「百聞は一見にしかず」が通用しない時代

どんな映像でもAIで瞬時に出来てしまい、最近では、ドナルド・トランプが逮捕されたという映像が流れ、多くの人が信じたというニュース。

Les génératrices d’images

Récemment, les ordinateurs ont fabriqué des images tellement réalistes que de nombreux internautes se sont fait avoir.
Par exemple, Donald Trump est arrêté de force par la police, il résiste, son fils s’interpose, mais rien n’y fait, l’ex président américain finit en prison.
Ce roman-photo en 50 épisodes à de quoi convaincre, d’autant que Donald Trump lui-même a annoncé son arrestation. Résultat, plus de cinq millions de vues pour ces images en deux jours.
Évidemment, tout est faux.

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ヴェルレーヌ「シテール島」Verlaine « Cythère »と音楽 クープラン ドビュシー サティ プーランク

ポール・ヴェルレーヌの「シテール島(Cythère)」は、1869年に出版された『艶なる宴(Fêtes galantes)』の中の一編で、ロココ絵画の雰囲気を19世紀後半に再現している。

19世紀前半、ルイ15世やルイ16世の時代の装飾様式をロココ(rococo)と呼ぶようになったが、ロココは時代遅れ様式というニュアンスを与えられていた。
そうした中で、一部の人々の間で、18世紀の文化全体を再評価する動きが生まれ、ロココ絵画に言及する美術批評や文学作品も現れるようになる。

アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島の巡礼(Le Pèlerinage à l’île de Cythère)」は、18世紀の前半に、「艶なる宴(fête galante)」という絵画ジャンルが生まれるきっかけとなった作品だが、19世紀前半のロマン主義の時代、過去への追憶と同時に、新たな美のモデルとして、文学者や評論家によって取り上げられるようになった。

美術評論家シャルル・ブランは、「艶なる宴の画家たち(Les peintres des Fêtes Galantes)」(1854)の中で、以下のように述べている。

Éternelle variante du verbe aimer, l’œuvre de Watteau n’ouvre jamais que des perspectives heureuses. (…) La vie humaine y apparaît comme le prolongement sans fin d’un bal masqué en plein air, sous les cieux ou sous les berceaux de verdure. (…) Si l’on s’embarque, c’est le Départ pour Cythère.

「愛する」という動詞の果てしない変形であるヴァトーの作品は、幸福な光景しか見せることがない。(中略) そこでは、人間の生活は、野外で、空や緑の木立の下で行われる仮面舞踏会の、終わりのない延長のように見える。(中略) もし船に乗って旅立つとしたら、それは「シテール島への出発」だ。

こうした記述を読むと、愛の女神ヴィーナスが誕生後に最初に訪れたといわれるシテール島が、恋愛の聖地と見なされていたことがわかる。

ヴェルレーヌも、ロココ美術復興の動きに合わせ、彼なりの『艶なる宴』を作り出した。
そこでは仮面舞踏会での恋の駆け引きが音楽性豊かな詩句で描き出され、「シテール島」においても、無邪気で楽しげな恋の場面が目の前に浮かび上がってくる。

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ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 3/3 自分を見つめる力と勇気

第11詩節では、絞首台に吊され、鳥や獣に体を引き裂かれた哀れな姿に向かい、「お前(tu)」という呼びかけがなされる。

Habitant de Cythère, enfant d’un ciel si beau,
Silencieusement tu souffrais ces insultes
En expiation de tes infâmes cultes
Et des péchés qui t’ont interdit le tombeau.

シテール島の住民、この上もなく美しい空の子、
お前は、静かに、数々の屈辱を耐え忍んでいた、
贖罪のためだ、数々の悪名t高き信仰と
様々な罪の。その信仰と罪のため、お前は墓に葬られることを禁じられたのだった。

(朗読は2分40秒から)
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ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 2/3 絞首台のアレゴリー 

第4−5詩節では、夢と現実の対比がもう一度繰り返される。

myrte

Belle île aux myrtes verts, pleine de fleurs écloses,
Vénérée à jamais par toute nation,
Où les soupirs des cœurs en adoration
Roulent comme l’encens sur un jardin de roses

Ou le roucoulement éternel d’un ramier !
– Cythère n’était plus qu’un terrain des plus maigres,
Un désert rocailleux troublé par des cris aigres.
J’entrevoyais pourtant un objet singulier !

