ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves » 2/3  韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?  

ボードレールは、自分たちの時代を、悲しみや苦しみに満ちた「喪(deuil)の時代」と見なしていた。

蒸気機関車の線路が各地に引かれ、街角にはガス灯が設置され、文明の進歩を多くの市民が享受するように見える時代、そこから排除された人々の数も膨れ上がっていた。
マルクスがこの時代に共産主義宣言を出したことは、労働者の悲惨が社会問題となっていたことを示す一つの証拠だといえる。

そうした社会の中で、ボードレールが眼差しを注いだのは、進歩を享受する側ではなく、虐げられた人々の側だった。
その点では、『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』の著者ヴィクトル・ユゴーに近い感性を共有していたといえる。

彼の目には、男性の黒い服やフロックコートは喪の象徴に見えた。女性の側に目を移せば、夫を失った寡婦たちが喪を象徴した。
韻文詩「小さな老婆たち」では老婆たちの後を辿っていった彼が、散文詩「寡婦たち」では、寡婦の後をついていく。

(朗読は1分27秒から)

Avez-vous quelquefois aperçu des veuves sur ces bancs solitaires, des veuves pauvres ? Qu’elles soient en deuil ou non, il est facile de les reconnaître. D’ailleurs il y a toujours dans le deuil du pauvre quelque chose qui manque, une absence d’harmonie qui le rend plus navrant. Il est contraint de lésiner sur sa douleur. Le riche porte la sienne au grand complet.

時に、孤独なベンチに座っている寡婦たちを見たことはないだろうか? 貧しい寡婦たち。喪服だろうと、そうでないとしても、彼女たちを見分けるのは簡単だ。とにかく、いつでも、貧しい人間の喪には、何かしら欠けたもの、調和の欠如があり、それが喪をより悲痛にする。苦痛を節約することを強いられているのだ。金持ちは、苦痛を豪華なスーツのように着こなす。

前にあった箴言的な文章では、「弱く、荒れ果て、深い悲しみを感じさせ、孤児になった全てのもの」とされていたものが、ここでは「寡婦たち(veuves)」という具体的な姿で形象化される。

彼女たちが「孤独(solitaires)」で、「貧しい(pauvres)」人々の側であることは誰もが思うことだ。
しかし、それ以上に彼女たちの印となるものがある。
それをボードレールは、「調和の欠如(absence d’harmonie)」という言葉で表現する。
読者を立ち止まらせるこうした表現は、散文を詩と認識させる要素の一つとなる。

では、「調和の欠如」とは何か?
「喪をより悲痛にする(qui le rend plus navrant)」ものとは何か?

その問いのヒントが、次に記される。
貧しい寡婦たちは、悲しみや苦痛を「節約する(lésiner)」ことを強いられる。
つまり、彼女たちは感情を表に表さず、無表情でいる。
とすると、調和しないものの答えは、「内面の苦痛の激しさ」と「外に現れた感情表現」ということになる。二つの間にはズレがある。

最後に、ボードレールは、ダメ押しをするかのように、金持ちは、苦痛があっても、それに三つ揃えのスーツを着せるという。つまり、金持ちたちは社会的な礼儀に相応しく振る舞う。
こちらにシンパシーを感じる要素はない。

こうして、一般論として寡婦たちについて論じた後、「私」は一人の寡婦に焦点を絞り、彼女の後をついていく。

Quelle est la veuve la plus triste et la plus attristante, celle qui traîne à sa main un bambin avec qui elle ne peut pas partager sa rêverie, ou celle qui est tout à fait seule ? Je ne sais… Il m’est arrivé une fois de suivre pendant de longues heures une vieille affligée de cette espèce ; celle-là roide, droite, sous un petit châle usé, portait dans tout son être une fierté de stoïcienne.

どういう寡婦が、最も悲しく、最も悲惨な寡婦だろう? 手に小さな子どもを引いているが、その子と一緒に夢想することができない寡婦だろうか? 本当にたった一人でいる寡婦だろうか? 私にはわからない・・・。一度、何時間もの間、その種の苦しんでいる老婆の後ろをついていったことがあった。彼女の体は硬直し、真っ直ぐで、摺り切れた服をまとっていたが、彼女の存在そのものには禁欲的な誇りがあった。

一人の子どもと一緒にいる寡婦という表現から、エドワール・マネの「鉄道」を思い出してもいいだろう。

ここに描かれた女性は、場末で惨めに暮らす風でもないし、公園のベンチで孤独に時間を過ごす女性のようにも見えない。

しかし、彼女がマネの「草上の昼食」や「オランピア」のモデルになった女性であり、その後、アメリカに渡り、夢破れてパリに戻ってきたヴィクトリーヌ・ムーランだと知ると、煙に隠れて見えない列車と反対方向を向いて相容れない母子の構図、とりわけヴィクトリーヌの無表情が、「最も悲しく、最も悲惨な寡婦(la veuve la plus triste et la plus attristante)」と重なってくる。

その後、「私」は「一人の老婆の後をついていく(suivre (…) une vieille)」のだが、この部分は明らかに、すでに発表済みの韻文詩「小さな老婆たち」を前提に、読者に対して、散文でも同じ内容が可能であることを示すことを意図していると考えられる。

ああ、私は、何と多くの小さな老婆たちの後を追ったことか!
Ah ! que j’en ai suivi de ces petites vieilles !

