長谷寺 日本の美

奈良県の初瀬(はせ)山の中腹にある長谷寺は、創建が8世紀前半と推定されるが、美しい姿を現代にまで伝えている。

日本の建造物の美の特色の一つは屋根にある。エアコンのついた現代の家と違い、かつての日本では湿度が一番の問題だった。そのために風通しのいい空間を作る必要があり、ヨーロッパの建造物のように壁を厚くするのではなく、装飾の中心は屋根に置かれたのだった。

屋根の美

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シュールレアリスムの忘れられた女性画家トワイヤン

シュールレアリスムの女性画家トワイヤンの作品を展示する« Toyen l’écart absolu»が、2022年3月25日から7月24日まで、Musée d’Art Moderne de Parisで開催されている。https://www.mam.paris.fr/fr/expositions/exposition-toyen

Le retour en grâce de Toyen, peintre aux multiples facettes
La peintre Toyen est l’une des figures du mouvement surréaliste. Elle a pourtant été complètement oubliée ces dernières années, malgré une œuvre aussi prolifique que géniale.
Le Musée d’Art Moderne de Paris lui consacre une grande exposition, de quoi la remettre à sa juste place : en pleine lumière. 

ドガ 生命の脈動を捉える「持続」の画家

エドガー・ドガは、オペラ座の踊り子を生き生きと描いた画家として、日本でもよく知られている。
彼の絵画の中のバレリーナたちは、本当に生きているように感じられる。
外から絵を眺めるのではなく、実際に会場に入った気持ちになり、舞台の上で彼女たちが踊る姿をその場で眺めると、息づかいまで聞こえてくる。

じっとしている姿が描かれているとしても、彼女たちの生命の動きが感じられ、自然に彼女たちの気持ちに共感している自分がいるのに気づく。

止まっているはずの絵によって、どうしてこれほどの「動き」が表現されるのだろうか。
その秘密を、ここではデッサンと構図という二つの面から探ってみよう。

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19世紀後半に活躍した芸術家たち ー 同じ年に生まれて

私たちが芸術作品や文学作品に触れるとき、普段はあまり画家や作家の生まれた年齢を考えることはないのだが、実は作品にとってかなり大きな要素になっている。
というのも、同じ世代に属していると、一つの時代の雰囲気の中で育ち、同じような教育を受けているからである。
小澤征爾と大江健三郎の対談集『同じ年に生まれて』に倣って、19世紀後半に活動の中心が位置する芸術家や作家たちを、出生年順に列挙してみよう。

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ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2

文学部の大学院生だった頃、文学の研究をして何の意味があるのだろうかと考えたことがあった。
そんなことが頭に浮かぶのはだいたい勉強が行き詰まっている時なので、教師や友人に問いかけたり、色々なジャンルの本を読んだりと、要するに真正面から研究に取り組まない時間を過ごすことになる。
とにかく、そんな風にしている中で、「研究を通して対象とする作品の面白さや価値を人に伝えること」という言葉を誰かに言われ、一つの答えとして納得した覚えがある。

最近、ドガに関する本(アンリ・ロワレット『ドガ 踊り子の画家』)に目を通している時、そんな思い出が急に頭に浮かんできた。
今までドガの絵画を面白いと思ったことがあるけれど、彫刻にはそれほど興味がなかった。しかし、最初のページに置かれた「14歳の小さな踊り子」の写真と、それに付けられたユイスマンスの言葉を見て、彫刻の素晴らしさに心を動かされ、初めて美を感じることができた。

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芸術鑑賞セラピー:美術館訪問を患者に処方する治療法

芸術が健康に及ぼす好影響は、体を動かして分泌される「快楽ホルモン」ドーパミンの量と同程度で、うつ症状、ストレス、不安等の緩和につながると、世界保健機関(WHO)も結論付けている。
「芸術は心身の健康に有益」という考えに基づき、医師が患者の健康回復を促進する治療の一環として、美術館への訪問を「処方」する治療法を紹介するニュース。

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ベルクソン 「生」の哲学

アンリ・ベルクソンは1859年に生まれ、1889年に発表した最初の著作『意識に直接与えられたものについての試論』から出発して、「生(vie)」を中心とした哲学を展開した。

