ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によるボードレールの散文詩「髪の中の半球」の翻訳 Lafcadio Hearn « A Hemisphere in a Woman’s Hair »

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで新聞記者をしている時代、フランス文学の翻訳にも興味を持ち、ボードレールの散文詩の翻訳などもしていた。

1883年12月31日発行の「タイムズ・デモクラット(Times Democrat)」紙に、« ボー ドレールからの断片(Fragments from Baudelaire) »という記事があり、ボードレールの散文詩4編の翻訳が掲載されているが、その著者(訳者)がハーンであると推定されている。

フランス語を日本語に訳すのとは違い、英語の翻訳であれば、フランス語の構文はほぼ保つことができる。そうした中で、どのような変更が加えられたのか見ていくのは、ハーンの文学観を知る上で大変に興味深い。
ここでは、「髪の中の半球(Un Hémisphère dans une chevelure)」の原文と英語訳を対照しながら読んでみよう。

Un Hémisphère dans une chevelure

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

意味や読解については、以下の項目を参照。
ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

A Hemisphere in a Woman’s Hair

Ah! let me long, long breathe the odor of thy hair; let me plunge my whole face into the rippling of thy locks, even as a thirsty man plunges his face into the waters of a spring. Let me shake thy tresses with my hand, as one shakes a perfumed handkerchief, as one memories from them into the air around me.

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ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

散文詩「髪の中の半球(un hémisphère dans une chevelure)」は、韻文詩「髪(La Chevelure)」をボードレールが書き換えた作品だと考えられている。

実際、「髪の中の半球」が最初に発表された時、題名は韻文詩と同じ「髪(La Chevelure)」だった。さらに、韻文詩は7つの詩節で構成されるが、散文詩にも7つの段落がある。その内容も対応する部分があり、同じ単語が使われていたりもする。

従って、「髪」を下敷きにしながら「髪の中の半球」を読んでいくと、ボードレールが散文詩というジャンルをどのようなものとして成立させようとしていたのかが、わかってくる。

韻文詩「髪(La Chevelure)」はこのように始まる。

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !     おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !     おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure    恍惚! 今宵、暗い寝室を、
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,    この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir    この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ

散文詩「髪の中の半球」では、韻文詩の最初の2行及び3行目の最初に置かれた「恍惚(Extase !)」を含め、感嘆詞で綴られる部分が省かれる。
そして、「君の髪(tes cheveux)」の「香り(l’odeur)」を嗅ぎ、それを「揺する(agiter)」ことで、「思い出(souvenirs)」を掻き立てるという、具体的な行為から出発する。

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

髪の中の半球

 吸い込ませておいてくれ、長い間、長い間、君の髪の香りを。そこに顔をすっぽりと沈ませておいてくれ、泉の水で喉を潤す男のように。その髪をこの手で揺らさせておくれ、香りのいいハンカチを振るように。思い出を空中に振りまくために。

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ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ 

愛する女性の髪に顔を埋め、恍惚とした愛に浸る。「髪(La Chevelure)」と題された韻文詩で、ボードレールはそんな官能的な愛を歌いながら、いつしか読者を「思い出というワイン(le vin du souvenir)」で酔わせていく。そして、その過程が、官能の喜びから精神の恍惚への旅として描かれる。

「髪」は、7つの詩節から構成される。
それぞれの詩節は、12音節の詩句が5行から成り、全ての詩節の韻はABAAB。
12音節の切れ目(césure)は6/6と中央に置かれることが多く、詩全体が非常に整った印象を与える。

La Chevelure

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir

「髪」

おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
恍惚! 今宵、暗い寝室を、
この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

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ベルクソン 直感と持続 Bergson intuition durée

1859年に生まれ、1941年に亡くなったアンリ・ベルクソン(Henri Bergson)は、19世紀後半に起こった世界観の大転換に基づきながら、「現実」や「私」をそれ以前とは違った風に認識する独自の哲学を展開した。

ここでは、『形而上学入門(Introduction à la métaphysique)』(1903)の中から3つの断片を選び、「直感(intuition)」、「私(moi)」、「持続(durée)」に関する思索を検討し、ベルクソンが私たちに何を教えてくれるのか考えていく。

私たちが物事を理解する時、多くの場合、対象を「分析(analyse)」することで様々な要素を探り出し、それらを総合して理解に達しようとする。

それに対して、ベルクソンは、どんなに多数の要素を総合しても対象自体には決して達することがないと考える。例えば、一秒を60足せば一分になると思ってしまうが、一秒と次の一秒の間には必ず断絶があり、決して流れにはならない。一分を流れとして捉えるためには、「直感(intuition)」によって全体を一気に感じ取るしかない。

(1) Nous appelons ici intuition la sympathie par laquelle on se transporte à l’intérieur d’un objet pour coïncider avec ce qu’il a d’unique et par conséquent d’inexprimable.
(2) Au contraire, l’analyse est l’opération qui amène l’objet à des éléments déjà connu, c’est-à-dire communs à cet objet et à d’autres.

