ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 7/8

「7.北方の旅」の章では、過去の思い出から離れ、再び散策に話が戻される。そして、私たち読者は、再び、ネルヴァルの作品を読むときの面白さと同時に、難しさにぶつかることになる。

ネルヴァルは「現在」の中に「過去の痕跡」をたどり、「現在」に厚みや生命力を付け加えていく。
「7.北方の旅」では、「現在」の代表として鉄道を取り上げ、鉄道の路線から取り残された小さな村への愛を語ることで、「過去」を甦らせていく。

その際、ネルヴァルは同時代の読者であれば普通に知っている事柄を前提に話を進めるため、知識を持たない人間には理解するのが難しい記述が多く見られる。知らない固有名詞が数多く出てくるし、それらの関係もわからないために、文の理解が難しい。

そんな時にはどうしたらいいのか?
私たちは文章の中に知らない要素があっても、文意自体は掴むことができ、知らない要素がどのようなジャンルに属するものなのか推測できる。

Aで生まれたBは、Cと結婚して、Dに住んでいる。

この文の中で、AとCは人間、BとDは地名だろうということが推測できる。

その路程は、セーヌ河とオワーズ川の気まぐれな河床を順に辿りながら、古い北方街道の坂道を一つ二つ避けただけだった。

セーヌ河は誰でも知っているが、オワーズ川は知らない人の方が多いだろう。北方街道も知られていない。しかし、それらが川であり道であることは理解できる。

最初はそうした漠然とした理解に留まりながらも、ネルヴァルの作品を読み進めていくと、いつの間にか、知らなかったはずの名前、例えば、サン・ジェルマン、サンリス、ポントワーズ、オワーズ川等が愛しいものになってくる。
そうなったら、あなたはもうネルヴァルの立派な読者になっているといえる。


7.北方の旅

熱に侵されたり、メランコリーに襲われている時に書いたページを、風が吹き飛ばしてしまえ。——— 大したことはない。すでに何ページかは風に散り散りにされてしまい、私はもう書き直す勇気がない。「回想録」に関して言えば、人々が関心を持つかどうかわからない。——— 私は、作者のことを世に知らしめた作品と人生が密接に関係を持つ作家の一人だ。そうと望まなくても、人は直接的な伝記とか、あるいは偽装された伝記とかの主人公ではないだろうか? レリオ、オクターヴ、アルチュールといった名前を使って小説の中で自分のこと描いたり、詩の本の中で心に秘めた感動を露わに表現するとしたら、その方が謙虚なのだろうか? こうした個人的な感情の高揚を許してほしい。私たちは、あらゆる人の眼差しに晒されながら生きていて、栄光に輝くにしても、失墜するにしても、無名でいる利益を得ることができなくなっているのだ!

こんなことを書きながら私に何か善行ができるとしたら、人々の注意を取り残された小さな村に引くことかもしれない。鉄道が迂回したために、それらの村には人が通らなくなり、活気が失われたのだった。それらは今では、過去の財産の名残の上に悲しく腰を下ろし、それ自体の中に閉じこもり、醒めた眼差しを文明の驚異の上に投げかけている。文明の方では、そんな村々を断罪するか、あるいは忘れ去っている。サン・ジェルマンは私にサンリスのことを思い出させる。火曜日だったので、私はポントワーズ行きの馬車に乗った。今日、馬車は、市のある日にしか走っていない。私は鉄道と反対のことをするのが好きだ。——— アレクサンドル・デュマが、最近、私の若い時代の馬鹿げた振る舞いについて潤色したことを書いたので、私は彼を非難しているのだが、彼は正しいことも書いていた。私がブリュッセルにいるデュマに会いに行った時、200フランと一週間を無駄にした。古いフランドル街道を通り、北方鉄道を使わなかったからだった。

Ch.-F. Daubigny, Bateaux sur l’Oise

道がどんなに困難だろうと、ポントワーズに行くのに、サン・ジェルマンを通らず8里、もしこう言った方がよければ32キロ行くとか、コンピエーニュに行くのにサンリスを避けて30里行くといった行程を、私はこれからも認めないだろう。こんなに曲がりくねった鉄道にお目にかかるのは、フランスだけだ。ベルギーの鉄道がスパに着くために12の山脈を貫いた時、私たちは、大動脈のこれほど単純な路程を前にして、賞賛を惜しまなかった。その路線は、セーヌ河とオワーズ川の気まぐれな河床を順に辿りながら、古い北方街道の坂道を一つ二つ避けただけだった。