美しい島、緑のギンバイカが生え、咲き誇る花々に満ちあふれ、
永遠に、全ての人々から崇拝される。
熱愛する心を持つ人々のため息が
流れていく、バラの庭を漂う香りのように、


あるいは、山鳩の永遠のさえずりのように。
— シテール島は、もはやひどく痩せ衰えた土地でしかなかった、
甲高い叫びに乱された、岩ばかりの荒れ果てた地。
ちらっと見えたのは、一つの奇妙な物!

(朗読は50秒から)
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柳田国男 『遠野物語』と文学  三島由紀夫に文学の「本質的なもの」を教えてもらう

柳田国男の『遠野物語』が日本人の根底に潜む心の在り方をひっそりと教えてくれる書物であることはよく知られているが、三島由紀夫の解説は、その中の一つの説話を通して、文学の本質が何かを教えてくれる。

最初に確認しておくと、『遠野物語』は、柳田国男が、遠野地方出身の佐々木喜善(きぜん)によって語られた話を筆記、編集したもので、明治43年(1910年)に出版された。

柳田は「序」の中で、そこに収められた物語を、『今昔物語』に類するものとしている。
そのことは、『遠野物語』の購入者の一人、芥川龍之介が、後に、『今昔物語』の説話を骨組みにしたいくつかの短編を執筆したことと、決して無関係ではないだろう。

かかる話を聞きかかる処(ところ)を見てきてのち、これを人に語りたがらざる者、果(はた)してありや。そのような沈黙にして、かつ慎(つつし)み深き人は、少なくも自分の友人の中にはあることなし。

いわんや、わが九百年前の先輩(せんぱい)『今昔物語』のごときは、その当時にありて、すでに今は昔の話なりしに反し、これはこれ目前の出来事なり。
たとえ敬虔(けいけん)の意と誠実の態度とにおいては、あえて彼(=『今昔物語』)を凌(しの)ぐことを得(う)というあたわざらんも、人の耳を経(ふ)ること多からず、人の口と筆とを倩(やと=雇)いたること、はなはだだわずかなりし点においては、彼の淡泊無邪気なる大納言殿(だいなごんどの=『今昔物語』の作者と推定されていた宇治大納言・源隆国)、却(かえ=帰)って来たり、聴くに値せり。

近代の御伽百(おとぎ・ひゃく)物語の徒に至りては、その志(こころざし)や、すでに陋(ろう=賤しい)、かつ決してその談の妄誕(もうたん=でたらめ)にあらざることを、誓いえず。窃(ひそか)にもって、これと隣を比するを恥(はじ)とせり。
要するに、この書は現在の事実なり。単にこれのみをもってするも、立派なる存在理由ありと信ず。
                         (読みやすさを考えて、句読点などを多少変更してある。)

敬虔さや誠実さにおいては、『今昔物語』が勝っているかもしれない。しかし、平安時代末期に成立した『今昔物語』は、当時にあっても「今となっては昔の話」。

他方、遠野で採集された物語は、「目前の出来事」を伝えている。つまり、「現在の事実」なのだ。
そして、事実としての重みがあるからこそ、そうした話を耳にすると、どうしても他の人に話たくなってしまう。

そこで、佐々木喜善の語る話を聞いた柳田が、『遠野物語』を出版するのは、そこに収められた物語の「真実性」に動かされてのこと、ということになる。

そして、三島由紀夫が「これこそ小説」と主張するのも、その真実性に他ならない。

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ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 1/3 愛の女神ヴィーナスの島へ

シャルル・ボードレールは、「シテール島への旅」の中で、ジェラール・ド・ネルヴァルが1844年に発表したギリシアの紀行文を出発点にしながら、自らの詩の世界を作り上げていった。

4行で形成される詩節が15連なる60行の詩の最後になり、詩人はこう叫ぶ。

Ah ! Seigneur ! donnez-moi la force et le courage
De contempler mon cœur et mon corps sans dégoût !

