ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 8/8

「8.シャンティイ」は、次のような結末で終わる。
「パリに住むところはないのだから、なぜこのまま、この放浪する家(馬車)の中に留まらないのだろうか? しかし、今はもう、「緑の放浪生活」を送るような気まぐれに従う時ではない。私は、もてなしてくれた人たちに別れを告げた。雨が止んでいたのだった。」
このように、第1章の開始を告げた「家探しのテーマ」が再び取り上げられ、あえて未解決のままにされることで、「散歩と思い出」を通して語られてきた様々な「散歩」と、その過程で甦ってくる「思い出」には終わりがない、ということが示される。

私たちがふと夢想するとき、とりとめがなく、自分が何かを考えるのではなく、思いの方が自然に浮かんでくる。ネルヴァルも次々に湧き上がってくる連想を、とりとめもなく連ねていくような印象を与える。

読者は、彼の夢想についていくしかない。しかし、そうしているうちに、ネルヴァルの言葉たちが生み出す詩情にいつの間にか捕らえられている自分に気付く。


「8.シャンティイ」

サン・ルーの二つの塔が見えてくる。サン・ルーは丘の上にある村で、オワーズ川に沿った場所からは、鉄道によって切り離されている。砂岩でできた堂々とした姿の高い丘に沿い、シャンティイの方に上っていく。森の端まで来る。ノネット川が、町の一番端にある家々に沿った草原で輝いている。——— ノネット川! 昔ザリガニを釣ったことのある、なんとも愛しい小川の一つ。——— 森の反対側には、ノネット川の姉妹にあたるテーヴ川が流れている。そこで私は溺れそうになったことがある。可愛いセレニーの前で臆病者に見られたくなかったからだった。

セレニーはしばしば私の夢に現れる。水の精と似て、無邪気に人を誘う。草原の香りに狂ったように酔いしれ、セロリやハスを冠にして被り、子どもっぽく微笑む。エクボのできた頬の間に、ゲルマン神話に出てくる水の精の真珠の歯が見える。服の縁がいつも湿っていて、彼女と同類の水の精に相応しい。・・・ コンメルの池の泥っぽい畔とか、コワの小作地に沿って生えるイチイや柳の間で、彼女に花を摘んであげないといけなかった。彼女は、森の奥まったところにある洞穴とか、古い城の廃墟とか、蔦で覆われた柱のある崩れ落ちた神殿とか、樵夫の家とかが好きだった。樵夫の家では、この地方に伝わる古い伝説を歌ったり、語ったりしたものだった。——— 塔に閉じ込められたモンフォールの奥方。奥方はある時には白鳥になって飛び立ち、ある時には黄金の美しい姿の魚になって城のお堀の中で飛び跳ねる。——— 菓子屋の娘。彼女はオリー伯爵に菓子を持って行き、彼のところで一夜を過ごすように強いられると、服の紐をほどくためと言ってナイフをもらい、自分の心臓を突き刺した。——— 女達を誘拐し、地下に沈めてしまった赤い修道士たち。——— ポンタルメの殿下の娘は、美男子ロートレックに夢中になり、父によって七年間塔に閉じ込められた後、死んでしまう。騎士ロートレックは十字軍から帰還し、純金のナイフで彼女の薄衣の経帷子を切り裂く。と、彼女は生き返る。しかし、彼女はもはや血に飢えた吸血鬼でしかなかった。・・・ アンリ4世とガブリエル、ビロンとマリー・ド・ロシュ、等々。セレニーの記憶を一杯にしている物語がなんと沢山あったことか! カエルに話しかける聖リユール。クレルモン・シュル・オワーズの肉屋によってひき肉のようにバラバラにされた三人の子どもを生き返らせる聖ニコラ。聖ルーと聖ギーは、彼らの神聖さと彼らが実現した奇跡の証拠を、この地域に数多く残した。セレニーは、岩の上やドルイド教のドルメンに上り、そんな物語を羊飼い達に語ったものだ。サンリス付近に住む住人たちが古くから暮らす地方の予言者(ヴェレダ)であるセレニーは、私にそうした思い出を残してくれた。その思い出が時とともに甦ってくる。彼女はどうなっただろう? シャペル・アン・セルヴァルやシャルルポン、モンメリアンの方で、尋ねてみることにする。・・・ 彼女には至る所に伯母さんがいた。従姉妹も数え切れないほどいた。今ではどれほど多くの死者がいるだろう! かつてはあんなに幸福だったこの地方に、どれだけ多くの不幸な人々がいるだろう!

シャンティイは、惨めな状態を、高貴な様子で受け止めている。その町は、白い肌着の上に完璧な服を纏った老紳士たちのように堂々とし、色あせた帽子か摺り切れた服をその中に隠している。・・・全ては清潔で、きちんとし、慎重に整えられている。響きのいいサロンでは、調和した声が鳴り響いている。至る所で、相手を尊重する習慣が感じられる。かつて城を支配していた式典が、穏やかな住人たちの関係を僅かながらであっても規定している。たくさんの引退した昔の召使いたちが、病弱な犬を散歩させている。——— 召使いたちの何人かは主人となり、彼らが仕えていたかつての君主たちの尊敬すべき姿をするようになった。