ポントワーズは、今でも、丘の上に位置する町の一つ。私がそれらの町を好きなのは、家父長的な様子が残り、散歩道や見晴らしの良い場所があり、他の所ではもう見ることが出来ない風習が保たれているからだ。今でも、人々は道で遊び、お喋りをし、夕方になると家の扉の前で歌を歌っている。レストランのシェフはお菓子職人でもある。彼らの所には、家庭生活を感じさせる何かがある。道は階段状になっていて、歩き回るのが楽しい。古い塔の周りに作られた散歩道が素晴らしい谷を見下ろし、下にはオワーズ川が流れている。綺麗な少女や可愛い子供たちが散歩している。そこを通りかかると、彼らを驚かせることになる。こんな平和な小さな世界を誰もが羨ましく思う。その世界は、古い家々の間でひっそりと息づき、美しい木々の下、美しい光景と純粋な空気に囲まれている。教会も美しく、完全な状態に保たれている。そのまわりでは、パリの新しい商品を売る店が明るく照明されている。女の子たちは活発で、ニコニコと微笑み、スクリーブの芝居「フィアンセ」のようだ。ちょっと見捨てられたような小さな町々の中で、とって魅力的なのは、私の青春時代のパリと関係する何かを見つけることが出来ることだ。家の外観、店の形、いくつかの習慣、いくつかの服装・・・。その点で、サン・ジェルマンが1830年を連想させるとすると、ポントワーズは1820年を思わせる。——— もっと遠くへと進み、私の子ども時代や家族の思い出を再発見することにしよう。

今回は、鉄道を祝福しようと思う。——— 私は今、サン・ルーから最大でも1時間ほど離れたところにいる。——— とても静かで緑色をし、月の光の下、ポプラの小島を描き出すオワーズ川の流れ。丘や森で飾られた地平線。駅に到着する度に聞き慣れた名前で呼ばれる村々。遠ざかるにつれて強くなる農民たちの訛り。その地域の習慣に従いマドラ布を頭に被った少女たち。それら全てが私を感動させ、うっとりとしてしまう。この世ではない空気を呼吸しているようだ。地に足を着けると、かつてライン河を下った時に私を活気づけた感情よりももっと強い感情を感じる。父なる大地は、二重に祖国なのだ。

私はパリが大好きだ。偶然、私はそこで生まれた。——— しかし、船の上で生まれる可能性もあった。——— パリの紋章の中には、「バリ」つまり、エジプト人の神秘的な船が含まれていて、パリの壁の中に真正のパリジャンは10万人もいない。南方の男が、そこで偶然に北方の女と結ばれたのだから、リュテシア(パリ)の性質を持つ子どもを産むことは出来ない。それに関して、そんなことはどうでもいい!と、言われるかもしれない。しかし、田舎の人に、どの地方の生まれかがどうでもいいことかどうか、ちょっとでいいから聞いてみてほしい。

こうした考察が奇妙に思われるのかどうか、私にはわからない。——— 私自身の中で他の人々のことも考えると、土地への愛着の中には、家族に対する愛着が多くあるのではないかと思う。場所に密着する敬虔さも、私たちを祖国に結び付ける高貴な感情の一部だ。逆に、町や村は、それぞれの土地に由来する飾りを堂々と身に纏っている。もはや、分割も、地方毎の嫉妬も存在しない。全ては国の中心に近づいている。そして、パリは全ての栄光の宿る所。あなたは私にこう言うかもしれない。なぜ私はこの地方の全ての人が好きなのか、と。この地方では、昔よく知られていたイントネーションに出会うことがある。年老いた女性たちは、子どもの頃私をあやしてくれた女性たちの顔立ちをしている。若い男女は私が若かった時代の友人たちを思い出させる。一人の老人が通り過ぎる。私には自分の祖父に会ったように思える。彼が話をする。祖父の声のようだ。——— そこにいる若い女性は、25歳で亡くなった叔母の顔立ちをしている。もっと若い女性は、私のことを愛し、恋人と呼んでくれた、小さな田舎の子を思い出させる。——— 彼女は、いつでも踊ったり、歌ったりしていて、春には、日曜日毎に、マーガレットの花の冠を作ったものだった。可哀想なセレニー、彼女はどうなってしまっただろう。私は彼女と一緒にシャンティの森を走り回ったものだった。彼女は森番や狼をとても怖がっていた。

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