
アルチュール・ランボーは、10代の半ばに詩を書き始め、20歳頃には詩作を完全に捨て去ってしまった。その間に詩集としてまとめられたのは、『地獄の季節』の一冊のみ。
それにもかかわらず、現在でも世界中で最もよく名前の知られた詩人であり、活気に満ちた美しい詩句が多くの読者を魅了し続けている。
ランボーの詩がどのようなものか、的確かつ簡潔に理解させてくれる言葉がある。
ランボオ程、己を語って吃(ども)らなかった作家はない。痛烈に告白し、告白はそのまま、朗々(ろうろう)として歌となった。吐いた泥までが煌(きら)めく。(小林秀雄「ランボオ II」)
小林秀雄のこの言葉、とりわけ「吐いた泥までが煌めく」という言葉は、詩人としての天才に恵まれた若者が、社会的な規範にも、詩の規則にもとらわれず、自由に思いのままを綴った詩句が、新鮮な輝きを放ち続けていることを見事に表現している。
私たちは、その実感を、小林秀雄自身が訳した『地獄の季節』の冒頭から感じ取ることができる。
かつては、もし俺(おれ)の記憶が確かならば、俺の生活は宴(うたげ)であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。
ある夜、俺は『美』を膝の上に座らせた。 — 苦々しい奴だと思った。 — 俺は思いっきり毒づいてやった。
(ランボオ作、小林秀雄訳『地獄の季節』)
ランボーは、「美」を崇め、「美」の前で跪(ひざまづ)くことはしない。その反対に、「美」に向かい勢いよく毒づく。
その毒づいた言葉が、「美」に祝福されているかのように美しく、キラキラと煌めく。
小林のこの訳は、ランボーのフランス語の詩句の勢いを、見事に日本語の移し換えたものになっている。