さらに念押しをするかのように、彼女の存在には「禁欲的な誇り(une fierté de stoïcienne)」があったと記される。「禁欲的(stoïcienne)」と同じ語源を持つ言葉は、韻文詩の中ですでに使われていた。

こんな風に、あなた方は歩いています。禁欲的で、嘆くこともありません。
Telles vous cheminez, stoïques et sans plaintes, 

こうした単語を辿ることで、ボードレールが意図が見えてくる。
彼は、「散文」によっても「韻文」と同様の「美」を生み出すことが可能だと考え、19世紀前半までのフランスではほぼ認められてこなかった「散文詩」というジャンルを創造しようと試みたのだ。

Elle était évidemment condamnée, par une absolue solitude, à des habitudes de vieux célibataire, et le caractère masculin de ses mœurs ajoutait un piquant mystérieux à leur austérité. Je ne sais dans quel misérable café et de quelle façon elle déjeuna. Je la suivis au cabinet de lecture ; et je l’épiai longtemps pendant qu’elle cherchait dans les gazettes, avec des yeux actifs, jadis brûlés par les larmes, des nouvelles d’un intérêt puissant et personnel.

明らかに、彼女は、絶対的な孤独によって、年老いた独身者が常にする振る舞いをするよう断罪されていた。そうした普段の振る舞いが男性的なため、とげとげしさに、不思議で刺戟な魅力が付け加えられていた。惨めなどのカフェで、どんな風に、彼女が昼食を食べたのかは知らない。私は彼女の後について、本屋へと入った。長い時間、彼女を見張っていた。彼女は雑誌をめくり、以前涙で燃えたことがある活発に動く目で、個人的にひどく関心のあるニュースを探していた。

彼女は、子どもと一緒にいようといまいと、孤独に孤独に変わりはない。寡婦であるから、夫はもちろんいない。「独身者(célibataire)」というのは、ここでは、単に独身というのではなく、「絶対的な孤独( uneabsolue solitude)」を生きる者を意味する。

その上、彼女は性別さえも奪われている。「男性的な性格(le caractère masculin)」で、振る舞いが「とげとげしい(austérité)」とは、女性性を失ったことを意味している。
彼女は夫だけでなく、性別さえも持たない存在なのだ。

ボードレールにとって、そうした存在は嫌悪し、遠ざける対象ではない。むしろ、「刺戟的な魅力(un piquant )」があり、しかもそれが「神秘的(mystérieux )」に感じられる。

彼女が「断罪され( condamnée)」、こう言ってよければ「呪われた存在」だからこそ、「私」は興味を掻き立てられ、彼女の後をついていくのだ。

彼女は、どこかのカフェで食事をした後、「本屋(cabinet de lecture)」に入る。
Cabinet de lectureというのは今の書店とは違い、本を買うお金がない人々が、新聞、雑誌、新刊本やベストセラーなどを安い料金で読むことができる読書室のような場所だった。

「私」は彼女の様子をじっと観察した(épiai )。
彼女の「目(yeux)」は、それまでとは無表情とは打って変わり、「活発に動き(actifs)」始める。
その目に、「私」は、「涙(larmes)」の跡を見、「涙で燃えた(brûlés par les larmes)」と表現する。
涙は水であり、燃えることはない。その矛盾を言葉で表現することは、「明るい闇」といった「撞着語法(オクシモロン)」であり、詩的な効果を生み出すことにつながる。

彼女の目が活発に動く理由は、雑誌記事にあるのだろう。
彼女が熱心に読んでいるのは、「個人的にひどく関心のある(un intérêt puissant et personnel)」もの。
内容が何かは書かれていないので、読者は推測するしかない。
ただ、不活発な寡婦が、何かのきっかけがあれば、実は生き生きとする。そのことを彼女の目の動きから見抜くことができる。

もう一つ注目したいのは、目に対する注目も「小さな老婆たち」に由来していること。韻文詩では、次のように記されていた。

目は、突き刺すように鋭い、錐のよう
(des yeux perçants comme une vrille)
少女の神聖な目
(les yeux divins de la petite fille)
それらの目は、百万の涙でできた井戸
(Ces yeux sont des puits faits d’un million de larmes)
それらの神秘的な目は、抗いがたい魅力を持つ
(Ces yeux mystérieux ont d’invincibles charmes)

「私」が後を追い続ける寡婦は、雑誌を読み終わると、最後に公園に向う。そして、人から遠く離れたところに一人腰をかけ、軍楽に耳を傾ける。

この設定も、「小さな老婆たち」第3部とほぼ同じである。

(老婆たちの)一人は、沈もうとする太陽が、
空を、深紅の傷で血まみれにする時刻になると、
考え深げな様子で、一人離れてベンチに腰掛け、

楽隊の演奏の一つを聞いていた。ラッパの音が豊かに響き、
兵士たちが、時に、公園中に響き渡らせる軍楽を。

Une, entre autres, à l’heure où le soleil tombant
Ensanglante le ciel de blessures vermeilles, 
Pensive, s’asseyait à l’écart sur un banc,

