科学的な自然観 フォントネル 複数世界に関する対話 Fontenelle Entretiens sur la pluralité des mondes 

Fontenelle

フォントネル(1657−1757)は、17世紀の後半から18世紀にかけて、合理的で科学的な精神を、わかりやすく人々に伝える役割を果たした。

1686年に発表した「複数世界に関する対話(Entretiens sur la pluralité des mondes)」の中では、ある侯爵夫人との対話という形で、天体に関する科学的な知見について語っている。

ここでは、「自然(nature)」を科学的に説明する一節を読んでいくが、その前に、合理的で科学的な精神はルイ14世の時代を通して徐々に確立していった思考であることを思い出しておこう。

17世紀後半、デカルト哲学に代表される「理性(raison)」を中心に据えた思考法と、世紀の後半に展開されたニュートン物理学等が連動し、「科学的な思考」が出来上がりつつあった。

それ以前には、ある出来事の解明には、原因の追及が行われた。アリストテレスであれば、ある物が落下する(運動する)ためには、それを動かす物が必要であり、その原因を探っていくと、究極的には最初に動かす動者が存在するとされる。

Newton’s tomb monument

しかし、アイザック・ニュートンは、動者といった仮説的な原因を探るのではなく、観察と実験によって、引力がどのような法則によって機能するのかを明らかにしようとした。
「なぜ?」ではなく、「どのように?」という問いが、様々な現象に対して検証可能な普遍的原理の解明へと導くのである。

フォントネルは、そうした視点に立ち、「複数世界に関する対話」の第一部で、自然の活動について説明する。

まず、方法論について。

Ainsi les vrais philosophes passent leur vie à ne point croire ce qu’ils voient, et à tâcher de deviner ce qu’ils ne voient point […].

このように、真の哲学者たちは、一生を通して、目に見えることを信じるのではなく、目に見えないことを見抜こうと努めています。

ここで哲学者と言われるのは、現代で言えば、様々な分野の学者全体を指すと考えられる。
彼等の方法は、見えることをそのまま信じない、つまり第一に「疑うこと(doute)」こと。
次に、見えないことを「見抜こう(deviner)」とすること。
フォントネルが言う「見抜く」こととは、物事の究極の原因を探るのではなく、どのような法則が働いているのか探ることを意味する。
リンゴを落ちるところを見て、リンゴを落とした超越的な存在を仮定するのではなく、リンゴが落ちる法則、つまり目にみえない「引力」を発見すること。

このようにして、フォントネルは、学術的な用語を使うのではなく、誰にでも理解できる言葉で、自然に関する知見を読者に伝えていく。

Sur cela je me figure toujours que la nature est un grand spectacle qui ressemble à celui de l’opéra. Du lieu où vous êtes à l’opéra, vous ne voyez pas le théâtre tout à fait comme il est ; on a disposé les décorations et les machines, pour faire de loin un effet agréable, et on cache à votre vue ces roues et ces contrepoids qui font tous les mouvements.

そうしたことに基づき、私がいつでも思うのは、自然は巨大な見世物で、オペラの見世物に似ているということです。オペラ座であなたがいらっしゃる場所から、劇場が実際にはどのようなものなのか、あなたには見えません。そこには飾りや機械仕掛けが施され、遠くから見て気持ちのいい効果を生み出すようになっています。あらゆる動きを作り出す歯車や分銅は、あなたから見えないように隠されています。

自然とオペラ劇場とが並行関係に置かれることで、自然のメカニスムが、人間の作った建築物と同じように説明できることになる。

オペラ座の観客の目には、舞台上で物が動いていることは見えても、それを動かしている機械類は見えない。
落ちるリンゴは見えるけれど、引力は見ないのと同じことである。

Aussi ne vous embarrassez-vous guère de deviner comment tout cela joue. Il n’y a peut-être guère de machiniste caché dans le parterre, qui s’inquiète d’un vol qui lui aura paru extraordinaire et qui veut absolument démêler comment ce vol a été exécuté. Vous voyez bien que ce machiniste-là est assez fait comme les philosophes. Mais ce qui, à l’égard des philosophes, augmente la difficulté, c’est que dans les machines que la nature présente à nos yeux, les cordes sont parfaitement bien cachées, et elles le sont si bien qu’on a été longtemps à deviner ce qui causait les mouvements de l’univers.

