子どものための本が生まれるまで

「子ども用」という言葉は、大変に大きな価値観の転換を含んでいる。子供服や子ども用のおもちゃ、そして子ども用の本。そうしたものは、「子どもが大人とは違う特別な存在である」という感受性を前提にしている。ここではまず、子どもに関する感受性の変化について見ていこう。

子どものイメージ

子供用品があふれている現代から見れば、子どもは大人とは違う特別な扱いをする方が普通である。しかし、かつては、体が小さく、体力がないだけで、後は大人と同じように見られていた時代があったと言われている。

今でも、経済的に発達していない国では、幼い年齢の子どもが労働力の一部として社会の中に組み込まれ、働かされていたりする。それが当たり前だった時代が、かつてはあった。

こうした違いは、子どもをどのように見るかにかかっている。
現代においては、子どもはみんな可愛いと思い、大人になるための発達段階に応じた教育が必要だと考えられている。しかし、こうした考え方はヨーロッパでは16世紀以降に出来上がってきたものであり、フィリップ・アリエスというフランスの学者の言葉を借りれば、子どもは「体の小さな大人」にすぎなかった。子どもだからといって特別に可愛がるという気持ちはなかったのである。

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児童文学からジブリ・アニメへ

宮崎駿監督がインタヴューの中で何度も答えているように、監督は児童文学の愛読者であり、『本へのとびら ——— 岩波少年文庫を語る 』(岩波新書)という本まで執筆している。
児童文学作品を映画化したこともある。
「魔女の宅急便」は角野栄子の同名の小説を原作にして、主人公のキキが魔女として独り立ちするために知らない町に行き、成長していく姿を描いている。
ジブリ・アニメの中では、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ」「コクリコの坂から」「思い出のマーニー」等も、児童文学作品を基に制作されている。

そうしたことは、ジブリ・アニメが観客として最初のターゲットにしているのが、子どもであることと関係している。「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」はもちろんのこと、「天空のラピュタ」でさえも監督の意図としては小学校4年生に向けられているという。

そして、読者として想定された子どもたちに向けて送られるメッセージがある。
人と人のつながり、人間と自然のつながり、目に見えないものの大切さ、文明と自然の複雑な関係等、多くのことがアニメを通して伝えられる。
その内容は、子ども用だからという理由で単純化され、すぐに解決策が与えられるものではない。
それだからこそ、アニメを見終わった後、楽しい気分になるだけではなく、ずっと心に残り続ける「何か」がある。

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星の王子さまの秘密 2/2

キツネの教え

『星の王子さま』は「大人の中にいる子ども」に向けられた児童文学に属し、子どもを楽しませながら教育することを目的とした伝統的な児童文学とは一線を画している。その意味で、教訓が全面に出てくることはない。

しかしその一方で、大人が心の底で求めていること、例えば、「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」といった格言が伝えられ、この物語の魅力の大きな部分を作り出している。
私たちが普段の生活の中で忘れがちな大切なことを教えてくれる書物という位置づけは、こうした教訓的な内容に基づいている。

教訓は、王子さまが地球で出会ったキツネによってもっともはっきりした形で伝えられる。
そのキツネが王子さまに教えるのは、「愛すること」の意味である。

王子さまは、とても好きだったバラの花を本当の意味で愛することができず、彼女を置き去りにして、小さな星を脱出してしまった。
それから後の惑星めぐりの旅は、愛し方を学ぶための試練ともいえる。

王子さまはずっと、どうしたら愛することができるか、その答えを探していた。そして、求めていたからこそ、キツネから与えてもらうことができる。

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星の王子さまの秘密 1/2

サン=テグジュペリの『星の王子さま』(1944)は、日本で最も名前の知られているフランス文学作品の一つであるが、これほどの人気の秘密はどこにあるのだろうか。

まず、作者自身の手による挿絵の力が大きい。王子さまの愛らしい姿は、この作品の大きな魅力を形作っている。
実際、この作品は子どもに向けて書かれたと言われており、誰でも簡単に王子さまの不思議な世界の入り口に立つことができる。

しかしその一方で、奥行きも深い。最も有名な言葉、「大切なことは目に見えない」等の心に響く印象的な表現が、読者の心を捉える。その意味で、入り口が広いという以上に、奥行きが深い作品だといえる。

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アリスの不思議な世界 2/2

行動に関する予想外

アリスの不思議な国では、言葉だけではなく、全てのことが予想をくつがえしながら進んでいく。物事は決して型通りには運ばない。「こうすればこうなる」という自動化された連結が次々に破壊される。
なぜそんなことになるのだろうか?