その哲学は19世紀後半における世界観の大転換の流れに沿ったものであり、ベルクソンの生の哲学を知ることは、19世紀後半以降の新しい世界観を知るために非常に有益だといえる。しかし、彼の著作やそれらの解説書はかなり細かな議論が積み重ねられ、すぐに明快な理解に達することができないことが多い。

ここでは、文学や絵画など芸術を理解するという視点に絞り、ベルクソン哲学の核心と19世紀後半の世界観の大転換について考えてみたい。

ベルクソンの生の哲学は、時間に関する考察から始まった。
私たちは普通、時間を知りたければ時計を見る。夕方の7時に誰かと会う約束をすれば、会うことができる。時間は誰にも共通で測定可能な基準だと考えられている。
その一方で、退屈な時には時間はなかなか経たず、楽しい時にはアッと言う間に過ぎてしまう。そうした内的な時間は、個人によっても、その時々によっても感じ方が違い、長くなったり短くなったりする。

Dali Persistance de la mémoire

一般的には、時計の時間が科学的に正確な時間であり、内的な時間は主観的な感じにすぎないと考えられてきたし、現在でもそのように見なされる傾向にある。
それに対して、ベルクソンは、実感する時間こそが「実在するもの(le réel)」であると主張し、「持続(durée)」と呼んだ。
それは、「生(vie)」の途切れのない流れとも考えられる。

サルバドール・ダリの「記憶の固執」(1931)は、ベルクソンの言う持続の世界を実感させてくれる。

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ボードレール 「現代生活の画家」 Baudelaire Le Peintre de la vie moderne モデルニテについて — 生(Vie)の美学

1863年に発表された「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の中で、シャルル・ボードレールは、「モデルニテ(Modernité)」という概念を提示し、現代の美は「移り変わるもの」と「永遠性」の二つの側面からなるという説明をした。

 Il s’agit, (…), de dégager de la mode ce qu’elle peut contenir de poétique dans l’historique, de tirer l’éternel du transitoire.

問題は、(中略)、モードから、歴史の中でそのモードが含む詩的なもの全てを、一時的なものから永遠なものを、取り出すことである。

最も簡単な言い方をすれば、モデルニテとは、自分たちの時代の服や生活習慣など「すぐに変化してしまう現代的(モダン)な主題」を取り上げ、古代の美に匹敵する「普遍的で永遠の美」を作り出す、という美学だといえる。

この二重性を持つ美の概念は、「1846年のサロン」の最終章「現代生活の英雄性」においても言及されていた。

Toutes les beautés contiennent, comme tous les phénomènes possibles, quelque chose d’éternel et quelque chose de transitoire, — d’absolu et de particulier.

あらゆる美は、潜在的な全ての現象と同じように、永遠なものと束の間のもの、— 絶対的なものと個別的なものを内蔵している。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

では、1846年と1860年前後という二つの時期で、ボードレールの美意識に変化はなかったのだろうか?

こうした問題意識は、一般的な読者にとってはあまり意味がないと思われるのだが、少し専門的にボードレールについて調べてみると、どうしても気になってくる。

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エドゥアール・マネ 「エミール・ゾラの肖像」  物と人を等しく扱う絵画 — 何を措いても見ること —

私たちは花を見ると花だと思うし、人間を見れば人間だと思う。しかし、そのように認識することで、一本一本の花、一人一人の人間の具体的な姿に注目しなくなるようである。
それに対して、画家の目は、それぞれの対象の形態や色彩に注意が引かれるらしい。

エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」に関して、画家オディロン・ルドンの言った言葉が、そのことをはっきりと教えてくれる。

ルドン

ルドンはこの絵のエミール・ゾラを見て、「人間の性格の表現であるよりも、むしろ静物画」だと感じる。
私たちは直感的に、人間の形態があればそれを人間だと思う。しかし、画家はそれとは違う目を持つため、人と物の区別の前に、形と色に敏感に反応する。

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エドゥアール・マネ 「フォリー・ベルジェールのバー」 現前性の絵画

エドゥアール・マネ の 「フォリー・ベルジェールのバー」 は絵画の専門家だけではなく、哲学者や文学者たちの分析対象になることも多く、驚くほど数多くの言葉が費やされてきた。
その理由の一つは、カウンターの中央にいる女性と、後ろにある大きな鏡に写った彼女の背中や男性の位置が不自然なところにある。

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