Pour entendre un de ces concerts, riches de cuivre, 
Dont les soldats parfois inondent nos jardins, 

ボードレールは、彼の読者がこの詩句を読んだことを前提にして、次に続く散文を綴ったに違いない。というのも、当時の読者の数は限られていたし、著者は自分の作品を発表する雑誌の読者像をかなり具体的に想定できたからである。
現代で言えば、同人誌の著者と読者の関係を考えるといいかもしれない。

Enfin, dans l’après-midi, sous un ciel d’automne charmant, un de ces ciels d’où descendent en foule les regrets et les souvenirs, elle s’assit à l’écart dans un jardin, pour entendre, loin de la foule, un de ces concerts dont la musique des régiments gratifie le peuple parisien.

最後に、午後になり、魅力的な秋の空の下、後悔と思い出がたっぷりと降り注ぐ空の下、彼女は公園の中、一人離れて座った。そして、群衆から遠くはなれ、軍隊の音楽がパリの人々を楽しませる演奏の一つを聞いた。

まず、韻文と散文で同じ要素を取り出してみよう。
時間帯は夕方あるいは午後遅く。彼女は公園のベンチに座る。その際、「一人離れて(à l’écart)」、「演奏の一つが聞こえる(entendre un de ces concerts) 」と、まったく同じ表現が使われる。

韻文と散文で大きく違うのは、太陽と空に関する記述。
韻文では、「沈もうとする太陽が、/空を、深紅の傷で血まみれにする(le soleil tombant / Ensanglante le ciel de blessures vermeilles)」と、日常を離れた表現がなされている。
それに対して散文では、「魅力的な秋の空(un ciel d’automne charmant)」、空には「後悔と思い出が降り注ぐ(descendent en foule les regrets et les souvenirs)」というように、具体的なイメージがわきやすい表現がなされる。

音楽に関しては、いんぶんの「兵士たちが、時に、公園中に響き渡らせる(dont les soldats parfois // inondent nos jardins)」から、散文の「軍隊の音楽がパリの人々を楽しませる(la musique des régiments gratifie le peuple parisien)」となる。
具体性に差はないが、散文では、パリの「民衆(peuple)」という言葉が使われ、聴衆のイメージが明確になっている。

公園でのコンサートに関しては、エドワード・マネの「テュイルリー公園の音楽会」が見事にその雰囲気を伝えている。
前方に座る左側の女性の後ろにいるのはボードレールだと言われている。(赤い四角で囲った男性)

老婆は、この絵に描かれている群衆から遠く離れたベンチに座り、一人音楽に耳を傾ける。
その状況を簡潔にスケッチした後、詩人は再び哲学者的になり、モラリストの箴言といった考察を行う。

C’était sans doute là la petite débauche de cette vieille innocente (ou de cette vieille purifiée), la consolation bien gagnée d’une de ces lourdes journées sans ami, sans causerie, sans joie, sans confident, que Dieu laissait tomber sur elle, depuis bien des ans peut-être ! trois cent soixante-cinq fois par an.

おそらく、それこそが、この無垢な老婆(あるいは純化された老婆)の小さな放蕩だった。友もなく、誰と話すこともなく、喜びもなく、打ち明け話をする相手もいない、そんな重苦しい日々の中、一日を過ごしたことで得られた慰め。それが彼女の上に落ちかかるのを、神はそのままにしておいてくれた。たぶん何年も前から! 一年の間に365回。

「寡婦(veuve)」が「老婆(vieille)」と呼ばれ、「無垢(innocente)」あるいは「純化された(purifiée)」存在と見なされる。
それを可能にしてくれるのが、音楽なのだ。

彼女にとって、公園で軍楽を聴くことは、「小さな放蕩(la petite débauche)」、ちょっとした贅沢かもしれない。
しかし、「友だちもいず(sans ami)」、「話をすることもなく(sans causerie)」、「楽しいこともなく(sans joie)」、「打ち上げ話をする相手もいない(sans confident)」、ないないづくしの寡婦にとって、「重くのしかかる労苦を堪えて生きる日々(ces lourdes journées)」の中で、音楽だけが、一日を生きた対価として与えられる「慰め(consolation)」となる。

そして、一日の終わりに軍楽を聴くことだけは、「神様がそのままにしておいてくれる(Dieu laisse)」のだと、哲学者は考察する。
しかも、「何年も前から(depuis bien des ans)」、「一年に365日(trois cent soixante-cinq fois par an)」、つまり毎日。

この考察は、どんなに恵まれず、辛い状況にあっても、小さな放蕩は許される、そのおかげで人は無垢なままでいられるか、あるいは汚れたとしても純化される、という箴言として読むことができる。

この考察で最初の寡婦に関する記述は終わり、次に別の寡婦へと話が展開していく。

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