ああ! 主よ! 私にお与えください、力と勇気を、
自らの心と体を見つめるのです、嫌悪することなしに!

この懇願が発せられるのは、エーゲ海諸島の一つシテール島において。

シテール島は、神話の中で、海の泡から誕生したヴィーナスが最初に上陸した地とされ、ヨーロッパ人の想像力の中では、長い間、愛の島として知られていた。

他方、歴史を振り返ると、中世にはヴェネツィア共和国の統治下にあり、イタリア語でセリゴ( Cerigo)と呼ばれていた。その後、1797年にナポレオンが支配下に置き、フランス領イオニア諸島に組み込む。だが、1809年、イギリス軍がイオニア諸島を占領し、1864年にギリシャ王国に譲渡されるまで、イギリスの統治が続く。

その間、シテール島は、人々の想像力の中では神話的なオーラを保ちながら、現実には何の特徴もない平凡な島になっていた。
ヨーローパの人々がギリシアに向かう時には、神話的な空想を抱きながら、そうした現実に出会うことになる。

もちろん、地中海を通り、ギリシアに近づくについて、船上の旅人の心は浮き立つに違いない。天気がよければなおさらだ。

Un Voyage à Cythère


Mon cœur, comme un oiseau, voltigeait tout joyeux
Et planait librement à l’entour des cordages ;
Le navire roulait sous un ciel sans nuages,
Comme un ange enivré d’un soleil radieux.

シテール島への旅

私の心は、1羽の鳥のように、ひどく楽しげに空を旋回し、
自由にトンでいた、帆綱の周りを。
船は進んでいった、雲一つない空の下を、
輝く太陽に酔いしれる天使のように。

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ボードレール 「地獄のドン・ジュアン」 Baudelaire « Don Juan aux Enfers » 詩句で描かれた絵画

詩の中には、ある知識を前提として書かれているものがあり、その場合には、読んですぐに理解するのは難しいし、理解できなければ、その魅力を味わうこともできない。

ボードレールの「地獄のドン・ジュアン(Don Juan aux Enfers)」であれば、17世紀の劇作家モリエールの戯曲「ドン・ジュアン 石の饗宴」を知らないと、スガナレル(Sgnanarelle)、ドン・ルイ(Don Luis)、エルヴィル(Elvire)といった固有名詞、物乞い(un mendiant)や石の男(homme de pierre)が、ドン・ジュアンとどんな関係があるのかわからない。

日本人であれば、三途の河と言われればすぐにピントくるが、カロン(Charon)という名前にはなじみはない。
カロンは地獄の河の渡し守。死者はカロンに船賃(une obole)を渡さなければならない。

ドイツの作家ホフマン(1776-1822)が、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァーニ」を下敷きにして執筆した「ドン・ジュアン」も、ボードレールは頭に置いていたと考えられる。

ドラクロワの絵画「ダンテの小舟(地獄のダンテとヴェルギリウス)」や、ドン・ジュアンが地獄に下る姿を描いた同時代の版画など、美術批評も手がけたボードレールの絵画体験も詩の中に反映している。

こうした知識がぎっしりと詰まっている詩を読む場合、何の前提もなしで直接心に訴えかけてくる抒情詩とは違い、まずは知的な理解が必要にならざるをえない。

。。。。。

ボードレールのドン・ジュアンは、最初の場面で、地獄の河を下っていく。

伝説のドン・ジュアンは、墓場で見た石像を宴会に招待し、最後はその石像によって地獄に落とされるという最期を迎える。

モリエールの『ドン・ジュアン』でも、饗宴に出現した石像に手を触れられた瞬間、ドン・ジュアンは雷に打たれ、大地が開き、深淵の中に落ちていく。

ボードレールの詩は、その後のドン・ジュアンの姿を歌う。

その際、彼が思い描いたのは、ドラクロワの「ダンテの小舟(地獄のダンテとヴェルギリウス)」に違いない。
画家が描いたのは、『神曲』(地獄篇第8歌)の中で、ダンテがヴェルギリウスに導かれ、地獄の河を小舟で下っていく場面。