アリスがドアを開けて、部屋に入る場面を考えてみよう。
一般的には、アリスという主体がいて、彼女が部屋に入りたいと考え、ドアを開け、部屋に入っていくとみなされる。次に、部屋の中でテーブルの上にある飲み物を飲むとすると、同じ主体が飲みたいと考え、コップに手を伸ばし、それをつかみ、口に運び、ジュースを飲むという行為の連続が想定される。
動作主であるアリスがまず存在し、彼女が行動を決定し、実行する。

こうした普通の考え方に対して、アリスの不思議な国では、動作の方が主体よりも先にくる。まず行動があり、その後から、それをした人が想定される。ドアを開けるという行為があり、それから、それをした人が誰かという問題が出てくる。

こうした行動中心の視点を最もよく表現しているのは、チェシャ猫である。
公爵夫人の台所の中で、チェシャ猫は耳から耳まで届きそうな大きな口をあけて、ニヤニヤしている。
アリスが森の中に行くと木の枝の上に突然現れ、また消える。そこでアリスはこう呼びかける。

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アリスの不思議な世界 1/2

世界の児童文学の中で、最もユーモアに満ち楽しい物語は何かと問われたら、多くの人が「アリス」と答えるに違いない。

その中には、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』は読まず、ウォルト・ディズニーの「ふしぎの国のアリス」(1951年)を見ただけという人もいるだろう。
アニメも見ていなくて、アリスという名前をどこかで聞いたことがあるだけかもしれない。それでもアリスという名前はよく知られて、人気がある。

それだけではなく、ルイス・キャロル、本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832-1898)の作品は数多くの専門家に取り上げられ、数えきれないほどの研究が行われている。
文学だけではなく、哲学、論理学等の素材として使われたりもする。児童文学という枠組みだけでは収まらない内容を含んでいるのである。

ここでは、『不思議の国のアリス』を取り上げ、児童文学という枠組みの中でその作品がどのような独自性を持ち、そのジャンルにどのような新しさをもたらしたのか、考えてみることにする。

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アンデルセン童話の美しさ 2/2

基本構造

価値の逆転は物語の基本構造に内在しているともいえる。
「欠如」で始まる物語は、主人公の「試練」を経て、「充足」で終わる。最初は恵まれない立場にいた主人公は、数々の困難を乗り越え、最後には幸せになる。
アンデルセン童話も、ほとんどの物語がこの構図に則っている。

構造がもっともはっきり見えるのは、「みにくいアヒルの子」「おやゆび姫」「雪の女王」等、ハッピーエンドの物語である。主人公たちは様々な試練をくぐり抜け、それを乗り越えることで、最後は幸せになる。

おやゆび姫は、ヒキガエル、コガネムシや野ネズミ、モグラ等にさらわれ、自分ではどうしようもない状態に置かれる。そして、こうした試練を乗り越えた後、やっと幸せにたどり着く。

同じように、アヒルの子も、自分の家族だけではなく、ニワトリや七面鳥、野がも、猟師、犬、お百姓のおばあさん、ネコ等、色々なものからいじめられ、悲しい思いをする。しかし、その苦しみが大きいだけに、最後の幸せも大きく感じられる。

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アンデルセン童話の美しさ 1/2

アンデルセン童話は、安心して子どもに与えることができ、しかも、その美しさは大人の読者をも惹き付けてやまない。
どこの国のいつの時代の読者も、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1805年に生まれ、1875年に亡くなったデンマークの作家、などということは気にせずに、彼の創作した物語に親しんでいる。

「人魚姫」「マッチ売りの少女」「裸の王様」「みにくいあひるの子」等は、読んだことはないにしても、名前を聞いたことはあり、なんとなく話の筋は知っているに違いない。

「雪の女王」は、ディズニーの「アナと雪の女王」によって、全世界で大流行する物語になった。

では、アンデルセン童話のどこに、それほどの魅力があるのだろうか。

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グリム童話の楽しさ 3/3

非現実世界への入り口

グリム兄弟は、童話集第2版の序文の中で、残酷な場面の正当性を主張しているが、その一方で、残酷な行為からリアリティを取り除く民話的な語り口も採用している。

その最初の手段が、物語の入り口に置かれる「昔むかし」という言葉である。この決まり文句は、これから話される出来事が、架空の世界で起こることを予告する役割を果たしている。

「かえるの王様」では、手書きの原稿にはなかったその表現が、初稿で付け加えられる。そして、その有無によって、読者が受ける印象は全く違うものになる。

王さまの末の娘が森へ出かけて行きました。(初稿)

むかしむかしあるところに王さまの娘がいました。この娘が森へ出かけて、冷たい泉のほとりに腰をおろしました。(初版)

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グリム童話の楽しさ 2/3

口頭伝承から読み物へ

1819年に出版された『子どもと家庭のための昔話(メルヒェン)集』第二版の序文で、グリム兄弟は、自分たちの集めた物語を出版するにあたって、なによりも忠実さと真実性を重視したと言う。
そして、個々の表現については修正した部分もあるが、基本的には何一つ加えず、美化することもせず、聞いた通りを再現しようとしたと主張している。

しかし、1812年の第一版から1857年の第七版までを比べてみると、彼らの主張とは別の事実が見えてくる。
私たちが一般的に手に取るのは、最後に出版された第七版であり、それだけ見たのではわからないが、前の版と比べると、かなり訂正が加えられていることがわかる。
その比較を通して見てくるのは、「話される物語」から「読まれる物語」へと変わっていく過程である。

ここでは、「かえるの王様」の最初の部分を取り上げ、グリム兄弟がクレメンス・ブレンターノに渡した原稿(1810年)、1812年の初稿、1819年の第二版、そして、最後に出た第七版と四つの版を比較検討してみよう。

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