ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 5/8

「4.若い時代」では、自分の過去を祖父の時代に遡り語ったのに続き、「5.少年時代」では、7歳くらいから青春時代までの思い出が綴られる。

1815年、エルバ島を脱出したナポレオンがパリに戻り、シャン・ド・マルス(ネルヴァルの時代にはシャン・ド・メと呼ばれていた広場)で行った軍事集会、ネルヴァルの叔母や友人たちは、現実に存在したことが確認される。

その一方で、一人の作家・詩人の形成を説明するために潤色されたと考えられるエピソードも多々見られる。
それらのエピソードを通して、ネルヴァルが自分をどのような作家・詩人として提示しようとしたのだろ? その問いを頭に置きながら、死を目前にした彼の自画像を読んでいくことで、私たちはネルヴァルの世界を徐々に理解していくことになる。


5.少年時代

不吉な時が、フランスに対して鳴り響いた。フランスの英雄(ナポレオン)自身、巨大な帝国の内部に捕らえられ、「シャン・ド・メ」の地に、忠誠を誓ったエリート軍人たちを集結させた。私がその崇高な光景を見たのは、将軍たちの席からだった。黄金の鷲で飾られた旗が彼らの部隊に配布されていた。それらの旗は、それ以後、全員の忠誠に委ねられるものになった。

ある夜、私は、町の巨大な広場の上に、巨大な飾りが広げられているのを目にした。海に浮かぶ船が描かれていた。大帆船が大荒れの海で揺れながら、岸を示す塔の方に向かっているようだった。激しい突風が絵に描かれた光景を台無しにした。不吉な前兆で、祖国に外国人たちが戻ってくることを予告していた。

私たちは「北方」の子孫たちを再び目にし、ウクライナの雌馬が再び私たちの木々の樹皮を蝕んだ。村に住む私の姉妹たちが、不平をつぶやく鳩のように、羽根をバタバタさせて大急ぎで戻り、腕の中にかかえた桃色の足のキジバトを私にくれた。そのキジバトを、私はもう一人の妹のように愛した。

ある日、父のもとを訪れた美しい女性の一人が、私にちょっとした用事を頼んだ。不幸なことに、私はその依頼に大急ぎで応えようとした。テラスに戻った時、キジバトは飛び去ってしまっていた。

それがあまりにも悲しかったために、私は赤い熱で死ぬところだった。心臓の血液全体が皮膚を赤く染めた。私を慰めようとして、誰かが子どもの猿をペットとして連れてきたくれた。父の友人である船長が、アメリカから持って来た猿だった。その可愛い動物が、私の遊び相手であり、勉強仲間になった。

私は、イタリア語、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、アラビア語、ペルシア語を同時に学んだ。『忠実な羊飼い』、『ファウスト』、オウィディウス、アナクレオンが、最初に読んだ詩であり、好きな詩人たちだった。飾り文字で注意深く書かれた私の書体は、優美さや端正さの点で、時には、イランの有名な写本に匹敵した。その上で、愛の一撃が、私の心臓を、激しく燃え上がる矢で突き刺さなければならなかった。その矢は、黒檀の目をした乙女の細い眉と黒い睫毛から発せされた。彼女の名前はエロイーズ。————— 彼女のことは後に触れることになる。

私は常に若い女性たちに囲まれていた。——— 一人は叔母だった。家にはジャネットとファンシェットという二人の娘がいて、あれこれと私の世話をやいてくれた。私の子どもっぽい微笑みは、私の母の微笑みを思い出させた。緩やかにカールする金髪が、私の早熟で大きな額をおおっていた。私はファンシェットに夢中になった。そして、奇妙なことを思いつき、神々の儀式に従って、彼女を妻に迎えようとした。私は、祖母の古いドレスを肩にかけ、自分自身で結婚式をした。銀のラメのはいったリボンを額に巻き、普段は青白い頬の色を、薄い化粧で引き立てようとした。証人は先祖の神と聖母。聖母の像は持っていた。先祖の神と聖母はどちらも、子どもの無邪気な遊びに喜んで参加してくれた。

そうしているうちに、私は成長した。赤い血が頬を染めていた。深い森の空気を深呼吸するのが好きだった。エルムノンヴィルの木陰も、モルトフォンテーヌのひっそりした姿も、私にとって、もはや何の秘密も持っていなかった。二人の従姉妹がその地に住んでいた。彼女たちと一緒に古い森を散策するのが誇らしかった。森は彼女たちの領地のように感じられた。

夕方になると、老人たちを楽しませるため、私たちは詩人たちの素晴らしい芝居を演じた。見ている人々はとても好意的で、口々に誉め、ご褒美をたくさんくれた。ルイーズという名前の、活発で機転の利く少女が、私たちと一緒に勝利を分かち合った。家族の中で彼女はとても愛され、芸術の栄光を象徴していた。

私はダンスが得意だった。マジョールという名前の混血の男が、ダンスの基本と、音楽の基本を教えてくれた。ミニャールという肖像画家が、デッサンのレッスンをしてくれた。ヌーヴェル嬢は、ダンス教室の「スター」だった。私はそこでライバルに出会った。美男子で、プロヴォーという名前だった。プロヴォーが私に演劇法を教えてくれた。私たちは一緒に、彼が即興で作った、ちょっとした芝居を演じた。自然な成り行きで、ヌーヴェル嬢が主演女優だった。彼女は私たちの間で絶妙なバランスを保ったので、私たちは希望もなくため息をつくしかなかった。・・・ 可哀想なプロヴォーは、その後、レイモンという名前で役者になった。彼は最初に作った芝居を覚えていて、夢幻劇を書き始めた。協力者はコニュヤール兄弟だった。——— 彼の最後は悲しいものになった。ゲテ座の支配人と喧嘩をし、平手打ちを食らわせた。家に戻ると、その軽率な行為の結果がどうなるか、苦々しい思い出でじっくりと考え、ナイフの一撃で心臓を突き刺した。

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