風立ちぬ 生きることと美の探究と

「風立ちぬ」は、「紅の豚」の延長線上にあるアニメだといえる。

主人公の堀越二郎は、飛行機の設計技師。彼の友人である本庄は、兵器としての戦闘機を制作し、彼の爆撃機は殺戮兵器として空を飛ぶ。
それに対して、二郎は、「ぼくは美しい飛行機を作りたい。」と言い、実用ではなく、美を追い求める。

そうした対比は、「紅の豚」においては、イタリア軍のエースパイロットであったマルコと、軍を離れ自由に空を飛ぶことの望むポルコの対比として表されていた。
https://bohemegalante.com/2020/03/12/porco-rosso/

そうした類似に基づきながら、「風立ちぬ」では、美にポイントが置かれ、さらに、二郎と菜穂子の恋愛物語が、もう一つの側面を形成している。

その恋愛物語は、堀辰雄の『風立ちぬ』に多くを負いながら、生と死の複雑な関係を通して、生きることの意味を問いかけている。

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紅の豚 大人を主人公とした、大人のためのアニメ

「紅の豚」の主人公は、豚の顔をした中年のパイロット。格好良くもないし、英雄でもない。何か特別なことを成し遂げるわけでもない。

そんな作品に関して、宮崎駿監督は、「紅の豚」の演出覚書の中で、「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画であることを忘れてはならない。」と書いている。

また、「モラトリアム的要素の強い作品」という言葉を使い、大きな流れから一旦身を引き、執行猶予あるいは一時停止の状態にいる人間の状況がテーマであることを暗示する。

そのような状況設定に基づき、「紅の豚」は私たちに、宮崎監督の考える「大人」、そして「人間が個人として生きることの意義」を明かしてくれる。

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となりのトトロ 夢だけど夢じゃない世界 トトロのいる自然

「となりのトトロ」は、ジブリ作品の中で最も平和で、戦うシーンは一つもなく、何も特別な事件は起こらない。

父と二人の娘が田舎の一軒家に引っ越してきて、入院している母の帰りを待ちわびているだけの物語。

唯一大きな出来事は、4歳の妹が、遠くにある病院にトウモロコシを届けたくて、迷子になってしまうことだけ。

映画の大半は、トトロというお化けとの出会いを空想するメイとさつき姉妹の日常生活の描写に費やされる。

そんな単純で単調なはずのアニメのどこに、これほど観客を虜にする魅力があるのだろうか。

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風の谷のナウシカ 交感する力

「風の谷のナウシカ」は、「火の7日間」という大戦争によって巨大文明が滅んだ後、1000年後に世界が行き着いた姿を描いている。

地上は猛毒を撒き散らす「腐海」が侵食し、オームが僅かに残る都市や谷の村を襲うこともある。風の谷の隣国ペジテや西方の軍事国家トルメキアでは、今でも覇権を争い、最終兵器「巨神兵」を奪い合ったりしている。

風の谷の少女ナウシカは、そうした強大な敵を前にして、一体何をしようとし、何ができるのだろうか。
メーヴェに乗り、空を飛び回る姿はすがすがしいが、戦うための武器は持たず、無力さに打ちひしがれることもある。

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もののけ姫 怒りに曇る目と生きる自然

「もののけ姫」はジブリ・アニメの中でも、もっとも複雑で、難しいと感じられる作品だろう。
一回見ただけでは、あらすじさえはっきりわからない。
アシタカ、サン、エボシ、ジゴ坊、ヤマイヌやイノシシの神等の関係も入り組んでいる。
シシ神が善と悪の二面性を持つのも不思議に思われる。
最後にアシタカはサンと別れ、エボシの村に暮らすと言う。なぜサンと一緒に再生した自然の中で暮らさないのか。
シシ神の森は破壊され、別の自然が姿を現す。それを自然が再生したと考えるか、最初の自然は死んだので再生とは考えないのか。
こうして、疑問が次々に湧いてくる。

宮崎監督が最初に書いた企画書には、「いかなる時代にも変わらぬ人間の根源となるものを描く。」とあり、非常に大切なメッセージが込められていることがわかる。
物語の展開としては、縦糸が、「神獣シシ神をめぐる人間ともののけの戦い」。横糸は、「犬神に育てられ人間を憎む阿修羅のような少女と、死の呪いをかけられた少年の出会いと解放」。
しかし、こうした監督の意図を知っても、わかったという気持ちにはならない。

ところが、公開時の観客動員数は当時の日本記録を達成するほどで、大変な人気を博した。
そうしたことを知るにつけ、「もののけ姫」を理解したいという気持ちは強くなる。

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ハウルの動く城 歩くことと家族の形成

「ハウルの動く城」は、公開時から人気を博し、観客動員数では「千と千尋の神隠し」に続いて2位になった。その一方で、批評はかなり厳しく、「ストーリー、とくに後半のストーリーがわかりにくい」、「盛り上がりに欠ける」、「分からないからつまらない」など、映画の評価としては過去最低だった。

確かに、見ていると楽しいけれど、映画全体を通して何を言いたいのかわからない。ストーリーを思い出すのが難しいほどだし、たくさんの謎がある。
ソフィーがおばあさんになったり、若返ったりする理由。
城の扉にある四色のボードと外の空間の関係。戦いの意味。
ハウルは誰と戦い、何のために戦っているのか。
なぜ城が動くのか。等々。

そうした中で一貫しているのは、「歩く」というテーマだろう。歩くことが、ハウルとソフィーの恋愛を成就させ、全ての混乱を収束させる力になる。

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天空の城ラピュタ  生命の根源への旅

「天空のラピュタ」で宮崎監督が目指したのは、パズー少年を中心にし、愉快で、血わき、肉おどる、古典的な冒険活劇だという。この映画の企画書には、次のような言葉が書き留められている。

パズーが目指すものは、若い観客たちが、まず心をほぐして楽しみ、喜ぶ映画である。(中略)笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在もっともクサイとされるもの、しかし実は観客たちが、自分自身気づいていなくても、もっとも望んでいる心のふれあい、相手への献身、友情、自分の信じるものへひたむきに進んでいく少年の理想を、てらわずにしかも今日の観客に通じる言葉で語ることである。

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千と千尋の神隠し 水と生きる力の物語

ある日、一人の人間が何の手掛かりもないまま、突然いなくなってしまう。それを単に失踪と見做すのであれば、現実的な出来事である。しかし、あまりの不思議さのために、神の仕業ではないかと考えれば、神隠しになる。

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