ランボー 「花々」 Arthur Rimbaud « Fleurs » ランボー詩学の精髄:初めに言葉ありき

「花々(Fleurs)」は、ランボー詩学の精髄を理解させてくれる散文詩。

詩人は現実に存在する何らかの花を描くのでも、それについて語るのでもない。

彼の詩学の理解に有益な韻文詩「アマランサスの花の列(Plates-bandes d’amarantes…)」において、詩人は現実から出発し、言葉が現実から自立した世界へと移行した。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

散文詩「花々」になると、現実などまったくお構いなしに、ただ言葉が連ねられていく。
読者は、勢いよく投げかけられる言葉の勢いに負けず、連射砲から繰り出される言葉たちを受け取るしかない。
ランボーがどんな花を見、何を伝えようとしたかなどを考えるのではなく、言葉そのものが持つ意味を辿るしかない。
そうしているうちに、言葉たちが生み出す新しい世界の創造に立ち会うことになる。

正直、「花々」を一読して、何が描いてあるのか理解できない。まずは、文字を眼で追いながら朗読を聞き、言葉の勢いを感じてみよう。

Fleurs

D’un gradin d’or, – parmi les cordons de soie, les gazes grises, les velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au soleil, – je vois la digitale s’ouvrir sur un tapis de filigranes d’argent, d’yeux et de chevelures.
Des pièces d’or jaune semées sur l’agate, des piliers d’acajou supportant un dôme d’émeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines verges de rubis entourent la rose d’eau.
Tels qu’un dieu aux énormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

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ボードレール 群衆 Baudelaire « Les Foules » 都市 群衆 モデルニテの美

Edouard Manet, La Musique aux Tuileries

ある時代に当たり前だったことが、ある時から当たり前ではなくなることがある。そして、新しい当たり前が出来上がると、前の時代に当たり前だったことが何か忘れられてしまう。

現代の都市に住む私たちにとって、隣人さえ知らないことがあり、同じ町内の人を知らないなど当たり前すぎる。町内の人をみんな知っている方が驚きだ。

では、小さな村に住んでいるとしたら、どうだろう。今でもみんな知り合いで、会えば必ず挨拶する。一言二言言葉を交わし、家族のことを聞いたりするかもしれない。人間的な触れあいのあるコミュニティ。暖かくもあれば、鬱陶しくもある。
その中に知らない人間が入ってくれば、異邦人であり、侵入者と見なされる。未知は恐怖の対象になる。

Honoré Daumier, Les Trains de plaisir

フランスでは18世紀末の大革命の後、急激に産業化が進み、都市に大量の人々が流入した。パリでは人口が50万人から100万人に倍増したといわれている。

そうした中で、「当たり前」の大変革が起こった。
自分の住む場所が、「知り合いの町」から「未知の人々の都市」へと変化し、一人一人が「特定の名前を持った個人」から「不特定多数で匿名の存在」にすぎなくなる。

21世紀には当たり前の匿名性が、19世紀前半から半ばにかけては驚くべきことだった。だからこそ、作家や画家たちは、新しい事態に直面し、驚き、作品のテーマとした。
ホフマン、バルザック、トマス・ド・クインシー、エドガー・ポー、ドーミエ、コンスタンタン・ギーズ等々。

1861年、シャルル・ボードレールも、彼らに倣い、パリという大都市にうごめく人々を、「群衆(Les Foules)」のテーマとして取り上げた。群衆という言葉自体、非人称で誰とは同定できない、不特定多数の人間の集合体を指す。
ボードレールはパリの町を歩き回り、群衆の中に紛れ込む。

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ボードレール 2021年4月9日 200歳の誕生日

2021年4月9日はシャルル・ボードレールの200歳の誕生日。
1821年4月9日にパリで生まれたボードレールは、1867年8月21日パリで死んだ。しかし、彼の詩は21世紀になってもフランスで最も読まれている詩人でもあり、現在の美意識にも大きな影響を及ぼし続けている。