シャンティイはヴェルサイユの長い通りを思わせる。その町を見るなら夏、素晴らしい太陽の下で、美しい舗道に鳴り響く大きな音を思いながらでないといけない。そこでは全てが、君主の栄光と、狩りや競馬を楽しむ特権的な人々のために準備されている。この大きな門ほど奇妙なものはない。城の芝生に向かって開かれ、凱旋門のように見える。その隣にある建物は初期キリスト教の教会堂のようだが、実は厩舎でしかない。そこには、コンデ家が年長のブルボン家に対して起こした戦いの名残が、今でも残っている。——— 例えば、戦争ではなく、狩りで勝利する絵画。コンデ家が再び栄光を見出したのは、クリオが大コンデ公の青春時代の武勲を語る本のページを引きちぎった後でのことだった。大コンデ公自身が描かせたメランコリックな絵画は、そうしたことを語っている。

今時、内部の家具等が取り払われた城を見て何になるだろう。もうヴァトーの皮肉な小部屋と、果物保管室で心臓を突き刺した料理人ヴァテルの悲劇的な影しかない! 私が好きだったのは、宿のマダムが善良なコンデ公のことで心からのお悔やみを言うのを聞くこと。コンデ公は今でも、この地方で交わされる会話の話題になっている。こうした町の中には、ダンテの煉獄の輪に似たものがある。煉獄は一つの思い出の中でじっと動かず、それよりも狭い輪の中では、過去の様々な行いが繰り返されている。——— 「娘さんはどうしたのですか、あんなに金髪で陽気だった娘さんは?」と私はマダムに言った。「結婚したのですか?」「そうですとも、結婚しました。でも、その後、胸の病で死んでしまいました。・・・」そのことの方が、コンデ公の思い出よりもずっと強く胸を打つと言う勇気が、私にはなかった。私は娘をとても小さな時から知っていて、もしかしたら愛したかもしれない。もし私の心が、他の女性のことで一杯になっていなかったのなら。・・・そして今、私はドイツ民謡の「ホテルのマダムの娘」と、その中に出てくる3人の男達のことを思う。一人はこう言う。「ああ!もし彼女のことを知っていたら、どれだけ彼女を愛したことだろう!」2番目の男は言う。「ぼくは君のことを知っていた。そして、深く愛していた!」3目の男は言う。「ぼくは君を知らなかった。・・・でも、君を愛している。そして永遠に愛し続けるだろう!」

また一つ、金髪の姿が色あせ、離れ、灰色の靄に覆われた森の彼方に、凍り付いて落ちていく。・・・ 私はサンリス行きの馬車に乗った。馬車はノネット川の流れの横をたどり、サン・フィルマンやクルテゥーユを通って行く。左側に見えるサン・レオナールとその古い礼拝堂を過ぎるとすぐに、教会の高い鐘楼が見えてくる。左手には「レーヌ(雨蛙)」の畑。聖リユールが、説教の途中でカエルたちに邪魔をされ、静かにするように命令した畑だ。聖人は、一匹のカエルに、説教が終わった後、自分の主張を発言する許可を与えた。この素朴な伝説と聖人の善意の中には、何か東洋的なものがある。聖人は、少なくとも一匹のカエルに、他のカエルたちの不平を表明することを許すのだ。

私は、ローマ時代からある古い町の通りや露地を歩き回りながら、言葉にならない幸せを感じた。その町には、ローマ時代以降も野営地や戦争があり、今でも有名なのだ。「おお、哀れな町よ、お前は何と望まれていることか!」とアンリ4世は言った。——— 今日、誰もサンリスのことなど考えないし、サンリスの住民たちの方でも他の地域のことを気に掛けている様子はほとんどないように見える。彼らはサン・ジェルマンの住民よりもさらに、独自に生活している。古い建物の立つ丘が、彼方に見え、四つの森に縁取られている緑の草地を、誇らしげに見下ろしている。アラット、アプルモン、ポンタルメ、エルムノンヴィルが、暗くなった塊を遠くの方で描き出し、修道院や城の廃墟が、あちこちに浮かび上がっている。

ランス門を通りかかった時、大道芸人たちの巨大な馬車の一台に出会った。彼らは、一家みんなで、道具や家財と一緒に、市から市へと移動している。雨が降り始めていたので、親切にも、私に雨を避ける場所を提供してくれた。馬車の内はとても大きく、暖炉で温められ、8つの窓で照らされていた。6人の人間が心地よく過ごせそうだった。2人は綺麗な女性で、スパンコールの付いた衣裳に、忙しそうにアイロンをかけていた。今でもまだ美しい女性が料理をし、一家の長は顔色のいい若者に、恋人の役を演じるための立ち居振る舞いを教えていた。彼らは軽業だけではなく、劇も演じるからだった。時には地方のお城に招待されることがあり、彼らの才能を証明する何枚かの書類には有名な人物の署名が書かれているのを見せてくれた。若い女性の一人が、少なくともモンフルリーの時代に遡る古い芝居の詩句を朗読し始めた。新しい演目は、彼らには禁止されている。時には即興で演じることもある。イタリア風の芝居をベースにして、その場で簡単に筋とセリフを考えていく。二人の女性を見ると、一人は活発で髪は褐色、もう一人は金髪でニコニコしていて、私は『ウイルヘルム・マイスターの遍歴時代』に出てくるミニョンとフィリーヌのことを考え始めた。ドイツ的な夢。その夢が、森の眺めとサンリスの町の古い輪郭の間にいる私に戻ってくる。パリに住むところはないのだから、なぜこのまま、この放浪する家(馬車)の中に留まらないのだろうか? しかし、今はもう、「緑の放浪生活」を送るような気まぐれに従う時ではない。私は、もてなしてくれた人たちに別れを告げた。雨が止んでいたのだった。

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