私たちもこの小舟に乗り、ドン・ジュアンの地獄下りに同行してみよう。

Quand Don Juan descendit vers l’onde souterraine 
Et lorsqu’il eut donné son obole à Charon, 
Un sombre mendiant, l’œil fier comme Antisthène, 
D’un bras vengeur et fort saisit chaque aviron.  

ドン・ジュアンが地下の河へと下り、
船賃の硬貨をカロンに渡した後、
ひとりの陰気な物乞いが、アリティステネスのような誇り高い目をし、
復讐するぞといった力強い腕で、それぞれの櫂(かい)をつかんだ。

(コメディー・フランセーズのロイック・コルブリの朗読は、フランス語の詩の魅力を十分に感じさせてくれる。)
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芥川龍之介 「羅生門」 悪の花

芥川龍之介の「羅生門」は、『今昔物語』の「羅城門の上層に登り死人を見たる盗人の語」を物語の骨格として作られていて、火事や地震や飢饉が続き、荒れ果てた平安時代末期の京都を舞台にし、死体の積み重なる羅生門の上で、行き場を失った下人が哀れな老婆から着物を剥ぎ取り立ち去っていく話。

自分が生き残るためにはどんな悪事を犯してもしかたがないと決意する男と、死んだ女の髪を抜き、鬘にして売ろうという醜い老婆の姿からは、暗く陰惨なイメージしか浮かんでこない。

そんなあらすじを追うだけで、人間のエゴイスム、善悪の判断基準の相対性、下人の心理の変化といった主題を考える前に、芥川がなぜそんな醜悪な世界と人間を描いたのかという疑問が自然に浮かんでくる。

その問いについて考える上で参考になるのは、芥川の『今昔物語』のについての考察。その中では、『源氏物語』の美との対比が論じられている。

 『今昔物語』の芸術的生命は生まなましさだけには終わっていない。それは紅毛人(こうもうじん)の言葉を借りれば、brutality(野性)の美しさである。あるいは優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。(中略)
 『源氏物語』は最も優美に彼等の苦しみを写している。(中略)『今昔物語』は最も野蛮に、— あるいはほとんど殘酷に、彼等の苦しみを写している。僕等は光源氏の一生にも悲しみを生じずにはいられないであらう。(中略) が、『今昔物語』の中の話(中略)には、何かもつと切迫した息苦しさに迫られるばかりである。
(「今昔物語鑑賞」http://yab.o.oo7.jp/kon.html 読みやすくするために多少字句を変更した。以下同。)

『源氏物語』の優美さが「源氏物語絵巻」の中で見事に映像化されているとすると、『今昔物語』的な「brutality(野性)の美しさ」は、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」を通して後世の人々に伝えられてきたといってもいいだろう。

様々な悪行によって地獄に落ちた人々や飢餓に苦しむ人々の描かれた絵画は、優美な宮廷の貴族たちを描いた絵巻とは正反対の印象を与える。
しかし、それにもかかわらず、日本の国宝に指定されていることからもわかるように、美的価値が認められてきた。

芥川龍之介が、こうした「野生の美」を大正時代に甦らせる際、念頭に置いたのではないかと考えられる詩集があった。それは、シャルル・ボードレールの『悪の華』。
その詩集の中では、一般的に美しいと考えられるテーマではなく、悪徳や醜悪さが歌われ、新しい時代の美が逆説的な姿で表現された。

ここでは、最初に、目を背けたくなるような荒れ果てた世界に目を向け、次に、下人が悪を決意するまでの心的過程を辿ってみよう。その心的変化をもたらすのは猿のような老婆だが、彼女こそが醜さと美の関係を転換させる鍵でもある。

