ジョヴァンニ・ボルディーニ エレガントな美を追究した画家

ジョヴァンニ・ボルディーニ(Giovanni Boldini, 1842-1931)はイタリア生まれだが、主にフランスで活躍した画家。19世紀後半から20世紀前半にかけてパリが最も華やかだったベル・エポックと呼ばれる時代に、フランスだけではなく世界中のセレブたちの間で人気があり、彼の肖像画はエレガントな美の典型として広く受け入れられた。

その一方で晩年になるとやや時代遅れとみなされ、死後にはほぼ忘れられてしまう。美術史で取り上げられることもなく、評価もそれほどされない状況が続いていた。

ここでは、ボルディーニの追求したエレガントな美がどのようなものだったのか紹介しながら、なぜ彼の絵画が忘れ去られてしまうことになったのか考えてみたい。

そのきっかけとして、次の二つの質問を考えてみよう。
1)自分の肖像画を註文するとしたら、以下の6枚の絵を描いた画家の中の誰に頼みたいだろうか?
2)どの肖像画が最もエレガントだと思うだろうか?

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マリー・ローランサン 儚さを超えた美の画家

マリー・ローランサンは日本でとりわけ愛されている画家であり、アポリネールが「ミラボー橋」の中で彼女との失恋体験を歌った女性、さらには掘口大學の翻訳で知られる「鎮静剤(le Calmant)」を書いた詩人として、広く知られている。

Plus qu’ennuyée Triste.      退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
Plus que triste Malheureuse.   悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。

画家で絵本作家のいわさきちひろは、儚げな女性たちを淡いパステル調で描いたローランサンの絵画をとりわけ好んだという。

このローランサン的な美の世界は、少々甘ったるいと感じる人々がいるかもしれないが、単におぼろげで夢幻的というだけはなく、彼女が20世紀前半の絵画の様々な傾向を吸収し、その上で個性的な表現として結晶化したものに他ならない。

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モディリアーニ 幸福な美を求めた画家 

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)の肖像画や裸婦像は、一目見れば彼の作品だとわかるはっきりとした個性を持っている。その特色があまりにも強いため、モデルとなった人物やポーズの違いをのぞくと、どの絵も同じように見えるかもしれない。

しかし、1906年にイタリアからパリにやってきて、貧しい画家たちが集まるモンマルトルを中心に活動を始めた時から、1920年に亡くなるまでの間に描かれた作品を年代を追って見ていくと、かなり違っている。

例えば、1910年の「青いブラウスの女性」(下左)と1918年の「青い眼の女」(下右)。
どちらもブルーを基調にし、一人のほっそりとした女性が無地の壁あるいは扉の前に立っているという部分では共通しているが、2枚の絵画の美しさは随分と違っている。こう言ってよければ、「青い眼の女」の方がはるかにモディニアーニ的だ。

ここでは、そのモディリアーニ的な美とはどのようなものなのか、見ていくことにする。

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佐伯祐三 パリの詩情

佐伯祐三は、フランスに留学して絵画を学んだ日本人画家の中で、パリの街の詩情を最も美しく表出した画家といっていいだろう。

彼の描く数多くのパリを見ればすぐにわかるように、佐伯は決して観光名所となるような建物や場所を対象としなかった。彼の眼が引き寄せられ、彼の眼が捉えたのは、普段着のパリの街並みだった。

最初のパリ滞在は、1924年(大正13年)1月から1926年1月までの約2年。二度目の滞在は、1927年(昭和2年)8月から翌年8月に病死するまでの約1年。そんなわずか3年の滞在で、花の都としてのパリではなく、ごく当たり前の街並みの発する魅力を感じ取り、日本的な感性をとりわけ主張することなく、一人の画家としてパリの美を表現した佐伯祐三。
彼の描いたパリの絵画が私たちに伝えるのは、穏やかだが生き生きとした抒情性。こんな街並みの中を歩き、呼吸したいと、誰もが憧れるだろう。

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絵画のシュルレアリスム

シュルレアリスムは、20世紀前半、文学、絵画、演劇、映画などの分野で展開された芸術運動。日本で最もよく知られているシュルレアリスムの絵画は、サルヴァトール・ダリの「記憶の固執」だろう。

現実にはありえない事物や光景が描かれ、何を意味しているのかわからないが、そこに魅力を感じることもある、というのが、シュルレアリスム絵画の一般的な印象だと思われる。

しかし、絵画に関する書籍やネット上の解説等を見ると、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』に依拠したシュルレアリスムの定義は一致していても、具体的な絵画表現や、取り上げられる画家がまちまちで、調べれば調べるほどわからなくなってくる。

例えば、ピカソのシュルレアリスム時代とそうでない時代の絵画。両者とも写実的ではないが、何が描かれているかある程度わかるという点では共通している。
では、一方がシュルレアリスム絵画とみなされ、他方はその分類に属さないと考えられるのはなぜか? それほど明確な答えは得られない(と私には思われる)。

