホは、オランダ時代、人間を描こうと自然の風景を描こうと、動きの形を捕らえることには変わりがないと、テオへの手紙で書いたことがある。
また、浮世絵を介して理解したこととして、日本人には、1枚の草から全ての植物を描く道が開かれ、さらには、季節、風景、動物、人間へとつながっていくと考えた。

ゴッホにとっては、人物や風景といった題材の違いはほとんど意味を持たない。
「モンマルトルの菜園」。この中では、印象派的な筆触分割が用いられているが、風景は静止せず、生のエネルギーに溢れ、全てが疾走している。丘も風車も空も、一つの力の表現となる。

Vincent van Gogh, Kitchen Gardens on Montmartre

パリ時代の最後に描かれた自画像。モンマルトルの菜園と同じように、全てが動いている。

Vincent van Gogh, Autoportrait

この二枚の絵が伝えるのは、モンマルトルの風景でも、ゴッホの顔でもなく、「生命力の充満」とでも呼べるエネルギー。
オランダ時代には暗いメランコリーが先に立っていたが、パリの2年間はゴッホに明るい色彩を与えてくれた。
二つの時期で、風景と人間の区別を消滅させるほどの勢いを持つエネルギーの横溢は変わらない。
パリ時代に彼が習得したのは、動きの「形」を「色」で捕らえることだった。

1888年2月、ゴッホはパリを突然離れ、アルルに到着する。
その時の彼は、パリでの2年間は空白であり、南フランスで印象派を知る前のオランダ時代に戻る、という意識を持っていた。
しかし、パリで得た色彩を捨てることはしない。むしろ、その経験をより発展させていくのが、アルルの時代だといえる。
黄色が、色と形が見事に調和する象徴となる。