フロベール『ボヴァリー夫人』 レアリスムを超えて

フロベールの『ボヴァリー夫人』は、レアリスム小説の傑作と言われる。しかし、その素晴らしさはなかなか理解されないらしく、フランスの高校の先生たちも教えるのに苦労しているらしい。
あらすじだけ追えば、平凡な夫に愛想を尽かした妻が、不倫と浪費の末に、自殺する話。しかも、描写が長く、話がなかなか進まない。なぜこれが傑作なのだろうと思う人も多いだろう。

そこで、アウエルバッハの『ミメーシス』の一節を参考にしながら、レアリスムとは何か、『ボヴァリー夫人』はその中でどのような特色があり、素晴らしさはどこにあるのか、探っていくことにする。

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ピエール・ド・ロンサールのシャンソン ルネサンス期の音楽

16世紀のプレイアッド詩派の詩はしばしばメロディーをつけて歌われた。

ピエール・ド・ロンサールの「女性を飾る自然」« Nature ornant la dame »。
ポリフォーニーで歌われている。

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエッタ その1」  Verlaine « Ariettes oubliées I » 日本的感性とヴェルレーヌの詩心

「忘れられたアリエッタ その1」は、ヴェルレーヌの詩の精髄がそのままの形で詩になっている。この詩を理解することで、「ヴェルレーヌ的」とは何か、そしてなぜ彼の詩が日本でこれほど愛されているのか、理解することができる。

「忘れられたアリエッタ」と題された9つの小さな詩は、『言葉なきロマンス(Romances sans paroles)』に収録され、1874年に出版された。

1874年は、第一回印象派展が開催され、モネの「印象・日の出」から、印象派という名称が生まれた年。
印象派の画家たちからの直接的な影響はないとしても、同時代的な表現法の類似が、ヴェルレーヌの詩との間に見出されることは確かである。

ヴェルレーヌの生涯でいえば、ランボーとのイギリスでの生活が破綻し、ブリュッセルのホテルで彼の手を銃で撃ち、監獄に入れられていた時期。
その頃の詩作はランボーとの相互的な影響作用で、音楽性がもっとも強く打ち出されていた。「何よりも先に音楽を」と歌った「詩法」が書かれたのも、1874年。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/

「詩法」の中で、詩句を音楽的にするためには奇数の音節数が大切だとしている。「忘れられたアリエッタ その1」は、全て7音節の詩句からなり、奇数音節が実践されている。

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ランボー 「アマランサスの花の列」 Rimbaud « Plates-bandes d’amarantes… » 疾走する想像力と言葉の錬金術

1872年、ランボーはヴェルレーヌと二人、パリから逃れてベルギーに向かう。その旅の間に二人が見た物、感じたことは、ベルギーを対象にした二人の詩の中に定着されている。

ランボーの「アマランサスの花の列」(Plates-bandes d’amarantes…)は、そうした詩の中の一つ。
その詩には、大通りの様子らしいものが描かれているのだが、ランボーの詩の言葉は、現実から飛び立ち、疾走する。

詩としての出来栄えに関しては、それほど高く評価できるものではないかもしれない。しかし、ランボーの詩的想像力の動きを理解するためには、最適の詩だといえる。

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ネルヴァル 「黄金詩篇」  ピタゴラスと共に Nerval, « Vers dorés », avec Pythagore

ネルヴァルの「黄金詩篇」は、エピグラフにピタゴラスの詩句とされる言葉を挙げ、ピタゴラス教団の教えを唱えるお題目のような雰囲気を持っている。

ピタゴラスという名前を聞くと、ピタゴラスの定理を思いだし、数学者だと思うかもしれない。三角形の底辺の2乗は、他の2辺の2乗の和に等しいという、誰もが知る定理。

しかし、ピタゴラスは、万物は全て数で成り立つと唱えた古代ギリシアの哲学者で、秘儀的な宗教教団の中心人物でもあった。その教団は、ピタゴラス派と呼ばれる。
「黄金詩篇」はその教団の信条を詩句にしたもの。

ネルヴァルは、最初にこの詩を発表した時、「古代の思想(« Pensée antique »)」という題名を与えていた。この「古代」は「近代」と対立し、人間の思考の二つの型を連想させる。一方は合理的思考。もう一方は理性的理解を超えた思考。

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ネルヴァル 「ファンテジー」 Nerval « Fantaisie » 音楽と絵画とデジャ・ヴュと

ネルヴァルの「ファンテジー」は、音楽性と絵画性が絶妙に組み合わされ、ロマン主義的な美が見事に表現されている。

詩句は音楽性に富み、朗読すると口にも耳にも心地よい。

喚起される情景は、古きフランスの光景であり、「詩は絵画のように、絵画は詩のように」(Ut pictura poiesis)というホラティウスの言葉を実現している。
それと同時に、一つのメロディーから過去の光景が一気に描き出される様は、プルーストのマドレーヌと同じように、記憶のメカニスムが作り出す魅力を感じさせてくれる。

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フロベール 『ボヴァリー夫人』冒頭 その3 Flaubert, Madame Bovary, incipit, 3/3

帽子の描写で物語の流れが中断した後、会話の文章がきっかけとなり、新入生の名前のエピソードまで一気に進む。

— Levez-vous, dit le professeur.
Il se leva ; sa casquette tomba. Toute la classe se mit à rire.
Il se baissa pour la reprendre. Un voisin la fit tomber d’un coup de coude, il la ramassa encore une fois.
— Débarrassez-vous donc de votre casque, dit le professeur, qui était un homme d’esprit.
Il y eut un rire éclatant des écoliers qui décontenança le pauvre garçon, si bien qu’il ne savait s’il fallait garder sa casquette à la main, la laisser par terre ou la mettre sur sa tête. Il se rassit et la posa sur ses genoux.

「立ちなさい。」と先生が言った。
彼は立った。帽子が落ちた。クラス中が笑い始めた。
彼は身をかがめて拾った。隣の生徒が肘で叩いて、帽子を落とさせた。彼はもう一度拾った。
「ヘルメットを片付けなさい。」と先生。彼は気の利いた人なのだ。
生徒たちが大爆笑し、哀れな少年は混乱した。帽子を手に持っていたらいいのか、床に置けばいいのか、頭に被っていればいいのか、わからなかった。もう一度腰掛け、帽子を膝の上に置いた。

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