浄瑠璃寺 浄土式庭園 此岸から彼岸への旅

京都の南の端、奈良との境に位置する浄瑠璃寺には浄土式庭園があり、秋にはとりわけ美しい姿を見せる。

その美しさは、人間の住む地上に極楽浄土を造りだそうとした志を実現しているようでもある。

庭園の中央には清浄な池が置かれ、東側には三重塔、西側には阿弥陀堂が配置されている。

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鎖国と文化の成熟 日本文化の黄金期:平安時代と江戸時代

日本が最も華やかな文化を成熟させたのは、平安時代と江戸時代だといってもいい。

その2つの時代、外国に対して国が閉ざされ、それまで吸収してきた異国の文化が国内で醸成され、日本独自の素晴らしい芸術作品が生み出された。
例えば、平安時代であれば「源氏物語」。江戸時代であれば数々の浮世絵。

自己の内に籠もることは、決して否定的な側面だけではない。
外部から取り入れるものは、しばしば表面的な受容だけされ、次に新しいもが来るとすぐに忘れさられてしまいがちになる。
しばらくの間外部からの刺激を閉ざすことで、それまで吸収してきたものをじっくりと受け取り、自分なりの表現に変形することが可能になる。
鎖国はそうした熟成期間を生み出す機会でもある。

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江戸時代前半の絵画 将軍と大名、京都の貴族と高級商人の趣味

江戸時代の絵画というとすぐに浮世絵が浮かぶ。しかし、浮世絵は庶民を中心に人気を博したものであり、実際の主流は狩野派によって占められていた。

狩野派は、戦国時代の末期、織田信長や豊臣秀吉に重用された狩野永徳を始め、徳川幕府の初期に御用絵師となった狩野探幽たちにより、社会的な地位を固めていった。

京都では、狩野家と同時に、土佐派や住吉派が大和絵の伝統を守っていたが、それと同時に、俵屋宗達や尾形光琳といった個性的な画家たちも活躍した。

江戸時代の絵画を味わうためには、こうした大きな流れを知っておくことが必要になる。

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やまと絵と水墨画の統合 安土桃山時代

狩野元信『四季花鳥図』大仙院方丈障壁画、部分

室町時代の後半、幕府の力が衰え、戦国時代が到来する。その群雄割拠の中から、織田信長、豊臣秀吉が登場し、天下統一を成し遂げた。
彼等の活動した安土桃山時代、日本は空前の金銀のラッシュが起こり、芸術の世界でも、背景が黄金色の襖絵や障子画が今はなき安土城等の内部を飾った。

こうした室町時代の末期から安土桃山時代にかけて、美術の世界では、平安時代から続くやまと絵の伝統と、鎌倉時代に大陸からもたらされた禅宗と伴に移入された水墨画の伝統が、融合・統一された。

一方は、優美でありながら、儚さに基づく「あはれ」の感情に基づく抒情的の美。もう一方は、禅的な無を核とする余白の美。
一見すると矛盾するその二つの美意識を統合することで、どのような美が生まれたのだろうか。

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絵画における文化の交わり ゴッホと司馬江漢

私たちが何か異質なものを受容するとき、私たち自身が無意識に持っている感受性が自然に働き、異質な要素を何らかの形で変質させる。
うまくいけば、そうした受容から、新たなものが生み出される。
絵画を通して、異文化受容の一つのあり方を見てみよう。

No. 1
No. 2

No. 1はヨーロッパの風物を描いた絵画。
No. 2は花魁の絵。
では、どちらがヨーロッパ的で、どちらが日本的と感じるだろうか?

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小野市 浄土寺 鎌倉時代の大仏様建築

兵庫県小野市にある極楽山浄土寺の浄土堂は、東大寺の南大門と並び、鎌倉時代の大仏(天竺)様式を代表する建造物。
柱を貫通する長い貫(ぬき)を縦横に張り巡らせ、天井を張らずに高い吹き抜けとし、屋根裏の頂項まで見せた内部構造と、直線の流れを持つ屋根によって特徴づけられる。

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日本の美 平安時代 その7 源氏物語絵巻

平安時代の美は、京都の貴族文化の中で熟成した、総合芸術として確立していった。その様子を最も見事に表現しているものの一つが、平安時代末期に作成された「源氏物語絵巻」である。

「源氏物語絵巻」は当時の宮廷社会の様子を『源氏物語』のエピソードに則り美しく描き出しながら、『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が言葉にした「生きとし生けるもの」の「言の葉」が、平安的美意識の根源にあることを示している。
言い換えれば、人間は自然の中で動物や植物と同じように現実に密着して生き、四季の移り変わりに心を託して歌い、描き、生きる。そして、そこに美を感じる。

まず、「宿木 三」を復元された絵で見てみよう。

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日本の美 平安時代 その6 やまと絵

寝殿造りの住居の仕切りには、屏風や障子が使われたが、その上には絵が描かれていた。
9世紀半ばには、絵のテーマとして、日本的な風景を描いたものも現れ始める。それらは『古今和歌集』に載せられる和歌と対応し、屏風の絵の横に、和歌が美しい文字で描かれることもあった。

例えば、素性法師が竜田川を歌った和歌の前には、次のような詞書が置かれている。

二条の后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れ
るかたをかけりけるを題にてよめる

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 
紅深き 波や立つらむ 

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日本の美 平安時代 その5 寝殿造りと庭園 

日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。

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日本の美 平安時代 その4 時間意識

平安時代の時間意識に関して言えば、人間は自然の一部だという意識と並行関係にある。
人々は、仏教に帰依し、死後に極楽浄土に行くことを理想としたわけではない。
ヨーロッパにおいてのように、理想を永遠に求めることはしなかったということになる。
逆に、たとえこの世が煩悩や汚れに満ち、苦の娑婆だとしても、移り変わり儚い時間の中に美を見出した。

在原業平の歌には、そうした時間意識がよく現れている。

濡れつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

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