ヴィクトル・ユゴー  レ・ミゼラブル  ー ロマン主義的創造主 3/3

ヴィクトル・ユゴーの創作活動は、プラトニスム的二元論における現実と理想の対比に基づき、闇の中で様々な葛藤を繰り返しながら、無限の彼方にある不可視の光源への愛に導かれて進むという原理が、通奏低音として響いている。
1831年に出版された『ノートルダム・ド・パリ』でも、1862年の『レ・ミゼラブル』でも、その点では共通している。

他方、二つの小説には大きな違いもある。
1831年の小説の中心はノートルダム寺院そのものであるとも言え、巨大な「個」に焦点が当たっている。
それに対して、『レ・ミゼラブル』では、ジャン・ヴァルジャンは多数の「悲惨な生活を送る人々=レ・ミゼラブルたち」の一人であり、焦点は個人ではなく、人間の集合=民衆=人類に向けられる。

その違いは、物語の展開する時代が、一方は中世の最後(1482年)、他方は19世紀の現代史、という違いを生み出すことにも繋がる。

『ノートルダム・ド・パリ』の描くのは「石の建造物」から「紙の書物」への移行期であり、カジモドの遺骨が粉々に崩れ落ちるのは、ノートルダム大聖堂という「個体」が崩れ落ちることを暗示する。「個」の時代の終わり。

そのように考えると、『レ・ミゼラブル』が1815年のワーテルローの戦いから始まる意味が見えてくる。ワーテルローは、ナポレオンという強大な「個」が失脚する決定的な事件である。
物語の終わりには、1830年の7月革命の2年後に勃発した1832年の民衆蜂起が設定される。
その時、たとえ反乱は鎮圧されたとしても、ジャン・ヴァルジャンは、暗いパリの下水を通り抜け、コゼットの恋人マリウスを救う。そのことは、一人の英雄の時代はすでに終わりを告げ、「惨めな生活を送る人々(レ・ミゼラブル)」の時代が到来したことを示している。

ところで、ユゴーは物語を脱線し、ワーテルローの戦いやパリの下水道の記述を延々と繰り広げる、と言われることがしばしばある。そこは退屈な箇所であり、我慢して読むか、読み飛ばすしかないと考える読者も数多くいる。

しかし、ユゴーと同時代の読者にとって、『レ・ミゼラブル』の問題点はそこではなかった。現代に読者にとっても、19世紀の大作家がナポレオンの最後の戦いをどのように捉え、パリの地下を蜘蛛の巣のように走る下水道網をどのように描いたのかを知るのは、それ自体で興味深い話題である。

『レ・ミゼラブル』は出版当時、一般の読者には大評判になり、本も飛ぶように売れた。反対に、評論家たちの評価はあまりよくなかった。その理由を考えて行くと、19世紀後半の芸術観の主流が、世紀前半の芸術観とは異なったものになりつつあり、ユゴーの小説が時代の最先端とは違う方向を向いていたことがわかってくる。

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ヴィクトル・ユゴー ノートルダム・ド・パリ  ー ロマン主義的創造主 2/3

Notre-Dame 1842

ヴィクトル・ユゴーが1831年に出版した『ノートルダム・ド・パリ』について語る時、忘れてはいけない一つの事実がある。それは、ユゴーの小説がノートルダム寺院の復興のために果たした役割。

フランス革命の間に破壊や略奪にあった大聖堂は、ワインの貯蔵庫として使われたことさえあり、19世紀の初めにおいても荒れ果てたままの状態にあった。
1804年、ナポレオンの戴冠式のため、外観が石灰で白く塗られたり、破壊の跡を隠す装飾が多少施されたが、式典が終わった後で完全に取り壊すことも検討されたという。

そうした状態が続く中、ユゴーが小説の舞台として、もっと言えば小説の主人公として、ノートルダム寺院に脚光を当てた。
その小説が大変な人気を博したために、復興の気運が高まり、建築家ヴィオレ・ル・デュクを中心に、1845年から1863年にかけて復興工事が行われ、2019年4月の火災の前まで見られたような優美な姿を取り戻すことができた。
(ただし、ヴィオレ・ル・デュクは、中世の聖堂そのままの姿ではなく、19世紀から見た中世建築の要素を付け加えた。中央にそびえる塔がその象徴。)
従って、ノートルダム大聖堂が生命を取り戻したのは、『ノートルダム・ド・パリ』という小説のおかげだといえる。