古典的な美が均整と調和をベースとし、いつの時代に誰が見ても美しいと感じるとしたら、ボードレールが生み出した「モデルニテ」の美は、モードであり、時代とともに変化し、前の時代には醜いものと見なされていたかもしれず、次の時代には時代遅れと感じられるかもしれない。

しかも、モデルニテの美は、それ自体を説明する原理を含んでいる。自己表現しながら、自己批評する。完成品であると同時に、パフォーマンスでもある。

現在ネット上で大量に流されている映像は、しばらく前にはとても美の基準には入らないものだった。むしろ、醜いと見なされたもの。それが、それまでの美とは違う新たな美として自己主張を始め、美として受け入れられる。
そうした美の源流にあるのが、ボードレールの美学だといえる。

2021年4月9日のQuotidienでは、アンブル・シャリュモーのプレゼンテーションがあり、次にフランスの文学研究者として一般にもよく知られた学者アントワーヌ・コンパニョンのインタヴューが放送された。

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星の王子さま フランスでの出版から75年

アントワーヌ・サン=テグジュペリの『星の王子さま』がアメリカで最初に出版されたのは、第2次世界大戦がまだ続く1943年。その後、1946年4月6日にフランスでも出版された。

2021年4月6日放送のQuotidienでは、ちょうど出版後75年ということで、『星の王子さま』の人気の秘密が簡単に紹介されている。

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アルチュール・ランボーの死後130年 Arthur Rimbaud, 130 ans de mystères 

アルチュール・ランボーはフランスの詩人の中で、最もよく知られ、読まれている詩人だろう。2021年は彼の死後130年。
ジャン・ルオー著『惑星ランボー(La Constellation Rimbaud)』(グラッセ書店)を紹介する番組のコーナーで、ランボーの母親を知る人の姿やランボーの旅行カバンなどを見ることができる。

Arthur Rimbaud, 130 ans de mystères

À l’occasion du 130ème anniversaire de la mort d’Arthur Rimbaud, les éditions Grasset viennent de publier « La Constellation Rimbaud ». Signé Jean Rouaud, ce livre cherche – comme beaucoup avant lui – à percer le mystère autour du poète. Car, si Rimbaud est un auteur reconnu et admiré, il recèle encore de très nombreux secrets. Il est même l’un des auteurs sur lequel on sait finalement le moins de choses. Ce qui participe à la fascination autour de son nom. 

ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 6/6 「私」の役目

ネルヴァルは、「オーレリア」の語り手に、「私の役目は、神秘主義的カバラの術で、宇宙の調和(ハーモニー)を回復させること」だと語らせたことがある。
精神の混乱に由来するらしい数多くの夢幻的な映像を描いた後、こうした主張を目にすると、ネルヴァルは誇大妄想的な狂気に取り憑かれていたのではないかと思いがちになる。

その一方で、彼の筆から流れ出てくる文章は穏やかで、美しい。しかも博識で、膨大な知識を前提とする数多くの記述が見られる。そして、ポエジーを強く感じさせる。

その二つの傾向は決して矛盾するものではない。
ネルヴァルが試みたのは、「人間の魂の研究」。
魂は謎に満ち、自分でもわからないことがたくさんある。心の思いはしばしば混乱する。そこに「調和(ハーモニー)」を回復させるのが「私の役目」だと意識したとすれば、それは決して馬鹿げたことではない。
しかも、ハーモニーを音楽的な次元で捉えれば、星と星が動くことで奏でられる「天球の音楽」とも捉えられるし、調和の取れた心地よい調べともいえる。言葉のハーモニーは、ポエジーを生み出す源泉となる。

ここでは、ネルヴァルがどのように「私の役目」を果たしたのかを見ていこう。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 5/6 変容する美

ネルヴァルの美学のベースは、若い頃に親しんだドイツの詩(バラード)が発散する「超自然主義」と、16世紀フランス詩の持つ「音楽性」。
「超自然主義」に関しては、現実と超現実とを強く対比させることで、現実を超えた世界への想いをより強くする。
「音楽性」に関しては、フランスの古い民謡からも多くを吸収すると同時に、「何を」ではなく「どのように」に重きを置き、アレンジに創作と同じ価値を見出す。