ですから、それら全てがどのように動いているのか見抜くこうとして、あくせくすることはありません。平土間に身を隠し、普通ではない様子で空中を飛ぶ物に気をもみ、どのようにしてその飛行が行われたのか絶対に明らかにしようと望むような、そんな道具係はたぶんいないでしょう。そんな道具係がいたら、哲学者たちのようだと、あなたは思われるでしょう。しかし、哲学者に関して、難しい問題をさらに難しくすることがあります。自然が私たちの目の前に見せる機械の中では、綱は完全に隠されています。そして、それがあまりに巧みに行われているため、長い間、人々は、宇宙の動きを生み出したものが何なのか、見抜こうとしないといけませんでした。

Hercule amoureux

バロック演劇では、大がかりな仕掛けを使い、しばしば舞台の上で大きな物体が飛ぶ場面が演出された。
観客達は、驚くような光景を目にして、楽しむだけで十分であり、機械仕掛けのからくりを知る必要はない。
フォントネルは、道具係でさえも、装置がどのようになっていて、どのように動くのか、知ろうとしないだろうと言う。

そうしたからくりを探ろうとするのは、哲学者(科学者)である。
ただし、劇場と違い、自然の仕組みを探るのは、さらに難しい。なぜなら、自然の方が劇場よりもずっと精巧に出来ていて、からくりが見えにくいからである

そのために、数多くの哲学者たちが、自然の解明に挑んできたが、意見はばらばらだった。
フォントネルは、ギリシア・ローマ神話に出てくるファエトンの例を使い、異なった見解を列挙する。

ファエトンは、太陽神アポロンの息子。
古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』によれば、彼は友人たちからアポローンの息子であることを疑われ、神の息子であることを証明しようとして、太陽の戦車を操縦して空を飛んだ。しかし、うまく手綱を操ることができず、戦車を暴走させ、地上のあちこちに大火災を発生させた。

Car représentez-vous tous les sages à l’opéra, ces Pythagore, ces Platon, ces Aristote, et tous ces gens dont le nom fait aujourd’hui tant de bruit à nos oreilles ; supposons qu’ils voyaient le vol de Phaéton que les vents enlèvent, qu’ils ne pouvaient découvrir les cordes, et qu’ils ne savaient point comment le derrière du théâtre était disposé. L’un d’eux disait : C’est une certaine vertu secrète qui enlève Phaéton. L’autre, Phaéton est composé de certains nombres qui le font monter. L’autre, Phaéton a une certaine amitié pour le haut du théâtre ; il n’est point à son aise quand il n’y est pas. L’autre, Phaéton n’est pas fait pour voler, mais il aime mieux voler, que de laisser le haut du théâtre vide ; et cent autres rêveries que je m’étonne qui n’aient perdu de réputation toute l’Antiquité. À la fin Descartes, et quelques autres modernes sont venus, qui ont dit : Phaéton monte, parce qu’il est tiré par des cordes, et qu’un poids plus pesant que lui descend. Ainsi on ne croit plus qu’un corps se remue, s’il n’est tiré, ou plutôt poussé par un autre corps ; on ne croit plus qu’il monte ou qu’il descende, si ce n’est par l’effet d’un contrepoids ou d’un ressort ; et qui verrait la nature telle qu’elle est, ne verrait que le derrière du théâtre de l’opéra.