小説が出版された直後の1832年、ジェラール・ド・ネルヴァルは「ノートルダム・ド・パリ」と題した詩の中で、次のように綴った。

地球上の全ての国の人々が
この厳めしい廃墟を見るためにやってくるだろう
夢見がちに、ユゴーの本を読み返しながら。

2024年のパリ・オリンピックに間に合うことを目指して、急ピッチで復旧工事が行われている現実は、ネルヴァルの予言が実現したことを示している。ただし、廃墟ではなく、壮麗な姿を取り戻すであろう大聖堂を、人々は賞賛するだろう。

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ヴィクトル・ユゴー ロマン主義的創造主 1/3 対立するものの共存と光への渇望

19世紀を代表する文学者、あるいはフランス文学を代表する作家は誰か? その問いをフランス人に投げかけると、多くの人は「ヴィクトル・ユゴー」と答えるだろう。

ヴィクトル・ユゴーは1802年に生まれ、1885年に死を迎えるまで、19世紀のほぼ全ての時代を生き抜いた。
しかも、20歳の頃にロマン主義運動の先頭に立って以来、詩、演劇、小説、評論、旅行記、日記、さらに絵画や政治に至るまで、多角的な活動を続けた。
83歳で死亡した時には国葬が行われ、凱旋門からパンテオンに続く沿道には200万の人々が詰めかけるほどの人気を博した。

21世紀、彼の作品の中では、『レ・ミゼラブル』と『ノートルダム・ド・パリ』という二つの小説が演劇、ミュージカル、アニメーションなどで頻繁に取り上げられ、世界中で絶大な人気を博している。

日本では、明治35-36年(1902-1903)に、『レ・ミゼラブル』が『噫無情(ああむじょう)』という題名で翻案され、さらに銀の燭台のエピソードが教科書に取り上げられるなどして、ジャン・ヴァルジャンの名前とともに、ヴィクトル・ユゴーの名前が広く知られるようになった。

他方、フランスにおいては、現在でもユゴーは詩人としての認知度が高い。
実際、詩人としての天分に恵まれ、インスピレーションだけではなく、テクニックの面でも、圧倒的な力を発揮した。
フランスのロマン主義に関して、絵画におけるドラクロワの存在が、文学においてはヴィクトル・ユゴーにあたると言ってもいいだろう。

Victor Hugo Le Phare

そうしたユゴーの膨大な作品群を貫く一つの核を探り出すのは困難だが、ユゴー自身がカスケ諸島の灯台を描いた1枚の絵画が、彼の精神性を最も端的に象徴しているのではないか、と考えてみたい。

画面の中央には一本の長い階段が位置し、下から上へと伸びている。
灯台の下は暗い闇に包まれ、右手の海上にでは一艘の船が帆を傾け、今にも沈みそうな様子をしている。
上方には格子のはまった窓があり、その回りには雲が立ちこめている。その全体が暗いが、しかし、窓の回りは明るい光で照らされている。
階段自体も全体的には闇に包まれているが、しかし、中央の部分は明るく見え、窓から光が差し込んでいる様子が窺われる。

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バルザック 人間社会の博物誌と神秘的直感 2/2

「バルザック 人間社会の博物誌と神秘的直感 1/2」からの続き
https://bohemegalante.com/2021/10/26/balzac-histoire-naturelle-de-la-societe-humaine-1/

(3) 分析 —— 意味の解明

人間の社会を観察し、分類した後には、分析し、結論を導き出すことになる。
バルザックの達した結論は、同時代の動物学者ジョフロワ・サン・ティレールが主張した「構成の単一性」に基づくものだった。

「構成の単一性」は、多様な動物の存在を説明するための一つの原理として提示された。
19世紀前半、博物学者であり、化石の研究によって古生物学を確立したジョルジュ・キュヴィエは、各種の動物の違いに連続性はなく、天地の大変動の度に生物が生まれ変わるという「天変地異説」を主張した。
それに対して、ジョフロワ・サン・ティレールは、異なる動物の連続性を主張し、究極的には一つの生物から全ての生物が発生するという「構成の単一性」説を提示した。