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芥川龍之介 「鼻」 心理学と写生文 

芥川龍之介が大正5(1916)年に発表した「鼻」を読むと、現在であれば、コンプレックスの話だと誰もが思うだろう。

鼻の長いことがコンプレックスの原因になった男が主人公。彼の行動の心理が、綿密に理論立てて分析され、さらに、彼を笑いものにする人々の行動と心理も付け加えられている。

本文はあおぞら文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42_15228.html

朗読もyoutubeにアップされている。(約23分)

「鼻」について、芥川はあるメモの中で、「僕は鼻で身体的欠陥のためにたえずvanityの悩まされている苦しさを書かうとした。(中略)僕はあの中に書きたくもない僕の弱点を書いている」と告白している。

その一方で、夏目漱石がこの短編小説を賞賛した手紙(大正5(1916)年2月19日)の中で指摘したのは、素材の新しさ、文章の的確さ、そして、「自然そのままの可笑味(おかしみ)」についてだった。

龍之介と漱石によって提示された異なる視点を頭に置きながら、「鼻」について考えていこう。

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ネルヴァル 「ミルト」 Nerval Myrtho 今を永遠に

「ミルト(Myrtho)」はネルヴァルの中編小説集『火の娘たち(Les Filles du feu)』(1854)の最後に挿入された「幻想詩篇(Les Chimères)」の中のソネット(4/4/3/3の14行で構成される詩)。

「幻想詩編」は、ネルヴァルの精神が混乱し、彼自身の言葉を使うと、「ドイツ人なら超自然主義と呼ぶような夢想状態で」創作されたために、理解が難しいと考えられることが多い。
「最後の狂気は自分を詩人だと思い込んでいること」という告白らしい言葉を残しているのだから、ますます、「幻想詩編」の詩句が混沌としていると信じられてきた。
確かに、読んですぐに理解でき、詩としての味わいを感じられる、ということはないだろう。

しかし、先入観を持たずに読んでいると、分かりにくさの理由は精神の混乱によるのではないことがわかってくる。理解を困難にしている第一の理由は、わずか14行の詩句に、地理、神話、宗教、歴史などに関する知識が埋め込まれていることから来る。
実際、ネルヴァルは博識な詩人であり、各種の豊かな知識を前提として創作を行った。しかも、彼と同じように博識な読者を煙に巻き、面白がるところがある。
「幻想詩編」は、「ヘーゲルの哲学ほどではないが理解が難しく、しかも、解釈しようとすると魅力が失せてしまう。」とネルヴァルが言うのも、皮肉とユーモアの精神からの発言に違いない。

「ミルト」の場合には、ポジリポ、イアッコス、ヴェルギリウスなどにまつわる知識が、ネルヴァル独自の連想を呼び起こし、一見混沌とした世界を浮かび上がらせる。

しかし、その一方で、詩の形式に関しては、非常にバランスが取れ、古典主義的な抑制がなされている。
12音節の詩句(アレクサンドラン)は、基本的に6/6で区切れ、リズムが均一に整えられている。
韻の形は、2つの4行詩(カトラン)では、ABBA ABBAで、2つの音。
enchanteresse – tresse – ivresse – Grèce / brillant – Orient – souriant – priant
3行詩(テルセ)に関しても、CDC DDCで、こちらも2つの音だけ。
rouvert – couvertvert / agile – argile – Virgile

その上、韻となる母音の前後の子音や母音も重複し(rime riche)、声に出して読んでみると、それらの単語が互いにこだまし、豊かに響き合っていることがはっきりとわかる。

このように、「ミルト」の詩句は安定したリズムと豊かな音色で輪郭が明確に限定されていて、狂気による混乱などどこにもない。
朗読を聞くか、あるいは自分で声に出して読んでみると、単調なリズムを刻む中、心地よいハーモニーが奏でられていることを実感できる。

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