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メルロ=ポンティ 『目と精神』 Merleau-Ponty L’œil et l’esprit 内面と外界の関係

モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の現象学は、身体と精神、外界と内面、客観と主観といった二元論的な思考に基づく対立を回避し、二項間の相互関係を解明しようとした点で、19世紀後半から始まった世界観の大転換の流れの中に位置づけられる。

そうした彼の思想は大変に興味深いのだが、難解な言葉で語られているため、理解するのが難しいことが多い。
ここでは、セザンヌの絵画について究明することを目的に書かれた『目と精神(L’œuil et l’exprit)』から二つの断片を選び、メルロ=ポンティの思想を探ってみよう。

(1) L’animation du corps n’est pas l’assemblage l’une contre l’autre des parties — ni d’ailleurs la descente dans l’automate d’un esprit venu d’ailleurs, ce qui supposerait encore que le corps lui-même est sans dedans et sans « soi ».
(2) Un corps humain est là quand, entre voyant et visible, entre touchant et touché, entre un œil et l’autre, entre la main et la main se fait une source de recroisement, quand s’allume l’étincelle du sentant-sensible, quand prend ce feu qui ne cessera pas de brûler, jusqu’à ce que tel accident du corps défasse ce que nul accident n’aurait suffi à faire… (chapitre II)

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ポール・クローデル 「日本の魂を一瞥する」  Paul Claudel « Un regard sur l’âme japonaise » 日本の2つの美について

ポール・クローデルは1921年から1927年まで日本にフランス大使として滞在し、日本の芸術、文学、文化について様々な考察を行った。
その中でも、1923年7月に日光で行った講演「日本の魂を一瞥する(Un regard sur l’âme japonaise)」は、日本文化についてとても興味深い内容を含んでいる。

この講演で語られた日本の2つの美については、すでにこのブログで扱ったことがある。
クローデルと日本の美 Paul Claudel et la beauté japonaise

今回は、同じ箇所について、もう少し別の視点からアプローチしてみたい。


日本の美に関して、最初に言及されるのは、華やかな美。クローデルは日光の生徒たちに次のように語り掛ける。

C’est ce sentiment de révérence pieuse, de communion avec l’ensemble des créatures dans une bienveillance attendrie, qui fait la vertu secrète de votre art. Il est frappant de voir combien dans l’appréciation des œuvres qu’il a produites, notre goût est resté longtemps loin du vôtre.

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奈良・長谷寺を詠うポール・クローデル Paul Claudel chante le temple de Hasé à Nara

ポール・クローデルは詩人・劇作家であるが、フランス大使でもあり、1921(大正10)年11月から1927(昭和2)年2月まで、休暇の期間を除くと約4年半、日本に滞在した。
その間、日本の文化や心性に強い親しみを持ち、日本の芸術家たちと交わり、書籍からも多くを学び、日本に関する著作、劇作、詩などを数多く執筆したのだった。

1926(大正15)年5月には、約2週間の日程で西日本の各地を訪れた。その中でも奈良の長谷寺には強い印象を受けたらしく、『百扇帖(Cent phrases pour éventails )』の中には、長谷寺関係の素晴らしい短詩がいくつか残されている。

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マラルメ 「もう一つの扇 マラルメ嬢の」 Mallarmé « Autre éventail de Mademoiselle Mallarmé »

19世紀後半には扇を持つ女性の姿が印象派の画家たちによって数多く描かれたが、ステファン・マラルメは詩の中で扇を取り上げ、扇の動きを詩的創造の暗示として描いた。

1884年に発表された「もう一つの扇 マラルメ嬢の」では、語りの主体は、娘が手に持つ扇。
マラルメ嬢は、午後が深まり太陽も傾いてきた頃、扇の風にあたりながら、ゆったりとした気分で扇の言葉に耳を傾ける。

「もう一つの扇 マラルメ嬢の」は、1行が8音節からなり、4行からなる詩節が5つ、テンポよく続く。その音楽は美しい。
その一方で、扇の言葉は人間の言葉ではない。意味を理解するには少し時間がかかる。

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエット その8」 Verlaine « Ariettes oubliées VIII » 倦怠のおぼろげな風景

Daubigny La Neige

風景を描くことが、人の心の表現になる。日本の和歌ではそれはごく当たり前のこと。
しかし、人間と自然がそれほど親密な関係にないヨーロッパでは、擬人法という形で人間の心を無生物に投影するといったやり方をしないと、景物が心模様を表現することはない。

ところが、そうした中にも例外的な存在はいる。ポール・ヴェルレーヌだ。
例えば、「忘れられたアリエット」の8番目の詩では、冬の風景が詩人のアンニュイな心持ちを伝えている。
詩句の音節数は5。5/7のリズムに馴染んでいる日本語母語者には、さらに親しみやすく感じられる。

Ariettes oubliées VIII

Dans l’interminable
Ennui / de la plaine
La neige incertaine
Luit comme du sable.

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古池や 蛙飛び込む 水の音 —— 芭蕉の捉えた永遠の瞬間

世界中で最も知られている俳句は、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」だと断言できるほど、この俳句はよく知られている。
そして、句の解釈としては、蛙が池に飛び込む水の音がはっきりと聞こえるほど、古い池の辺りは静かでシーンとしている、そうした静寂を捉えたもの、とされることが多い。

それに対して、長谷川櫂は『古池に蛙は飛び込んだか』の中で、次のような解釈を提示した。

ある春の日、芭蕉は蛙が水に飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。すなわち、古池の句の「蛙飛び込む水のおと」は蛙が飛び込む現実の音であるが、「古池」はどこかにある現実の池ではなく芭蕉の心の中に現れた想像の古池である。
とすると、この句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味ではなく、「蛙が飛び込む水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」という句になる。

さて、このとき、芭蕉は坐禅を組む人が肩に警策(きょうさく)を受けてはっと眠気が覚めるように、蛙が飛び込む水の音を聞いて心の世界を呼び覚まされた。いいかえると、一つの音が心の世界を開いたということになる。

この結論だけ読むとわかりづらいかもしれないが、長谷川櫂の解説をたどって理解すると、芭蕉が創造した新しい俳句の世界=「蕉風」とは、日本的な感性を5/7/5の言葉のリズムの中に凝縮したものであることがわかってくる。

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