バルザックは、1842年に発表した「人間喜劇」の序文の中で、サン・ティレールの学説に基づき、彼の試みを次のように説明している。

単一の動物しかいない。創造主が全ての生物に関して使用したのは、ただ一つの同じ型だけだった。その動物とは一つの原理であり、その原理が外的な形を取る。より正確に言うならば、様々な環境の中で、形態の違いを形作るのであり、その環境の中で動物が自らを発展させるのだ。

この一節には様々な要素が含まれている。

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バルザック 人間社会の博物誌と神秘的直感 1/2

オノレ・ド・バルザック(1799-1850)は、16世紀の作家フランソワ・ラブレーに匹敵する言葉数の多さで、全てを語り、全てを説明し、全てを解明しようとした19世紀前半の小説家。

90巻以上の小説で構成される「人間喜劇」シリーズでは、「戸籍簿と競争する」という言葉で示されるように、ナポレオン失脚後のフランス社会全体を体系化して描き出そうとした。

その試みは、18世紀の博物学者ビュッフォンの『一般と個別の博物誌(natural historiy)』に匹敵すると言ってもいい。

「博物学」とは、動物、植物、鉱物など自然界に存在する全てのものを対象として、収集し、分類する学問。
ビュッフォンは、地球、人間、自然の歴史といった一般論から始め、動物、鳥類、鉱物、元素など個別的な事物を体系的に記述し、数多くの精密な挿絵も含め、彼の死後に発表された巻を合わせると、全44巻に及ぶ百科事典を作り上げた。

バルザックは、ビュッフォンが自然界に関して行った作業を、人間社会に置き換えて実現しようとしたと言ってもいいだろう。

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スタンダール 幸福を求めて

1783年に生まれたスタンダールの最大のテーマは、「幸福」だった。

実際の人生においても、様々なジャンルの著作においても、スタンダールが求めたものは「幸福」であり、その意味で、「個人の自由」や「科学の進歩」を通して「幸福」を追求した18世紀精神を継承しているといえる。

彼は、一方ではヴォルテールに代表される合理主義精神や科学主義に基づく思想を持ち続け、他方ではルソーを代表とする「人間の内面」に価値を置く心持ちの持ち主でもあった。
(18世紀の時代精神 幸福を求めて https://bohemegalante.com/2021/05/12/esprit-du-18e-siecle-bonheur/

18世紀から19世紀に流れ込んだこの二つの精神性を合わせ持っていることは、フランス革命の6年前に生まれたスタンダール(本名:アンリ・ベール)が、18世紀精神の継承者であることを示している。

しかし、別の視点から見ると、彼の求める「幸福」は徹底的に「個人」に属するものであり、18世紀に主要な関心事であった「公共」の幸福は彼の関心事ではなかった。
彼が求めたのは「私の幸福」であり、「社会全体の幸福」を考えることはなかった。社会はむしろ「私」と敵対する存在として姿を現した。
その点では、彼と相容れなかった19世紀前半のロマン主義文学者たちとスタンダールは共通している。たとえロマン主義的抒情を好まなかったとしても、彼もまた「私」を視座の中心に据えた作家だった。

21世紀の日本人が、自分の感性を羅針盤にしてスタンダールの世界を航海するのではなく、19世紀前半のフランスにおける時代精神に基づいてスタンダールの「幸福の追求」を読み説くとき、どのような世界が見えてくるのだろうか。

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19世紀の時代精神 社会の中の「私」 2/2 新しい芸術観

19世紀前半のロマン主義は、ルネサンス以来のプラトニスム的芸術観を引き継いだものだと考えられるが、19世紀後半になると全く新しい芸術観が発生した。

その新しい芸術観の最も根源的な本質は、「作り出されたもの自体」に価値を置く、ということにつきる。

Vassily Kandinsky Sans titre

文学にしろ、絵画にしろ、現実の存在を前提とし、その現実を再現するのであれば、作品は現実のコピーにすぎないことになる。
それに対して、新しい芸術観の下では、作品は現実から自立したものと見なされる。描かれた絵画そのもの、書かれたテクストそのものが芸術の価値だと考えられる。