20世紀前半の絵画の潮流は多様で、フォビスム、ドイツ表現主義、キュビスム、素朴派、ナビ派、エコール・ド・パリ、未来派、ダダイスム、抽象絵画などが混在し、一人の画家がいくつかの表現様式を使い分けるということもあった。
そうした中で、シュルレアリスム絵画をどのようなものと考えたらいいのか? ここでは、原理的な側面と実際の表現に関して、少しだけ探ってみよう。

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ピカソ 常に新しい絵画を求めた画家

パブロ・ピカソ(1881-1973)は常に新しい美を追究し、次々に絵画の様式を刷新した、20世紀を代表する画家として知られている。

実際、彼の画風は、スペインにおける「修行時代」を経て、パリに進出してからもめまぐるしく変化した。「青の時代」「バラ色の時代」「キュビスムの時代(セザンヌ的、分析的、総合的)」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」「ゲルニカの時代」「ヴァロリスの時代」「晩年」といった区分けがなされることが多い。

ところが、この分類で気になることがある。
キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムは絵画の様式だが、それ以外の、青の時代とバラ色の時代は色彩、ゲルニカの時代は戦争の惨禍という絵画のテーマ、ヴァロリスは地名、晩年は人生の最後の期間であり、様式とは関係がない。
そこで、こんな疑問が生じる。本当にピカソは次々と作風を変化させたのだろうか?

その疑問を考えるために、彼のキャリアの最初から最後までの何枚かの絵画を、先入観なしで見てみよう。

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ポール・セザンヌ 色で持続する生命を捉えた画家

セザンヌはしばしば「近代絵画の父」と呼ばれ、フランス絵画の歴史の中で重要な位置を占めている。

しかし、サント・ヴィクトワール山のような風景画、リンゴなどを描いた静物画、肖像画、自然の中で多数の人間が水浴をする場面を描いた集合水浴図など、様々なジャンルのどの絵を見ても、最初はあまり美しいと思えないし、なにか不自然な感じが残る。

セザンヌが偉大な画家だと言われても、どこがいいのかよくわからない。ところが、彼の絵画の見方を学ぶにつれて、その素晴らしさが感じられるようになってくる。

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雪舟 水墨山水画 四季の情感と「造化の真」

雪舟等楊(せっしゅう・とうよう)は、1420年に現在の岡山県総社市で生まれ、1506年頃に亡くなった。
80年以上に及ぶその長い人生の中で、山水画、人物画、花鳥画など数多くの作品を描き、日本における水墨画の頂点に位置する存在の一人である。

彼は、幼い頃近くの寺に入り、10歳頃は京都の相国寺(しょうこくじ)に移り、禅の修行をしながら、周文(しゅうぶん)から水墨画を学んだ。そのことは、雪舟の水墨画のベースが、相国寺の画僧、如拙(じょせつ)から周文へと続く水墨画の伝統に基づいていることを示している。(参照:如拙 周文 水墨山水画の発展

1454年頃京都を離れ、山口に設けた雲谷庵(うんこくあん)を中心に活動を行い、1467年には明の時代の中国大陸に渡る。
そこで約3年間、各地を回って風景などのスケッチをすると同時に、南宋の画家、夏珪(かけい)や、明の浙派(せっぱ)の画家、李在(りざい)たちの水墨画から多くを学んだ。
この留学が雪舟の画風に与えたインパクトの大きさは、以下の3枚の作品を見比べると、はっきりと感じられる。

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如拙 周文 水墨山水画の発展

鎌倉時代に日本の禅僧が水墨で描いたのは、仏教や道教の教えを説く道釈画が中心だったが、室町時代になると、風景画が数多く描かれるようになる。

その中間点にあるといえる如拙(じょせつ)の「瓢鮎図(ひょう・ねん・ず)」と、水墨山水画の一つの頂点ともいえる周文(しゅうぶん)作と伝えられる「竹斎読書図(ちくさい・どくしょ・ず)」を見てみよう。
どちらも、画面の下に絵が描かれ、上には漢文が書かれた、”詩画軸”と呼ばれる形式の作品。

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可翁 黙庵 初期水墨画の始まり

日本の画家が水墨画を描くようになったのは14世紀前半、鎌倉時代後期から南北朝にかけてのことだった

鎌倉幕府は、京都に住む貴族たちの平安仏教(天台・真言)に対抗するため、宋から禅僧を積極的に招き、足利幕府も禅院を保護した。
また、各地の武将たちも、日本の禅僧を大陸に留学させ、禅を中心にした大陸の文芸と美術が数多く日本に移入された。
その結果、円覚寺を始めとする禅宗寺院が建てられ、水墨画も数多く輸入され、日本人の僧たちも水墨画を手がけるようになった。

その代表として、ここでは、可翁(かおう)と黙庵(もくあん)を見ていくことにする。

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