オペラ劇場にいるあらゆる賢人たちを思い描いてください。ピタゴラスたち、プラトンたち、アリストテレスたち、今日、私たちがよく耳にする名前を持った人々です。彼等がファエトンの飛ぶところを見た場面を想像してください。ファエトンは風によって巻き上げられていますが、彼等は綱を見つけることができませんでしたし、劇場の裏側がどのような配置になっているのかも知りませんでした。1人が言いました。何か隠された力が、ファエトンを持ち上げている、と。別の人によれば、ファエトンは芝居小屋の上の方に対して友情を抱いています。そこにいないと、居心地が悪いのです。さらに別の人によれば、ファエトンは空を飛ぶようには作られていませんが、でも、劇場の上の方を空にしておくよりも、飛んでいる方を好みます。それ以外にも数多くの夢想が語られましたが、驚くことに、古代の評判を失わせることはありませんでした。最後にデカルトや何人かの近代の賢者がやって来て、こう言いました。ファエトンが空に昇るのは、綱に引かれているからであり、彼よりも重い重さ(引力)が下に下っているのだ、と。その結果、もし別の物体によって引かれなかったり、押されたりしなければ、一つの物体がそれ自体で動くなどと、もう誰も信じません。分銅やバネの効果によってでなければ、物が上がったり下がったりするとは、誰も思いません。自然のあるがままの姿を見ることのできる人がいれば、オペラ劇場の裏側を見ることができるかもしれません。

まず最初に、古代の哲学者たちの名前が挙げられ、彼等がファエトンの飛行に関して考え出した様々な見解が提示される。
それらの多様性と矛盾が、権威とされる意見の不確かさを証明する。

最後に、デカルトの名前の下で、科学的な視点が提示される。それによれば、ファエトンが空を飛んだのは、舞台で人や物が空中を飛ぶのと同じように、綱で引かれていた、ということになる。

フェヌロンは、自然の現象に関して、超自然な力の存在を否定し、科学的、物理的な視点から解明する。
そうした考え方は、18世紀になって登場する人間さえも機械論的に捉える見方の先駆けだといえるだろう。

À ce compte, dit la Marquise, la philosophie est devenue bien mécanique ? Si mécanique, répondis-je, que je crains qu’on en ait bientôt honte. On veut que l’univers ne soit en grand, que ce qu’une montre est en petit, et que tout s’y conduise par des mouvements réglés qui dépendent de l’arrangement des parties. Avouez la vérité. N’avez-vous pas eu quelquefois une idée plus sublime de l’univers, et ne lui avez-vous point fait plus d’honneur qu’il ne méritait ? J’ai vu des gens qui l’en estimaient moins, depuis qu’ils l’avaient connu. Et moi, répliqua-t-elle, je l’en estime beaucoup plus, depuis que je sais qu’il ressemble à une montre. Il est surprenant que l’ordre de la nature, tout admirable qu’il est, ne roule que sur des choses si simples. 

その点に関して、と侯爵夫人がいった、哲学はとても機械論的なものになったのですか? 私は答えた。とても機械論的になったものですから、人々が恥ずかしいと思っているのではないかと心配です。人々が望んでいるのは、宇宙とは、小さな時計のようなものが大きな状態であるものであり、全てにおいて部品が調整され規則的に動くことです。本当のことをおっしゃってください。あなたは、時に、宇宙に関してもっと崇高な考えをお持ちではなかったでしょうか。宇宙の持つ価値以上の名誉を宇宙に与えなかったでしょうか。宇宙のことを知って以来、宇宙への評価を低めた人々を私は見たことがあります。すると、彼女がこう言葉を返した。でも、私は、宇宙が一つの時計に似ていると知って以来、それまで以上にずっと貴重なものだと思うようになりました。自然の秩序は、本当に素晴らしいものですが、それがひどく単純なものの上で動いているというのは、驚くべきことです。

宇宙とは巨大な機械仕掛けの時計のようなものだとされる。そこに、神のような超越的な存在はなく、様々な部品が規則正しく動くだけである。

このような宇宙であれば、まったく価値を見出さない人々もいただろうし、無神論的だとフェヌロンが非難されることにもなった。

それに対して、対話の相手である侯爵夫人は、単純な部品が巧みに調整され、秩序立った機械のようだからこそ、自然の秩序は素晴らしいと、機械論的な宇宙論、自然論を賞賛する。

日本的な感性からすると、とうてい想像することができない世界観が、ここにはある。
しかも、その世界観が実は21世紀にも普通に認められ、私たちも意識上は科学を信じている。
つまり、現代の日本では、科学的思考と、それをどうしても100%受け入れることができない感性が共存していることになる。

そうしたことを考えると、私たちは、フランス文学を通して、自分たち自身の今の姿を知るきっかけを与えられることがある、ということがわかってくる。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中