20世紀に入り、ピカソ、シュール・レアリスム、抽象芸術などが出現する。私たちは、そこに何が描かれているのか分からないことがしばしばあるが、しかし、美を見出すこともある。
そうした例を思い浮かべると、現実から自立した芸術がどのようなものか、理解できるだろう。

19世紀後半は、こうした新しい芸術観が誕生した時代。
ロマン主義から新しい芸術観への転換を私たちに教えてくれるのは、シャルル・ボードレールであり、ギュスターヴ・フロベールである。

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19世紀の時代精神 社会の中の「私」 1/2 ロマン主義

19世紀は、文学だけではなく、絵画や音楽に関しても、日本でよく知られた芸術家たちを輩出した時代。

小説家で言えば、ヴィクトル・ユゴー(『ノートルダム・ド・パリ』『レ・ミゼラブル』)スタンダール(『赤と黒』)、バルザック(『人間喜劇』)、アレクサンドル・デュマ(『三銃士』)、メリメ(『カルメン』)、ジョルジュ・サンド(『愛の妖精』)、フロベール(『ボヴァリー夫人』)、エミール・ゾラ(『居酒屋』)、モーパッサン(『女の一生』)、アルフォンス・ドーデ(「アルルの女」「最後の授業」)、等。

詩人であれば、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、等。

画家なら、ドラクロワ、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、ギュスターヴ・モロー、セザンヌ、等。

音楽家なら、ショパン、ベルリオーズ、リスト、ドビュシー、サティ、サン・サーンス、ビゼー、等。

さらに、ロマン主義、写実主義(レアリスム)、自然主義、印象派、象徴派、デカダンス、世紀末芸術といった用語も知られている。

その一方で、19世紀の半ばに世界観・芸術観の大転換があり、そこで発生した新しい世界像が20−21世紀の世界観・芸術観の起源となったことは、あまり意識されていない。

ここでは簡潔に19世紀文学の流れを辿り、時代精神の大きな転換について考えていく。

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ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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ルソー 告白と夢想 永遠の現在を生きる

ジャン・ジャック・ルソー(1721-1778)の後半生は、自己の人生を回想する作品に費やされたといってもいいだろう。
死後に出版された『告白』(第1部、1782年、第2部、1789年)や『孤独な散歩者の夢想』(1782)は、思想書、小説、戯曲等の執筆状況を含め、私生活を隠すところなく語った自叙伝となっている。
そのために、ルソーの著作を解読しようとすると、読者は自然に彼の告白から理解を始めようとする傾向が生まれた。例えば、ディジョンのアカデミーに応募した論文、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』、『エミール』などに関して、『告白』の関係箇所に目を通し、彼の思想や私生活に基づいた解釈をする。
そこで、ルソーは、自分の「伝記」を書くことによって、彼の著作の死後の読み方を指定したとさえ言うことができる。

ここで注目したいのは、人生を振り返り、それを語る作業は、「記憶」に基づいているということ。
普通に考えれば、思い出には確かなこともあれば、不確かなことも、間違っていることもある。しかし、ルソーはとりわけ「真実性」に力点を置く。

 私が試みることはこれまでに決して例がなく、今後も真似する人はいないだろう。私は、一人の人間を、自然の真実のままに仲間たちにお見せしたい。そのようにして描かれることになる人間とは、私である。(『告白』第1巻)

このように、彼の自画像には決して嘘偽りがなく、真実であることを強調する。そして、その試みは、これまでに誰もしたことがないし、これからも真似る人はいないであろう、唯一のものだとする。

アウグスチヌスの有名な『告白』とも、モンテーニュの『エセー』とも、歴史上に名前を残す人々の「回想録」とも違う。
そうした言葉は、自分の告白を価値付けるための宣伝文句という面も否定できない。しかし、実際にルソーは、その独自性を確信していたと思われる。
エピグラフ(銘句)として引用される古代ローマの詩人ペルシウスの句が、その確信の源泉を示している。

内面に、そして、肌の下に。 Intus, et in Cute.

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