こうした美学を展開したのが、『東方紀行(Voyage en Orient)』に収められた「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語(Histoire de la Reine du matin et de Soliman, prince des génies)」。その作品は建築家アドニラムを主人公にした芸術家神話ともいえ、ネルヴァルは美学について詳細に語っている。

その後、「塩密売人(Les Faux Sauliers)」において、「私」を語りの中心に据え、抒情性を生み出す文体を開発、晩年の傑作を生み出していく。

ここでは、アドニラムを中心に描かれる三人称の美から、「私」の主観を交えた美への変遷を辿ることにする。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 4/6 幻滅からポエジーへ

ネルヴァルは現実に直面すると、しばしば幻滅を感じる。子供時代から温めてきた夢が、現実を知ることで粉々になってしまうと言う。
それにもかかわらず、彼は常に現実に起こる出来事に興味を持ち、ヨーロッパだけではなく、地中海の向こう側の国々へも旅行をした。
そして、現地で見聞きしたことをもとにして紀行文を書いた。
実際、1840年代のネルヴァルの執筆活動の中心は劇評と旅行記だった。

なぜ幻滅をもたらす現実にあえて直面し、夢の世界を壊してしまうのか?

ネルヴァルは、というか、彼が生きたロマン主義の時代は、基本的にプラトニスム的思考を基盤としていた。
現実世界では、全てのものが時間の流れと共に消滅してしまう。
その儚さに対して、永遠に続く存在を求めるのがロマン主義的心情。
永遠の存在を、プラトンのイデアのように天上に置くこともあれば、心の中に置くことも、異国に置くことも、過去に置くこともあった。狂気や麻薬によって引き起こされる錯乱にさえ、現実と対立する(一瞬の)永遠を求めた。

そうした中で、ネルヴァルの戦略は、現実への失望感を大きくすればするほど、現実に属しないもの、彼が好んだ言葉を使えば、「超自然主義(surnaturalisme)」、「宗教感情(sentiment religieux)」が魅力を増すというものだった。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 3/6 「私」のポエジー

ネルヴァルにはオリエントやドイツ、オランダなどに関する紀行文が数多くあり、多くの場合、「私」を主語にした一人称の文を書いてきた。

1850年になると、訪問先は外国ではなく、フランス、しかも彼が幼年時代を過ごしたヴァロワ地方になる。
そして、同時代の社会の出来事や風物だけではなく、子ども時代の思い出を語り始める。

思い出を語ることは、旅行先での自分の体験を語る以上に、自分の内面を語ることになる。
そして、そのことが、ネルヴァル的「私」のポエジーを生み出すことに繋がっていく。

ネルヴァルにおいて、「私」について語ることで、どんな風に詩情が生まれるのか?
そのメカニスムを、1850年に発表された「塩密売人たち(les Faux-Saulniers)」を通して跡づけてみよう。
(その作品は『火の娘たち』に収められた「アンジェリック」にかなりの部分が再録されているので、ある程度までは翻訳で読むことが可能。)

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 2/6 アレンジの美学

ジェラール・ド・ネルヴァルは一度だけ「美学(esthétique)」という言葉を使ったことがある。
その美学とは、「アレンジ(arrangement)」に価値を置いたもの。彼の美学では、アレンジが「構成(composition)」と同列に置かれる。

アレンジとは、本来、配置や配列をすること。そこから発展して、すでに存在する原型の配置や配列に手を加え、最初とは違う雰囲気に作り替えることを意味する。
日本語でも、音楽に関しては、原曲をアレンジするといった表現がしばしば使われる。

ネルヴァルの考えで興味深いのは、アレンジ(編曲)と創作や作曲を同じものと見なすことにある。
言うなれば、編曲した曲を、原曲とは別の、新しい曲と見なす。
独創性という視点から見れば、盗作を堂々と認めることになってしまう。

ネルヴァルは、アレンジの美学を通して何を考え、どのような作品を生み出そうとしていたのだろう。

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